頬杖唯は頬杖をつく。
さしもぐさ。
第1話 頬杖唯はウミガメをしばく。
月曜日の教室。クラスメイト達がそれぞれ思い思いに帰りのHRを待っている中、私は最後列中央の席で、何もせずに座っている。……ように、他の人たちからは見えるだろう。
でも、実際は違う。
轟さんはシャンプーでも変えたのだろうか。さっきすれちがったとき、わずかに香りが違った気がした——知らないけど。個人的にはそんな強い香りのものはやめてほしいと思うけれど、彼女と私には何の繋がりも無いからわざわざ言う気にはなれない。それに、私以外は気づいていないみたいだし。
増尾くんは、昨日の放課後に二年D組に忘れていった傘をもう回収したのだろうか。ただのビニール傘だから、早く取りにいかないとどこかに行ってしまうだろう。それなのに本人は友達たちと仲良くお話をしている。いくら今日は晴れだからって、水曜日には大雪が降る予報なんだから傘が必要になるのに。その調子じゃあ、この前無くしていたシャーペンの在りかはいつまで経ってもわからないでしょうね。私はその在りかを知っているけど。本人に言うつもりはない。
公津さんはお気に入りのソーシャルゲームのガチャで推しを当てられなかったらしい。数分前にスマホを起動してガチャを引いていた所を後ろからそれとなく見ていたけど、確定演出は一つも無かった。もう誰もやっておらず、もうすぐサービスが終了するゲームだから、悲しさもひとしおなのだろう。
私、頬杖唯(ほおづえ ゆい)は、こうして周囲を観察するのが日課だ——趣味ではない。断じて。「人間観察が趣味です」だなんて言いたくはない。ダサいから。
一見すると刹那的な場面でしかないこの教室は、よく見てみれば、それぞれの思惑や因果が複雑に絡み合って構成されている摩訶不思議な空間だということが感じられる。いつも人と話さずにいるからこそ、そして常に周囲にアンテナを張り巡らせているからこそ把握できる情報。これらを大事に握りしめては、内心でほくそ笑む。それが私。
そうして一人愉悦に浸っていると、
「おい、頬杖。起きてるか? また目を開けたまま寝てるのか?」
と声をかけられた。彼はこのクラス、いやこの学校の中で唯一と言ってもいい、私に積極的に話しかけてくる人だ。いつも話半分に受け流しているのに諦めずに話し続けてくる理由は、よくわからない。もしかしたら私と彼が幼馴染だということが理由なのかもしれない。
「うん、寝てる」
「嘘つけ。寝てるやつは返事なんてするか」
「これは寝言だから」
「はいはい」
彼は軽くため息をつくと、おもむろに何かを取り出した——カードゲーム?
「頬杖、これを知ってるか?」
私はそのカードを見て、察した——これは。
「ウミガメのスープだね」
「正解。やっぱり知ってるんだな」
「私、既出のウミガメのスープは全て知っているけれど、大丈夫?」
「……大丈夫だ、これはこの前発売されたばかりの新作だからな。そんなこともあるかと思って、何でも知ってるお前でも楽しめるように新しいものを選んできたんだ」
「ふーん」
急に早口になったし明らかに目が泳いでいたから焦ってはいたっぽいけど、それでも持ち直してきた——してんじゃん、成長。少し前までだったらちょっと揺さぶっただけですぐさま白旗を振っていたのに、強くなったものだ。
——これほどまでに変な過程で培われた強さも珍しいけどね。幼馴染と会話を繋げるためだけの努力で手に入れた打たれ強さ。
「そんなことしなくても、別に私以外の人と話せばいいんじゃないの? ソシャゲの話でもしてきたら?」
「いや、それはいいかな……。僕はあのソシャゲをやってないし……」
ともかく、と、彼は言う。
「ウミガメのスープやるぞ。まずは第一問」
「はあ」
彼はたまにこうやって、私を無理矢理何かに引きずり込むんだ——私も彼によく同じようなことをしているから、お互い様だけど。
ウミガメのスープ、か。
いいよ、かかってこい。
————
僕たちの通う北十日町(きたとおかまち)中学高等学校は、とある雪国に位置するそこそこの進学校にして中高一貫校だ。ゆるめの校則に付随する自由な校風。しかし、平和なこの学校に一人、野放しにできない奇人がいる。
頬杖唯。二年C組の出席番号二十八番。
僕のクラスメイトであり、幼馴染だ。
今回は、そんな奇人と一緒に過ごしてしまうとどんなことになるのか、その末路に至るまでを教えていきたいと思う。そのためにこれから、僕たちにとってのとある一週間を書いていく。
その一週間の出来事さえ知れば、頬杖唯や、あと僕の周りにいる人たち(基本良い人たちだ)について、さらに、僕の巻き込まれてきた事件や、頬杖のフットワークについてなんかもわかるはずだ。知らん学校の知らん学生の日常生活なんて興味ないだろうけど、どうぞよしなに。
月曜日 「ウミガメのスープで、頬杖唯と勝負!」
「事件」という熟語を聞いた時、一体何を連想するだろうか。殺人? 放火? 強盗? 窃盗? でも改めてこの熟語の構成を見てみると、どうしてそんな不謹慎なイメージがこの熟語にあるのかが不思議に思える。
この言葉が意味しているのは、文字通り「事」が起こった「件」に過ぎない。そう考えると、この一週間でそれぞれ起こった謎は、けして大きなものではないけど、確かに事件とは言えた。人は死なないどころか、かすり傷すら登場しなかったし、窃盗は……ちょっとそれっぽいのはあったかもしれないけど、それだって、当事者同士で解決するべき問題だったし。
一週間のトップバッターに位置する月曜日の状況も、かなり地味なものだった。でも、文字通りの「事件」ではあったんだ。
————
僕、飯田直(いいだ なお)は、今非常に、困っている!
「ああ、それは安全装置の普及に伴って今までは車に轢かれて即死していた人たちが助かるようになったからね。だから、安全性が増すとかえってけが人が増えるという事態になったんでしょ?」
「成程、それは集中がそがれたからね。あまりにも好きなものの前でいちいちそんなことを聞かれたら、たしかに殺したくもなるでしょう」
僕が昨日下校中に寄り道をして買ってきたウミガメのスープを、彼女——言わずもがな、僕の幼馴染である頬杖唯のことである——は、ノンストップでじゃんじゃん解いていくのだ。
「それは寄生虫の視点で語られているからでしょう?」
「倉の下に本物の倉庫があった。だから、倉がいくら焼けたところで関係が無かった。よく聞く話ね」
どうする? この調子だと、帰りのHRが始まるまでのこの僅かな時間に、僕が百均で購入したウミガメのスープが全て解かれてしまう。……しかし、だからといってどうすることもできない。残りはたった二問。
「へえ、そうなんだ。それじゃあ、HRが始まる前に全部解けそうね」
頬杖の余裕そうなその顔を見ると、僕はどうしてもぎゃふんと言わせたくなる。
残る二つの問題が、少しでも頬杖の思考速度に対抗できることを祈る。
「じゃあ、次の問題だ」
「どうぞ」
『僕は、平穏無事に暮らしていた。しかしある日突然、その生活は終わりを迎えた。僕は無理矢理連れ出され、殺され、さらに死体をバラバラにされたうえで人々の面前に晒された。どうして?』
「ふーん」
そう唸ると、頬杖は——机に載せた右腕の上に左腕を載せ、顎の辺りに左手を添えた。言い換えると、「頬杖をついた」。
これが、僕の幼馴染こと頬杖唯の、いわば生態である。
頬杖唯は、頬杖をつく。
ちょっとしたクイズや、身の回りで起きた不可解なこと、そして身近な不可能犯罪に至るまで——彼女は思考を巡らせる時、必ず頬杖をついて考えるのだ。
「質問。その問題文の『僕』は、人間ですか?」
……いきなり鋭いところを突いてくるな。
「いいえ」
僕は頭を振った。
ウミガメのスープというゲームでは、水平思考力が問われるそうだ。不可解な問題文に対して、疑問点を質問し、出題者の「はい」「いいえ」「部分的にそう」という回答を受ける。これを繰り返すことで、問題の答えに辿り着く——というコンセプト。今頬杖がした質問に対して、僕の答えは「いいえ」だった。
頬杖はニヤッと笑うと、からかうような口調で次の質問を繰り出してきた。
「その『僕』の死体には——、」
僕はその質問の続きを聞いて、確信した——こいつ、もう完全に答えがわかっている。戯れに質問をしているに過ぎないんだ、と。
思わず白旗を上げたくなるほどに、その質問は的確だった。
「——値段がついているよね?」
「……はい」
「ふふふ」
そして頬杖は、頬杖を解いた。
と、いうことは。
頬杖は既に、この謎の答えに辿り着いたということだ。
「わかった。もう答え言っちゃっていいかな?」
「……いいよ」
「問題文の『僕』は、一匹の家畜だった。『僕』が平穏な暮らしだと思っていたのは肉を生産するための畜産業。商品にできるほどに成長した『僕』は出荷されて——市場やスーパーなんかの小売店にまで届いた。この状況を、問題文では『死体をバラバラにされたうえで人々の面前に晒された』と表現しているんでしょう?」
そう、と、彼女が小さく呟いた。
「『死体』というのは、商品の肉のこと。普段は意識しないけど、言われてみれば確かに売られている肉ってただの整えられた死体よね。そして、『人々の面前に晒された』という部分が示しているのは、肉を買いに売り場に来た客たちの事でしょ? 私達側からしたらただの買い物に過ぎなくとも、家畜たちから見ればそれは、死体を晒される行為だから——以上、私の回答終わり」
どう? 合ってる? と、頬杖が僕に尋ねる。
「……ああ、大正解だよ」
こんなに完璧に答えられてしまっては、もはや解説も要らないだろう。
僕は、教室の前方の教卓を見た。まだ、担任の先生は来ない。HRは始まらない。
「それじゃあ、頬杖。まだ先生は来ないみたいだし、行くか——最後の一問」
「うん。早くしろ」
「……ごめん」
頬杖に真顔で急かされたことだし、もう始めてしまおう。最終問題。
僕は軽く息を吸って、問題文を読み上げた。頬杖は頬杖をつき、それを傾聴した。
「悪に徹してはいけない。しかし、善のみを追い求めることも同様にいけない。善と悪が、お互いに共存しなければならない。——これはなんでしょう?」
問題文を聞き終えてからしばらくの間、頬杖は頬杖をとかなかった。つまりは未だ考え中ということだ。流石は最終問題、そう簡単には解かれないらしい。
「質問、一つ目」
手を上げた頬杖に「どうぞ」と促した。
「それは、抽象的なものなの?」
「……ふふふ。やっぱりそれが気になるよなあ」
「何、急に?」
僕は頬杖から割と本気で冷たい目線を向けられて、ウミガメのスープどころか心が折れそうになった……。しかしなんとか耐えて、質問への答えを告げた。
「その質問の答えは、『いいえ』だ」
なるほど、と、頬杖は相槌を打った。どうだ、この問題は。善と悪に関わる、抽象的ではないもの。そんなの、すぐにはわからないだろう。これなら、頬杖がウミガメのスープを解き終わる前にHRが始まる。
「これはもしかしなくても、僕の勝ちだな」
「……勝負なんてしてた覚えないけど」
「失敬失敬」
確かにそんな勝負は初めからしてなかった。
「でも頬杖、この最終問題はなかなか難しいだろう? 抽象的でない悪と善なんて、すぐには思いつかないはず!」
机に座って頬杖をついている頬杖を見下ろしながらそう勝ち誇ってみせる(このゲームは勝ち負けじゃないってことはわかってるんだけどね)と、「ふふっ」と、頬杖が笑った。
「可愛いねえ、うんうん。可愛いよ飯田」
まるで幼稚園生をあやすかのような口調を発した頬杖は、次の瞬間——頬杖を、といた。
つまり。
その謎はもう解けた、ということだ。
「……もうわかったのか、頬杖?」
念のため確認をすると、頬杖がうんうんと頷いた。
「そりゃあもう、ばっちりとね」
マジか。
僕は出題者だからこの答えを知っているけど——正直、この質問一つでこの答えに辿り着ける気はしないのだが。そんな僕はさておき、頬杖が口を開いた。
「もう、これ以上の質問はいらないよね。答え言っちゃっていい?」
「……いいよ」
自信満々に笑う頬杖。これはもう、わかっているときの顔だ。そして、「その問題の答えは」と、実に明瞭かつ修正の余地のない、大正解ど真ん中の回答をするのだった。
「腸内環境。そうでしょ?」
「……正解だ」
僕が両腕を上げて降参のポーズを取ると、頬杖は満足げに笑った。
「こんなん楽勝だよ。もっと強くなってから出直しなさい」
そんな決め台詞と一緒に。
腸内環境には、多くの細菌が存在する。それらの役割もまたそれぞれ存在していて、それらには大きく分けて二つのカテゴリーが用意されている。
バランスを整えたり腸の働きを促進したりするのが善玉菌。それに対して、有害物質の生成などをしでかすのが悪玉菌。
こう聞くと悪玉菌を完全に滅ぼして善玉菌だけにするべきかもしれないが、そうはいかないらしい。悪玉菌の中にも結果的にいい働きをするものがいるらしく、また菌の多様性の面でも悪玉菌を完全に排除するべきだとは言えない。
つまり、善にも悪にも徹さずにバランスを取るべきものと言える、それが腸内環境だった。
……かなり意地の悪い問題(流石最終問題だと言うべき?)だけど、それでも頬杖は瞬殺してしまったのだからすごい。
「すごいも何も、これはただの知識問題でしょ。水平思考と言う程ではなくない?」
「僕程度の頭の持ち主から言わせてもらうと、頬杖のやってるそれは水平思考にしか見えないけどな。普通、そんなにすぐにわかる問題ではないだろ。意地悪な部類だったと思うよ」
僕がわざわざ学校の帰りに寄り道して買ってきたウミガメのスープの問題集を瞬殺しておきながら、「ただの知識問題」だと断言されても困る。頬杖に問題を仕掛ける前に問題を見てみたとき、いくら考えてもわからなくて答えを見るまで殆どわからなかった僕の立つ瀬がない。
教室のドアが開いて、担任が入ってきた。クラスの一同は机に向かい、僕も同様に自分の席に戻ろうとする。
「水平思考、か」
「? どうした、頬杖」
頬杖が静かに呟いた(よくあることだ)ので、僕は振り返った。
「ねえ、飯田」
「だからどうしたんだよ、頬杖」
「今さあ、オリジナルのウミガメのスープを思いついちゃった。さっきまでの奴よりも、よっぽど『水平思考』っぽいものを——だからさ、飯田」
「解かないからな。わかる気がしないから」
何を言われるかを事前に察して断った。しかしあの頬杖がこの程度で止まるわけがなかった。
「もう問題はラインで送ってあるから。担任の長いHR中に解いてみてよ、質問にもちゃんと答えるからさ」
「わかった……」
手際が良すぎる。問題を出す側だったのが、出される側になるとは。本当に、頬杖と話すときは気が抜けない……。わかっちゃいたけれど。
「考えてみるよ」
————
頬杖から送られてきた問題の内容は、こうだった。
『ビルの屋上で自殺しようとしていた男がいた。身を投げようとした直前に女に発見され、引き留められた。そして男は女に対して自殺を図った理由を話した。女はそれを聞くと、男に自殺を勧めた。男は全てを察し、女を殺した』
……ほう。
??????????
理解が追い付かない。どういうことだ?
うちのクラスの担任が飼っている猫やら学校の防災訓練の予定やらの話を長々としている間、僕はこの問題に向き合っていた——全くわからない。これを読んでいる皆さんも一緒に考えましょうよ。そして僕に答えを教えてくれ……。
僕は速攻で頬杖にラインした。
『わからない。解説求ム』
『音を上げるの早すぎ ちゃんと考えろ』
突き放されてしまった。あいつ、今どんな顔してやがるんだ……。見てみたかったが、HR中に一番後ろの席へ振り返る度胸は無い。
『ウミガメのスープって知ってる? 私に何かしらの質問をしてくれれば、「はい」か「いいえ」か「部分的にそう」で返すよ』
いや知ってるわ。さっきまであんたにそれをやっていたんだから。しかしいちいちツッコむこともせず(僕は大人だから)、質問に移った。
『頬杖は僕がこの問題を解けると思う?』
『いいえ』
『…』
『じゃあ、はい』
『気を遣わないでいいよ! むしろもっと悲しくなるよそれは!』
『次の質問は?』
うーん、と、僕は考える。こういうのを考えるのは本当に苦手だ……。さっきまで見ていた、頬杖のやり方を真似てみようか? 表面的にしか模倣できないだろうけど。
この問題の前で常識的になってはいけないのだろう。僕はそう思って、さっきまで頬杖がやっていたように、少しうがった質問をぶつけることにした。
『その男性は犯罪を犯した?』
『いいえ』
……うがった質問どころか、真正面ドストレートな質問じゃないか、これ? やっぱり僕に推理は合わないな……。
『その女性は犯罪を犯した?』
『はい 正直数打ちゃ当たるみたいで感心しない、その質問の仕方』
注意されてしまった。……のは置いといて、『はい』? てっきり、男性側が犯罪を犯してそれを悔いて——という話を想像していたけど、犯罪者だったのは女の方?
何の犯罪だ? そして、その犯罪と男の事情を聞いてから一転して自殺を勧めだしたことへの関連は? そして、どうして男は女を殺した……? あ。
『女の犯した犯罪は、男に関係がある?』
『はい』
……あれ、つまりじゃあ、そういうことなのか? 僕の中である仮説が登場した瞬間、担任の話が終わった。起立に気を付けに礼をしてから、僕は頬杖の席に向かった。
「頬杖、あの問題の答えがわかったかもしれない」
「へえ」
頬杖は意外そうな顔を浮かべながら、腕を組んだ。
「で、その答えは?」
僕は、HR中にまとめた答えを頬杖にぶつけた。
「女が犯した罪は、男を故意に屋上から突き落としたこと。女が男に殺された、という内容は、その後の裁判で女の死刑が決まったことを言い換えたもの」
……さあ、どうだ。いい線行ってると思うが。
頬杖は、目を少し見開いた。面白いものを見つけたときに見せる表情だ。これはもしかして、正解なのか。
……そんなことがあるわけもなく。
頬杖はくつくつと笑いを抑えきれない様子で、
「不正解!」
とぶった切るのだった。
「その解答じゃあまだ矛盾が残るし、そもそも人一人を殺しただけじゃ死刑にはならないでしょ」
頬杖の解説によると、あの問題の答えはこういうものだったらしい。
男は以前、家族(あるいは家族のように大切な人たち)を殺されていた。必死に犯人を捜査するも発見されることは無く、ついに警察も捜査を諦めてしまい、絶望するなかで自殺を決意した。
いざ決行する日になると、飛び降りる直前に女が現れて救われた。その際、全てをその女に話してしまった、すると女は一転し、「それならもうこの世に希望は無い。死んでしまいなさい」と断言してきた。
男は絶望して、その通りにしようとした——が、考えた。
どうして女はそれを言ってきたのか。
その答えに辿り着いた時、男は女をビルから落とした。
女は、男の家族を殺した犯人だった。警察の捜査が下火になって自由を謳歌していた。しかし男と出会い、反射的に自殺を止めたが、話を聞いてみるとその男が以前の殺人の関係者であり、未だに犯人の捜索をしていると言う。
そこで女は考えた。今ここで男を殺せば、完全に自由になれるかもしれない。しかし一方で、新たな殺人を犯すことで再び警察の捜査が始まってしまうというジレンマがある。だから、女は男の自殺願望を利用した。
自殺には、わかりやすい犯人などいるはずがないから。
男側は、それを理解して——自分自身の代わりに、女をビルから落として、復讐を完了した——という話だったらしい。
…………いや。
「わかるかよそんなの!」
僕が怒りの声をあげると、頬杖はからからと笑った。咄嗟にこれが思いつくとは、趣味が悪すぎる。
「いやー、飯田なら解けると思ったんだけどなー。期待外れだね」
「僕の脳みそを買いかぶりすぎだろ。他の人ならどうか知らないけど、僕の頭の悪さは天下一品なんだぞ」
「はいはい。掃除当番なんだから黙って教室を掃いてなさい」
「ならさっさと机からどいてくれ……」
「嫌。映画見るから」
頬杖はそう言って、椅子に座り込んでしまった……どいてくれえ。
彼女のその姿勢はクラスメイトも担任もわかりきっていて、そのうえで黙認している。たしかにこの学校はそこそこの進学校で、校風も開放的ではあるけれど、でも掃除のときに机をどくことすらしない我の強さは矯正されるべきじゃ……?
それは頬杖と唯一喋れるお前の仕事だって?
そんな不可能な仕事、すぐに降りたい。
「それじゃあね、飯田。また明日」
そう言って頬杖は、タブレットと耳にイヤホンを挿して、自分の世界に入ってしまったのだった。
「あ、そうそう、一つ聞き忘れてた」
頬杖はイヤホンを一旦外すと、箒をせっせと動かす僕に向かって叫んだ。
「飯田のサッカー部の後輩、今日告ったんだよね? 結果どうだったの?」
「大きな声でそれを聞くな! 教えるわけないだろ! そもそもどうして頬杖がそれを知ってるんだよ、誰にも話してないのに!」
頬杖は「つまんないなー。まあ、自分で調べればいいか」と呟くと、再びイヤホンを耳に入れて映画を見始めた。
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