鬼はいずこに

小泉藍

(一)

(一)

 暦は四月に迫り、風が桜の花びらを運んでくることもめっきり減った。

 空気は澄んでいるのに温かい。労咳患者には過ごしやすい季節だ。開け放した障子から見える空は薄青く、吹き込む優しい風が顔を撫でていく。

 春風が、春風の中、身まかるか。

 思わぬ五七五に、口元に笑みが生まれた。諧謔があり語呂が良く、諦観も風流もある。辞世の歌はすでに用意したが、これに替えてもいいかもしれぬ。

 三十年にも満たぬ人生だったが、多くの場所に行き、人に出会ってきた。日本中を経めぐり、中国上海にまでも行った。そして人に関しては、好きな人間、嫌いな人間、大事な人間、滅ぼした人間、種類も数も限りがない。だがその中で、唯一人類例のない人物がいる。

 あのような、異形の鏡像とでも称すべき、同じ版木から刷られた色違いの絵のように思える人物は他に知らない。

 我が魂の相似形が異なる肉身をもって遠い土地に顕現し、運命の転変によってたまさか出会い、そして別れた。

 我が師にして友、厭うべき寄生木のみを連れにして寄る辺なき夜をさまよう孤独を知るこの世で唯一人のご同類。人生を共にしたいとか幸せになってほしいというのとは異なるが、これも確かに一つの友情であったに違いない。


 慶応三年(1867)三月、長州藩下関。

 奔馬の如く時代を駆け抜けた一代の風雲児・高杉晋作は、今静かに人生最期の時と向き合っていた。

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