乱雑な本棚

@zawa-ryu

乱雑な本棚

 朝からどうにもすっきりとしない空模様だった。

 晴れ間が見えたかと思えばまた雨が降り、降ったかと思っても申し訳程度に傘を濡らしただけでまた止む。

「いっそサッと降ってカラッと晴れてくれれば良いのに」

 雨が苦手な私は、降ったり止んだりを繰りかえす雨にどうにも気持ちが沈んで、再び降り出した4時限目の教室に聞こえてくる静かな雨音に、小さく独り言を吐いた。


 この時期に降るそういった感じの雨は「春時雨」と呼ばれる。

 …らしい。

 私は現国の授業でそれを今知った。


「素敵な名前でしょう?こんな時はアンニュイな気持ちに浸りながらミルクのたっぷり入ったコーヒーでも飲みたいものよね」

 そう言って、めっきり寂しくなった頭髪を撫で、現国担当の田辺操教諭は、雨で曇る校舎の裏山をウットリと見つめる。

 外観は中年男性そのもので、性別もやはり男性のはずだが、田辺先生の身体の中には可憐な乙女が棲んでいる。

 私たちが通う本宮高校は私立の女子校なので、男性教師といえばたいてい恋愛対象になるか、変人の嫌われ者扱いをされるかの二択になるが、彼(彼女?)の場合は、穏やかな性格とその独特な口調で、生徒の良きお姉さんポジションという立ち位置を確立している。

 ちなみに私たち生徒からは親しみを込めて「操ちゃん」と呼ばれているが、教師という立場にも関わらず本人はいたくその呼称を気に入っていて、新入生が入るたびに「操ちゃんって呼んでね」と自己紹介している。


 私もいちおう現役乙女の一員として、操ちゃんのような感受性を身に着けていたいところではあるが、正直、今朝みたいにカーテンを開いた瞬間、外の景色にどんよりとした雨雲がのさばっていたりしたら、「はあ」とタメ息をついて、げんなりとするだけだ。

 これが私の友人だったら、同じ「はあ」でも「はあ?雨?ウッザ、ふざけんなよ」とさらに醜い悪態をつくことだろう。

「あら、少し雨が強くなってきたわね。ちなみに今みたいに急に強まる雨の事を春驟雨と言います」

 ああもう、予報では昼から曇りになっていたのに、まだ降るのか。

 そういえば、だんだんと頭が重くなってきた気がする。私が雨に気が滅入る理由はメンタル面だけでは無く、もう一つ身体的な理由がある。

 気象病というのか、私はこう見えて気圧の変化に敏感な類の人種で、雨になると頭痛がしたり、酷い時にはめまいに似た感覚に襲われる時もある。


 教室の窓を叩く雨のリズムが激しくなるにつれ、私の頭はどんどん痛みを増し、なんだか今日はロクなことが起こらないような気がして、気分はますます憂鬱になった。


「ほんとかったるいね雨って。あー腹減った。結愛、ファミレス寄って帰ろうよ」

 ホームルームが終わると、友人の目黒芽理が声をかけてきた。

 案の定、口が悪いのが玉にキズだが、彼女と私は物心ついたころからの付き合い、俗にいう幼馴染なので彼女の言葉使いにはもう慣れっこだ。

 だが、彼女をよく知らない生徒からは、その口調から怖がられたり、反感を買う事も少なくない。

 そのたびに私は友人としてフォロー役に回っていたが、芽理自身は言葉に悪意はなく、勝ち気ではあるがサッパリとした性格の持ち主なので、そのうち周囲の人間からも、口は悪いが人は良いクラスメートとして認識されていった。

 そんな彼女だが、その男勝りな性格はイザと言う時にとても頼りになり、私は今までピンチに陥るたびに、何度も芽理に助けられてきた。

 そんなこんなで芽理と私は唯一無二の親友なのだ。


 来週からテスト期間に突入するため、今日は午前中でホームルームも終了し、無罪放免となった教室からは、だんだんと生徒の姿も少なくなっていく。

「私もお腹すいたな。そういや真由は?」

「真由は日直だから、日誌持って職員室かな」

 真由はつい最近ひょんなことから友達になったクラスメートだ。芽理とは打って変わって引っ込み思案で物静かな彼女だが、こと小説に関しては読むのも書くのも大好きで、その知識量も半端ではない。私たちの好みに合いそうな小説を見繕って貸してくれたり、彼女の書いた小説を読ませてもらったりするうちにすっかり仲良くなって、今では登下校も共にしている。

 探してみようか、と私が言おうとした時、ちょうど教室の扉が開き真由が走り込んできた。

「ごめん、二人とも…。あとゴミ捨てだけだから、先に行ってて…」

 そんなに慌てなくてもいいのに、職員室から走って来たのか息を切らしている。

「真由、ゆっくりでいいよ。私たち昇降口で待ってるから」

「うん、ごめんね。すぐいく…」

 そう言うと、彼女はゴミ箱を抱えて再び教室から飛び出していく。

「真由ーっ鞄持ってっとくよーっ」

 芽理の声に振り向いた結菜はゴミ箱ごと扉に体をぶつけ、派手にゴミをぶちまけていた。


 昇降口に向かう私たちの横を、階段で走り込みをしているサッカー部が駆け降りていく。

「あっぶね」

 流星のごとく降りそそいでくるサッカー部員をやりすごして、しばらく全員が通り過ぎるのを待つ。

「廊下やら階段やらで走り回るのやめてくんないかなマジで」

「グラウンド使えないと運動部は大変だね。そういや春菜は今日も部活かな」 

「なんかテスト期間中は部活動禁止だから今日は気合入れるんだって、朝は張り切ってたよ」

 私たちのもう一人の友達、春菜とは中学時代からの友人だ。

 芽理曰く、「体力」というステータスに全フリした脳筋女子。

 現在は陸上部のキャプテンというポジションに収まってはいるが、有り余る体力と、類まれなる運動神経を生かして他の運動部に助っ人として駆り出されることも多いらしく、多い時は4つも運動部を掛け持ちしていた強者だ。

 そのため運動部に所属する部員たちからは、「勝利の女神=本宮高校のニケ」と呼ばれ羨望の眼差しを集めているが、その分、学業の方には全く重きを置いていないため、本宮高校の最多赤点記録保持者という不名誉な称号も同時に手にしている。

「でも最近あいつ、小説読んでるらしいよ。しかも大量に」

「えっ?春菜が?」

「なんかいっぺんに二冊同時に読むとか言ってたな」

「それ、ちゃんと内容理解してんのかな」

 いかにも脳筋の春菜らしい話だが、小説に対する冒涜な気がしないでもない。


 私たちが昇降口に着くと、雨はいよいよ本降りとなり、降り注ぐ雨粒はグラウンドをあっという間に水びたしにしていた。

「こりゃ春驟雨どころかスコールだわ」

 芽理がそう呟くのもあながち間違いでは無いぐらい、雨音が「ザーーーーッ」と激しく音を立て、私の頭もそれに合わせるようにキリキリと痛む。

 私がこめかみの辺りを押さえていると、正面玄関の方に何やら騒がしい集団が見えた。

「先輩、無茶です!」

「そうです、この雨の中走るなんて!」

「あっ春菜だ」

 芽理が一群の中に春菜の姿を見つけた。

 大勢の下級生に取り囲まれる中、キャプテンである春菜が輪の真ん中でこぶしを振り上げていた。

「なに言ってるの!せっかくアンタ達が並べてくれたハードルを私が飛ばないわけにはいかないわ!さあ、みんな!私についてらっしゃい!」

 言うなり春菜は大雨の中を、雄叫びをあげて飛び出していった。

 一瞬たじろいだ下級生たちだったが、ハッと顔を見合わせると、

「先輩に続けーっ!」

「おおーっ!」

 次々に部員たちも気勢を上げて飛び出していく。

「ごめん、遅くなって…」

 遅れて降りてきた真由はその光景を見ると、何事かと絶句して目が点になっていた。

「あっ真由。ぶつかってたけど大丈夫だった?」

「うん。平気…それより、凄いね…陸上部?」

「うーん、アオハルってるねぇ」

 芽理がしみじみと言う。

「おおっ見て。ハードル全部なぎ倒してる。てか、一つも飛べてないし」

「もはやなんの競技かわかんねぇな。バッファローの群れみたい」

「バッファロー?ああ…、この場面が先週見れてたら…」

「えっ?」

「あっごめん…なんでもない…」

 真由は投稿サイトで小説を書いているので、ひょっとしてサイトのお題かなにかと関係あるのだろうか?

「さ、帰ろ帰ろ。パスタと生クリームあんみつが私たちを呼んでるよ」

 傘を開いた私たちに向かって、グラウンドを泥まみれになって走る春菜が遠くの方で手を降っているのが見えた。



「まさか、まさかそんなっ!」

「おっお前っ。嘘だろ、嘘だと言ってくれ!」

 その仮面が剥がされた時、そこに現れた素顔に、私たちは言葉を失った。

つづく

「うーん、読ませるねぇ。真由の物語は」

「ほんとだよ、もう続きが気になって来週まで待てないよ」

 真由は縮こまって顔を真っ赤にしているが、照れながらもその表情は嬉しそうだ。

 友人と楽しく過ごしている時間だけは、私も雨の憂鬱も、頭の痛みも忘れられる。

 ファミレスでお昼を済ませたあと、めいめい好きなスイーツを楽しみ、私たちは本日19時公開予定だった真由が書く連載小説の新作を、友人特権で一足早く読ませてもらっていた。

「そういや私、こないだ借りた小説もう読んじゃったんだよね」

 芽理がスプーンについた生クリームを綺麗に舐めとって言う。

「新しいの貸そうか?家に来てくれたら、シリーズものでもまとめて渡せるよ…」

「え?いいの?行く行く」

「真由の家って初めて行くよね。楽しみ」

「そんな大した家じゃないし、何もないよ…」

 気付けばもう入店してからけっこうな時間が過ぎていた。

 私たちが腰をあげると、目があった店員は一瞬やれやれといった顔になったが、すぐにまた営業スマイルを取り戻し、「アリガトウゴザイマシター」と感情の無い声で言った。


 店を出ると、雨はようやく小降りになっていた。

 二人と楽しく過ごしていた時は忘れていたが、まだ頭は少し重い感じがする。

「ここら辺って高級住宅街じゃん」

 真由に案内されて歩いているこの地区は、私たちの街ではちょっと名の知れたお屋敷街だ。一般的な住宅より一回りは大きな邸宅が立ち並び、どこの家も一つ一つの区画が大きい。

「真由すごいとこ住んでんだね」

「どんな人が住んでるんだろって思ってたけど。まさか仲間内にいたなんて」

「やめてよ…二人とも…」

 真由がなぜか申し訳なさそうに呟く。

「あっここ、オープンハウスだって。内見会開催中って書いてるよ」

「ああ…そこのお家、先月引っ越したみたいで、昨日から内見してるみたい…」

「へえ。入ってみようかな。真由は中見たの?」

「ううん、私は見に行ってない。人のお家って覗き見したら悪い気がして…」

「そうだよね。自分が住むわけじゃないし」

 そう言いながらも私は内心、覗き見たい気持ちで満々だった。

 本音を言うと、他人様の家ってけっこう気になる私は性悪だろうか?

 ましてや高級住宅街の大きな一軒家。考えただけでテンションが上がってしまう。

 

「着いたよ…」

 しばらく歩いた先にある真由のお宅も負けず劣らずご立派なお宅だった。

「うわっすっご。マジでお屋敷じゃん」

 広々とした玄関には、大理石が使われ、どこからともなく良い匂いが漂っている。

「ただいま…ママ?いないのかな…ママ―?」

 真由はちょっと待ってねと言って、リビングの方に消えたがすぐに戻ってきた。

「施設にいるお婆ちゃんのところに行ってるみたい…。あっどうぞ上がって…」

「お邪魔しまーす」

 通された二階にある真由の部屋は広々とした10畳ほどの洋室。

 几帳面な真由の性格がそのまま反映されたような、整理整頓が行き届いた室内に、女の子らしい色彩で統一された絨毯やシーツ類が、可愛らしく馴染んでいた。

「うーん真由の匂いだぁ。深呼吸しとこ」

「芽理、それってセクハラだよ」

「私飲み物淹れてくるね…。紅茶でいい…?」

「えっいいよ、そんな。お気遣いなく」

「私ミルクティー!」

 私の声を遮って芽理が叫ぶ。

「あんたには遠慮ってものがないの?」

「無いっ」

 断言する芽理に私は呆れ返ったが、真由は微笑んでキッチンへと降りて行った。


「しかし、ザ・女の子の部屋って感じだね」

 芽理が部屋を見渡して言う。

「ほんと。あと、この本棚。すっごい大きさ。さすが真由」

 窓とは対面の壁一面が本棚になっていて、辞典、雑誌、ハードカバーの小説や文庫本。種類ごとに棚が区切られ、わかりやすく並べられていた。

 だが、見たところなぜか文庫本の棚だけは乱雑に置かれ、所々に背表紙が逆向けられていたり、本が横向きに倒され、棚から飛び出しているところもある。

「真由でも本が多すぎるとこうなっちゃうんだね。なんか安心した」

 まあ、私の部屋は本どころか衣類その他もろもろがとっ散らかっているが。

「うーん。真由に限ってそんなことあるかなぁ」

 規則性は無く、本当に所々裏向きに仕舞われていたり、本棚から飛び出している感じだ。

「あの真由だよ?私らならともかく、真由の本棚がぐちゃぐちゃって。なんかおかしくない?」

 まあ、そう言われれば確かにそうだが、真由だってお片付けロボットじゃないんだし、全てが完璧なんてことは無いだろう。それとも、何か意図しての事なのだろうか。

「駄目だ気になってきた。気になる、気になるぅ」

 芽理が駄々っ子のように手足をバタつかせる。

「ちょっと人の部屋で暴れるのやめなって。そんなに気になるなら、戻ってきたら聞いてみればいいじゃん」

 ちょうどその時ドタドタと階段を駆け上がる、真由の慌てた足音が聞こえてきた。

「ごめん…二人とも。パパから電話があって、すぐお婆ちゃんのところに来てくれって」

「えっ?大変。何かあったの?」

「わからない。すぐ切れちゃったから…。ごめんね、せっかく来てくれたのに…」

「私たちのことはいいから、早く行かなきゃ」

「うん、また連絡するね…。あっ芽理、これ。」

 そう言うと、真由は本棚から小説を数冊取り出し、手近にあった紙袋に詰めた。

「返すのはいつでもいいから…良かったら読んでみて」

「サンキュー真由」

「気をつけてね」

「ありがとう…またね…」

 そう言うと真由はタクシーを呼び、私たちを見送った。


「うーん聞きそびれちまった」

「なに?もしかして本棚のこと?」

 真由の家を出ると、雨がまた降り出していた。折りたたんでいた湿った傘を再び開くと、また頭にキリキリと痛みが走る。

「まだ気になってたの?てか、あのタイミングで聞いてたらさすがの私でもひくよ」

「まぁ私も少しは常識ってのがあったみたい。でも、実はもうひとつ気になってることがあるんだよね」

「えっ?なに?」

「ほら、あれ」

 そういうと芽理は道の少し先にある家を指さした。

 あれは、真由の家に行く途中に通ったオープンハウスだ。

「誰もいないのかな」

「見学は12時から17時までご自由にって書いてるし入っていいんじゃない?」

「芽理、今何時?」

「んっとね、16時半」

「ささっと見ちゃおっか」

「そう来なくちゃ。私めっちゃ見てみたかったんだよね」

「実は私も」

 私たちは悪だくみする悪代官と商人のように体を寄せてヒッヒッヒッと笑い、

オープンハウスへと入っていった。


 モデルルーム用なのか必要最低限の家具のみが置いてあるため、その豪邸はとにかく広く感じられた。中古物件とはいえ内装はとても綺麗で使用感もない。

 1階だけで5つもある部屋をひとつひとつ、私たちはキャッキャッと盛り上がりながら見て回った。

 2階に上がると階段の先にお手洗いがあり、その横には洗面台まで設置されている。

 水道は止められていないのか、芽理が蛇口に手をかざすと自動で水が出た。

「ラッキー水出るんだ。私トイレ借りよ」

 芽理がお手洗いに消えると、私はなんとなく廊下の先にあった部屋を覗いてみたくなりドアを開いた。

 しかし頭痛はいっこうに収まらない。いや、収まらないどころか締め上げられるような感じがして、なんだか視界までボヤけてきた。


 だが、開いた扉の先にあった光景に、私は思わず目を見開いた。

 なんだろう、この違和感は。いや、これは違和感ではなく、既視感だ。

 どこかで見たような部屋。それもついさっき。

「えっ?何ここ」

 トイレから出てきた芽理も声をあげる。

 そう、ここはまるで、さっきまで私たちがいた部屋。


 真由の部屋そのままだった。


「どういうこと結愛?なんで知らない家に真由の部屋があるの?」

「わかんない、わかんないよ」

 私も首をぶんぶんと振る。頭が痛みすぎておかしくなってしまったのだろうか。

「これって、どう考えても真由の部屋だよね。ほら、見て。本棚まで」

 芽理の言う通り、本棚に置かれた文庫は同じように背表紙が裏向きにされたり、横倒しになったりしている。

「ちょっと怖いんだけど。ヤバくないここ?」

 芽理にそう言われて、私までゾッとしてきた。

 背中に嫌な感じの汗が伝う。

「出よう芽理。そういやもう17時じゃない?」

「えっと、うわっもう17時なんてとっくに過ぎてるよ」

 芽理が腕ごと時計を私の方に向ける。腕時計は17時10分をさしていた。


 その時、玄関の扉が開く音がして、すぐにまたバタンと大きな音が響いて扉が閉まった。

「なに?なんか音したよね?」

「えっ?なになに?どうしよう芽理。私怖いよ」

 芽理がうろたえる私の肩に手を回す。

「結愛、落ち着きな。私が付いてる」

 こういう時の芽理は本当に頼りになる。

 だがその時、再び玄関の扉が開き、そのまま誰かが中に入って来る音がした。

 不安げに見つめる私を、心配するなと芽理の目が言う。

 足音はしばらく一階をさまよったあと、ゆっくりと階段を昇ってきた。

 階段を一段一段踏みしめるギシッギシッという音がだんだんと近づいてくる。

 頭の痛みはキリキリを通り越してズキンズキンと鳴って体中に響く。恐怖も相まってか私の視界はぐにゃりと歪んだ。

 腕にしがみつく私に、芽理が小声で囁いた。

「いい、結愛。この部屋のドアが開いたら、私が大声を出すから。相手が怯んだ瞬間、さっと逃げるよ」

「ええっ?そんなことできるかなあ、私震えて走れないかも」

「いいからやるの!大丈夫、私を信じて」

 近づいて来る足音が階段を登り切り、ドアの前まで来た。

 ドアノブに手がかかり、ゆっくりとノブが回っていく。

 なおも不安げに見つめる私に芽理は頷くと、ドアを睨み神経を集中させている。

 私は芽理の腕にしがみついたままギュッと目をつぶった。


 ガチャッ

「ウラーーーーッ」

「うわーーーーっ」

 芽理が叫ぶと同時に私も大声を上げ、私たちは部屋から飛び出した。

 …はずだったが、ドアの向こうにいた人影に、いや正確には人影の腹にボヨンとぶつかり二人尻もちをついてしまった。

 ぶつかった相手はというと、よほど驚いたのか、「ひえぇっ」と叫ぶなり、同じくぶつかった衝撃で後ろに倒れこんでいる。

「痛てててて」

 三人で尻やら腰やらをさすりしばらく立ち上がれずにいると、

 階段をパタパタと駆け上がってくる足音がした。

「どうしたのパパ!今の声なにっ?えっ結愛?芽理?えっ?えっ?」

「えっ?は?真由っ?なんでここに?えっどういうこと?」

「それはこっちのセリフだよ…二人ともここで何してるの?えっと、パパ、大丈夫…?」

 真由が駆け寄ってまだ倒れ込んでいる男性を抱き起そうとするが、体が重くてなかなか持ち上がらない。

「パパぁ?」

「うーん、ビックリしたなぁ」

 パパと呼ばれた男性は少し落ち着いたのか、よいしょと腰をあげる。

「あー驚いた。君たちは真由の友達かい?初めまして、真由の父です」

「はあ。あっどうも。真由ちゃんの友人の谷川結愛です」

「ども、目黒芽理です」

 状況が呑み込めないままに自己紹介を交わす。

「えっと、真由とお父さんがなんでオープンハウスに?」

「ここは、私のパパが管理しているの…」

「はい?」

 真由のお父さんは不動産屋を経営していて、空き家になったこの家も保有する物件のひとつらしい。お祖母さんのお見舞いから帰ったあと、17時をすぎていることに気づき、真由に鍵を閉めてくるよう頼んだのだが、何やら人の声がするので、怖くなった真由はお父さんを呼びに行き、そしてこの部屋で私たちと鉢合わせになった。

 真由の話をまとめると、こんな感じだった。

 ちなみにお祖母さんはと言うと、面会時間終了間際になって「久しぶりに孫の顔が見たい、今見れ無いなら死んでやる」と騒ぎだしたので、真由に一芝居打ったとのことだった。

「いやあ、そう言えば真由が飛んで来てくれると思ってね。ハハハハハ」

「もう…私びっくりして…お婆ちゃんに何かあったのかと思ったんだから…」

 話を聞くに、お婆さんとお父さんは、なかなか破天荒な人のようだ。

 そして真由はおそらくお母さん似なのだろうと私は勝手に思った。

「じゃあこの部屋って、もしかしてお父さんが作ったんですか?」

「おおっ気づいたかね。そうです。ここは我が愛する娘の部屋を忠実に再現した部屋です。ワハハハハ」

 真由は最初何のことだか分らなかったようだが、辺りを見回してようやく気付いたようだ。

「ちょっとパパ!なんでこんなことするの!」

 真由が顔を真っ赤にして怒っている。そりゃそうだろう。

 てか、真由が怒ってるところを初めて見た。けっこう早口でしゃべれるんだな。

「ワハハハハ、せっかくの内見会だから素晴らしい部屋にして見てもらおうと思ってね。安心しなさい、個人情報なんかには十分気を付けてるから。ほら、この本だって偽物。全部ボール紙だよ」

「そういう問題じゃないの!」

 私と芽理はしばらく親子喧嘩を眺めたあと、仲裁に入ったが、どうにか真由の怒りが収まったのはそれから15分ほど経ってからだった。


「それじゃ、そろそろ施錠させてもらおうかな。いやあ驚かせてすまなかったね」

「こちらこそご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「ご面倒かけてすいませんでしたぁ」

 これからも真由と仲良くしてやってくださいねと笑いながら、お父さんは一足先に自宅に戻っていった。

 オープンハウスを出ると、雨はすっかりあがっていて、ようやく分厚かった雨雲が薄くなり、雲の切れ間から薄い茜空がのぞくようになった。

「ごめんね、色々と…」

「いや、真由は悪くないじゃん」

「そうだよ、結局真由が一番被害者っていうか」

「まあ慣れてるんだけどね…お父さんっていつもあんな感じだから…」

 あの父親からどうやったらこんなにおっとりした娘が育つんだろうと思ったが、よっぽどお母さんの教育がいいのか…まあいらぬお世話だろう。

「じゃあまた…来週だね…」

「うん。真由、本ありがとね。あっ!」

 芽理が何かを思い出したように大声を上げる。

「そういえば真由、あの本棚のことなんだけどっ」

 本棚?…ああ、すっかり忘れていた。芽理は気になったら本当にしつこいんだから。

「えっ?本棚が何か…?」

「いや、文庫本のところ。真由らしく無いなと思ってさ。なんか本が裏返ってたり、飛び出したりしてたじゃん。普段几帳面なのに、なんでかなって気になって」

 ああ、と真由が顔を赤らめる。

「あれはね…」

「うおぉーいっ」

 その時、自転車に乗った誰かが遠くの方から声を上げ、ぶんぶんと手を振っているのが見えた。なんだあの不審者は?と思ったが、近づいてきて分かった。春菜だ。

「ごめーん真由!遅くなった。あれ、芽理と結愛も一緒だったの?」

 キキ―ッとブレーキを軋ませる。自転車の前かごには大量の文庫本が積まれていた。

「ううん、私もちょっと出かけたりしてたから…」

「そっ。なら丁度良かった。これ、借りてたやつ。全部持ってきたよ」

「ちょいちょい春菜、あんたこの本全部借りて読んだの?」

「てか、いつの間に二人はそんな間柄になったのよ」

「ふふふ。アンタたちだって私のいない間に真由と仲良くなってたでしょ。でも私だって真由とはもう深い友情で結ばれているのよ。ねっ真由」

 そう言うと二人は顔を見合わせて笑った。

「あっそれと、これ全部なんて一人で読めるわけないでしょ。後輩の分も借りてるの。私が最近真由の勧める小説にハマっちゃってたら、後輩も読みたい読みたいって言い出してね」

 さすが部内では神と崇められているだけあって、中々の影響力だ。

「真由ってすごいのよ。私が後輩の好みを伝えたら、バシッとそれにあった本を勧めてくれるんだから」

 そう、真由はすごいのだ。普段の読書量と、本当に本が好きだからこそなせる業だと私は思っている。

「あっじゃあもしかしてっ」

 春菜の話を聞いて私はピンときた。

「なに?結愛、何がもしかしてなの?」

「わかったのよ、本棚の謎」

「えっ?嘘?なんで?なんでわかったの?」

 芽理にばっかりカッコイイところを持ってかれるのもシャクだから、私は少しもったいつけて言った。

 「ふふん。わからないなら教えてしんぜよう。真由はね、貸してた本の目印にしてたのよ。ねっ?」

「は?どういうこと?」

 芽理はまだ分かっていない様子でキョトンとしている。

「うん、だんだん誰に何をお勧めして…どこまで貸してたのかこんがらがってきちゃって…。自分でも間違わないように、例えば、芽理にはここまで貸したから、裏返して。結愛にはこのシリーズだったから横向けて表紙を上。みたいに…」

「あーっそういうことか!」

 ようやく理解した芽理がおでこを叩く。

 そう、初めは本を貸す相手が私たち二人だけだったが、そのうちどんどん増えて、今や顔も知らない陸上部の後輩たちにまで範囲が広がった。優しくて真面目な真由は間違えて渡してしまわないように、自分がわかりやすい方法で整理した結果があの一見乱雑な本棚だったのだ。

 真由はやっぱり几帳面だった。

「そうやって聞くとなんか悪いなあ。私そんなことになってるなんて、さっぱり気が回らなかった、真由ゴメンね。負担になって無い?」

 春奈が申し訳なさそうに手を合わせる。

「そうだね、私たちも厚かましかったかも」

そんな私たちを見て、真由は慌てて手を振った。

「みんな…やめてよ。私、嬉しかったんだよ…、負担だなんて思ったこともない…」

 真由は表情をこわばらせると、涙目になった。

「私ね、本当に嬉しかったの。こうやってみんなと仲良くなれたのもそうだけど。小説を読んで、面白いって言ってくれる人の輪がどんどん広がって…私ずっと憧れてたの。私の好きな物語を誰かと共有できて、あそこが良かった、あのシーンが最高だったって、そんな風におしゃべりできる友達が…ずっと出来たらいいなって思ってた…」

「…真由」

「だから、そんなこと言わないで…。これからも…えっ」

 真由の話が終わらないうちに、私たちは真由を抱きしめていた。

「真由、ありがとう。私たちに本を読むってことの楽しみを教えてくれて」

「真由のおかげだよ。これからもずっと、面白い小説を教えて。」

「ううん、小説だけじゃない。私たち4人でずっと、面白いこと、楽しいこと探していこうよ」

「みんな…」

 真由の目に溜まっていた涙がぽろぽろと零れ落ちていく。

「ちょっと泣かないでよ真由。私まで涙出てきたじゃん」

「ううっ私なんか鼻水まで出てきた」

「春菜っ早く拭いてっ」

 芽理がすかさずティッシュを差し出す。

 私たちは泣きながら笑って、

 それからまたしばらくギュッとお互いを抱きしめあった。


 みんなと別れた後、雨上りの夜空には大きな月が顔を出していた。

 丸々と太った月に蹴散らされるように、わずかに残っていた雨雲は散り散りになって消えていく。私の痛みもそれに合わせるように、すっと軽くなって消えていった。


 いつもの街並みも、雨が上がれば心なしか晴れ晴れとしている気がする。

 雨は苦手だけど、雨上がりは大好き。

 夜の澄んだ空気を思いっきり吸い込んで、私は両手を空に向かって大きく伸ばすと、家に向かって歩き出した。

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