真面目な人間

キクジロー

仕事人

 せかせか、せかせか。

 聞こえないはずの音が聞こえる。

 

 この無音で、空の席が敷き詰められているこの四角い空間には、俺と、もう一人。


 彼女は俺と同期の女の子。


 焦げ茶色の髪を後ろで束ねていて、高めのポニーテールを作っていて、顔も比較的美人と呼べる程綺麗だ。

 歳も同じで、つい最近、この営業会社に入社したばかり。


 俺と彼女は同期ということもあり、時折、軽く世間場をしている。なんなら、この前だって一緒に昼食を食べた。


 勿論誘ったのは俺の方。

 これにはとある事情があるのだが、それはまた後に話そう。


 時は遡り、入社当初までになる。

 俺は、念願かなって第一志望の企業に入ることが出来た。


 内定式や入社式では、知らない顔の同期たちと挨拶を交わし、滞りもなく、普通に社会人生活をスタートさせる。


 だが、ただの一つだけ。

 別に気になる程でもないくらい小さな事なのだが、入社式の際、俺の隣の椅子に座っていた一人の女の子が頭の中に残っている。


 決して、美人だから印象に残っているのではなく、彼女は、俺達普通の社会人の枠組みを遥かに超えた言動をしていたからだ。


 彼女は入社式の際に、ただ単に座っていたのでは無く、蝶も止まりそうなくらいスヤスヤと爆睡をかましていた。

 当然、俺だけじゃなくて周りの同期たちも驚愕の目で彼女を見ていたし、上司や、あるいは社長までもが彼女に注目していた。


 この時、俺は思った。


 あ〜あ、こいつ終わったな。


 なにせ、入社式という一世一代ともいえる大イベントで、我が家のように寝ているのは社会人というか人間としてどうかと思うレベルなのだから。


 当時、俺は彼女の事を嫌いという訳ではないのだが、こいつとは距離を置こうと思った。

 俺が彼女と仲良くしていると、俺まで悪い評判が回りそうだったからである。


 だが、現実は違った。


 俺と彼女の立場は、完全に逆転してしまった。

 というより、最初から彼女の方が一枚上手だったのかもしれない。


 彼女は入社式後、さも当然の顔で堂々と胸を張って仕事場にやって来た。

 きっと上司から、早速のお叱りがあるのだろうと、内心楽しみにしていた自分もいる。

 しかし俺の予想は遥か彼方へ飛んでいき、上司は彼女の肩に軽く手を置いて、これからよろしくなと、満面の笑みで彼女を出迎えた。


 俺は何かに裏切られた気分になり、首をかしげるが、その瞬間、近くの先輩からこう言われた。


「おい、ふざけた態度を取るな」


 は?

 と、当時の俺は思った。

 聞けば、俺の上司は社内でも一二を争うほど仕事に対して常に厳格な姿勢をしているとのこと。

 だから俺みたいに、周りと外れた行動をすると真っ先に目を付けられるらしい。

 

 だからこそ俺は思う。 

 彼女は上司の射程内ではないのかと。


 あれだけオオチャクな態度を取っておきながら、なぜ彼女は何も言われないのだろうか。

 これは俺だけでなく、当然同期も思ったし、先輩だって思った。


 しかし、その理由はすぐに判明した。

 しかもそれは一言で片づけられる事だった。


 彼女は、目上の人に対しては、媚びを売っているというか、さも仕事ができる人のようにふるまっていた。


 上司の前では、忙しく振舞うために、社内の備品が切れたらすぐに報告して補充したり、簡単な雑務を進んで引き受けて、楽な業務でスケジュールを敷き詰めている。


 これは、入社前からそうだったらしい。

 インターン後も、社内の人間と密に連絡を取っており、大学生にあらずの日々を送っていたとのこと。


 俺はこの全ての訳がとあることにより明らかになった瞬間に、一度は彼女を嫉妬の目で見ていたが、時はもうすでに遅しで、すっかり彼女の周りに社員が集まっていた。


 そりゃそうか。

 自分がやるには、楽だがダルイ仕事を進んでひき受ける人は、好かれて当たり前だ。

 彼女の周りには、彼女の眷族のように人が群がる。


 ちなみに俺もその一員。

 なぜなら、もし彼女に嫌われてしまえば、もう俺の席はこの会社に無いのだから。


 はぁ。

 これが社会人になるということか。

 



 

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