第一章/永彩学園と怪盗レイン(3)
#3
永彩学園は日本唯一の捕獲者養成機関だけど、ベースとしては普通の高校だ。
東京都の郊外にある全寮制の中高一貫校。ただし中等部は完全選抜方式で、大半は高等部からの新入生となる。月曜から金曜まで授業があり、もちろん英語や数学といった一般科目も履修する。そこに《才能》関連の特別授業が乗ってくるわけだ。
衝撃的な事件と共に幕を開けた学校生活も、最初の一週間は平穏無事に過ぎ去って。
とある昼休みのことだった。
「──
(ん……?)
のんびりとした空気の中に興奮気味の声が放たれ、パンから視線を持ち上げる。
声は教室の右斜め前、廊下側の一角から聞こえてきていた。片方の机をくるりと反転させ、前後の席で向かい合ってランチを楽しんでいる二人の女子生徒。中でも黒髪をポニーテールにまとめた純朴そうな少女が、両手を胸元でぎゅっと握っている。
「今日もまた、このクラスで〝盗難〟が発生しました。入学式から一週間しか経っていないのに四件目ですよ、四件目! これはもう、どこかに【怪盗レイン】が潜んでいるとしか考えられません! 考えられないんです、やっぱり!」
「ん~、でもさぁ……ちなみにコマリン、今日は何がなくなったわけ?」
「! え、と……芯です。シャーペンの芯が、一本」
「……ウチ、あんまりよく知らないんだけど。【怪盗レイン】って、確か〝被害総額が数百億! 超ヤバい!〟みたいな人じゃなかったっけ?」
「そ、そうですけど、そうなんですけど……でも、標的を変えたのかもしれません」
「シャーペンの芯に?」
「はい、シャーペンの芯に!」
そうかなぁ、と呟いてからパックの豆乳をちう、と吸う鮮やかな赤髪の女子生徒。
──五月雨事件。
ここ数日、永彩学園高等部1─A……つまり俺たちの教室内で、ちょっとした出来事が話題になっている。何でも授業中にシャーペンやら消しゴムやら定規やら、そういった小物が〝消える〟らしいのだ。消えたモノはすぐにバッグやポケットの中から見つかるため厳密には窃盗ですらないのだけれど、確かに奇妙な事態には違いない。
「思い違いとか忘れてただけとか、そういうオチな気もするけど……」
「あはは。まあ、それならそれで一安心じゃないかな」
と。
別の席から聞こえてきた旬の話題に俺なりの推測を口にしてみたところ、一緒に昼食を取っていた男子生徒がそんな相槌を打ってきた。右隣の席でサンドイッチを食べている線の細いクラスメイト・
「実際、高価なモノは全く狙われてないわけだし。何かの拍子にぶつかって鞄の中に落ちただけとか、もしくは誰かの《才能》が暴発しちゃったのかも」
「そっちの方が有り得るよな。……って、じゃあ何で【怪盗レイン】の噂なんか」
「それも、一応は根拠があるみたいだよ?」
ピン、と頬の近くで人差し指を立てる御手洗。
男子にしてはいちいち仕草が可愛らしい彼によれば──そもそも【怪盗レイン】というのは、世間に名を轟かせる才能犯罪界の
持っている《才能》は現状不明。ただし〝様々な武器を自在に操る〟という目撃例が多数あり、その辺に転がっていた石ころで建物を倒壊させたとか、商売敵の怪盗組織を水鉄砲だけで壊滅させたとか、信じがたい最強伝説の類ならいくらでも転がっている。
例のバイク男なんかとは比べるべくもない、ブラックリストの筆頭だ。
「そんな【怪盗レイン】だけど……去年の終わり頃、だったかな。結構派手な盗みをやらかして、
「え。……【怪盗レイン】って高校生だったのか?」
「違うと思うけど、伝説の大怪盗なら変装技術くらいあるんじゃない?」
だから都市伝説なんだってば、と肩を竦める御手洗。……要するに、1─Aで起きている不可思議な現象と世間を騒がせる大物の噂が混ぜ合わさった結果、シャーペンの芯を盗み出す【怪盗レイン】という眉唾な存在が爆誕したらしい。
「絶対に、絶対に捕まえないといけません──〝捕獲者〟見習いとして!」
そんな噂をどこまで信じているのかはともかく、例の黒髪ポニテ少女は両手をぎゅっと握り締めてはメラメラと正義感に燃えている。ちなみに、この前の授業中に虎石の《磁由磁在》を褒めていたのもあの子だ。名前は、確か
(【怪盗レイン】を捕まえる……か)
彼女の発言を頭の中でなぞってみる。
ネットの情報を拾い集めるだけでも分かる通り、件の【怪盗レイン】は正真正銘の悪党だ。捕獲者全盛の世の中でごく少数とも言える第一線級の才能犯罪者。そんなヤツを捕まえる、なんて、普通なら子供の戯言に聞こえるかもしれない。
だけど俺たちは永彩学園に通う生徒で。
それはつまり、才能犯罪者に対抗する捕獲者の〝卵〟──という意味に他ならない。
「まあ……【怪盗レイン】はさすがに相手が悪いと思うけど」
「どうかな。案外、鳴瀬さんなら完全な夢物語ってわけでもないかもよ?」
「え、そうなのか?」
「もちろん、今すぐにってつもりで言ってるわけじゃないけどさ。……来都、デバイス出せる? ボク、あんまり食べるの早くなくって」
三切れ中の二切れがまだ手付かずのまま残ったサンドイッチを見下ろして苦笑する友人に「ああ」と返しながら、メロンパンの最後の一口を放り込んだ俺は制服の内ポケットからスマホのような形状の電子端末──〝デバイス〟を取り出す。
正規登録した捕獲者全員に一律で支給される専用端末。
スマホの完全上位互換であるデバイスには色々な使い道があるのだけど、中でも一番の目玉は〝殿堂才能〟と呼ばれるモノだろう。《裁判》を始めとする、歴代の捕獲者たちが後世に遺してくれた【CCC】の共有財産。形式はアプリのようなそれで、基本的には誰でも──《裁判》は本部の許可が必要な場合もあるけど──使うことができる。
ただもちろん、今使いたいのは《裁判》じゃない。
コアクラウン02:《
これは、その名の通り各才能所持者の情報を記録し、確認するための殿堂才能だ。もちろん一般人のデータはみだりに覗けないものの、捕獲者を目指す永彩学園の生徒は準公的な立場。持っている《才能》が《解析》を躱す効果でも持っていない限り(実は御手洗がその例なんだけど)、客観的な情報の類は一通り閲覧できる。
その中の一つに〝捕獲者ランク/評価pt〟という項目があった。
【ランク外(通称:見習い)──評価pt:0~99】
【ランクE──評価pt:100~499】
【ランクD──評価pt:500~999】
【ランクC──評価pt:1000~4999】
【ランクB──評価pt:5000~9999】
【ランクA──評価pt:10000~】
【ランクS──評価pt:不問(要・特殊条件)】
才能犯罪を解決したり抑止したり、あるいは【CCC】の発展に貢献したりする度に与えられる〝評価pt〟と、それを基に決定される〝捕獲者ランク〟。俺たち捕獲者の実力や功績というのは、こういった
だからこそ、というか何というか。
【積木来都──捕獲者ランク:見習い/評価pt:7】
……こうなるのも仕方ない、ってことだ。
「あはは……」
地味に打ちひしがれていると、隣に座った御手洗が取り成すように笑ってくれる。
「別に、落ち込むことないんじゃない? ボクたち一般クラスの新入生はほぼ全員が入学と同時に捕獲者見習いになったばっかりで、評価ptを稼ぐ機会なんてまだ来てないんだから。定期テストとか特別カリキュラムとか、これから頑張っていけばいい」
「そうだけどさ。……それで? 鳴瀬なら夢物語じゃない、っていうのは……」
「《解析》してみてよ、来都」
はにかみ笑顔で促され、指先でデバイスの画面をなぞる。アクセスしたのは鳴瀬小鞠の情報だ。彼女の持つ《才能》の詳細と、それから肝心の評価ptが表示される。
【鳴瀬小鞠──捕獲者ランク:見習い/評価pt:82】
「! おお……」
思わず目を見開いた。……評価pt82。捕獲者ランクはまだ〝見習い〟だけど、一桁スコアである俺からすれば文字通り桁違いの数値だ。
「鳴瀬さん、永彩に入学する前から【CCC】に所属してたみたいなんだよね」
ようやく二つめのサンドイッチに手を伸ばした御手洗が言う。
「《
「へえ……めちゃくちゃ偉いな」
「めちゃくちゃ偉いんだよ。だから、今もあんな風に燃えてるんじゃないかな」
教室の前方で【怪盗レイン】の対策を練っている鳴瀬をちらりと見遣りながら、御手洗は尊敬の籠もった口調で零す。俺もまた、彼女に対する心証を──元から悪くなかったものの──さらに一段階改めつつ、その流れで何となく教室内を見回す。
……出会ったばかりのクラスメイトたち。
最近の研究では《才能》の発現によって遺伝的な変異が云々、といった学説もあるらしいけど、言われてみれば派手な髪色をしている生徒も少なくない。ともかく、ここにいる人間は誰も彼もが才能所持者で、誰も彼もが立派な捕獲者を目指している。
(俺も、そのはず……だったんだけど)
不意に何とも言えない感情に襲われる。……だけど、そんなものを表に出すわけにはいかない。誤魔化すように首を振ってさっさと話題を変えることにする。
「じゃあ、やっぱり鳴瀬がA組のトップなのかな」
「え? ……まさか」
俺の呟きに驚いたような顔をする御手洗。
彼は柔らかな髪を静かに揺らして、今は主のいないとある席に視線を向ける。
「来都、知らないの? A組には
「……追川
言っている途中で思い当たり、中途半端に言葉を止める。
追川家──と言えば、捕獲者の間ではかなり有名な一家だ。父親が評価ptにして10000オーバーのAランク捕獲者。母親も強力な《才能》を持っており、第一子である追川
試しに彼自身のデータを《解析》で覗いてみれば、
【追川蓮──捕獲者ランク:C/評価pt:2287】
「うわ……」
捕獲者ランクは脅威のC。
複数の死傷者が出る規模の才能犯罪で総指揮を担当できる、第一線級の捕獲者だ。
「桁違いっていうのもおこがましいな、これ……何食ったらこんなことになるんだよ」
「あはは。ボクら全員の評価ptを足したって勝負にならないからね。何を食べてるのかは知らないけど、やっぱり英才教育ってことなんじゃないかな」
「永彩教育? ……じゃない、英才の方か。でも、捕獲者の英才教育って何のことだ?」
「小学生の頃からお姉さんに連れ回されて色んな事件に臨場してきたみたい」
「ああ、そういう……」
名探偵○ナンばりのフットワークだ。そこまでスパルタで扱き上げられれば、確かに嫌でも捕獲者としての経験値は溜まっていくことだろう。
「この評価ptなら、普通は選抜クラス──中等部からの繰り上がりがメインの特別クラスに招待されるはずなんだけどね。自分で断って一般クラスの方に来た、って噂だよ。まあ、その理由はボクもよく知らないけど……」
御手洗が小さく首を横に振る。……追川蓮。俺の記憶では、くすんだ金色の髪と威圧的な雰囲気が特徴のやさぐれた不良、という印象だ。目付きも口調も授業態度もあまり褒められたものではない。けれど彼はエリートであり、永彩学園ではそれが全てだ。
「……お」
その辺りで、不意に御手洗が廊下の方へと視線を向けた。
いや──不意に、というのは少し違う。正確に言えば、彼は周りのクラスメイトがざわつき出したのに釣られて身体の向きを変えただけだ。つまりは、御手洗だけじゃなく誰もが注目するような何かが教室の外にある、ということになる。
「どうしたんだよ、御手洗──……いッ!?」
口先で疑問を表明しながら何気なく首を動かした俺は、三度大きく目を見開いた。
透明な窓の向こう側を緩やかに歩く一人の少女。キラキラと華やかに煌めくブロンドカラーの髪。ほんの数日前にも見かけているはずなのに、こうまで視線を奪われる。
「い、一条さんだ……! 選抜クラスの!」
興奮気味に声を潜めた誰かの呟きが耳朶を打った。
一条さん──フルネームを一条光凛。彼女の名を呼ぶ声に憧れや尊敬のニュアンスが混じっている理由はきっと百や二百じゃ収まらないものの、前と違ってデバイスが手元にある今ならさらに分かりやすく客観的なデータを示すことができる。
【一条光凛──捕獲者ランク:S/評価pt:14293】
──一条さんは、この国にたった七人しかいないSランク捕獲者の一人だ。
相手を意のままに操る《絶対条例》の《才能》を持ち、大規模な才能犯罪組織をいくつも壊滅させてきた。戦場の花、無垢なる金姫、
それでいて容姿端麗で。誰にでも優しくて。頭脳明晰で。真面目で格好良くて。
欠点なんか一つも見当たらない、完璧な女の子……なのだ。
「……来都? ねえ、来都?」
俺が一条さんの魅力を(脳内で)熱く語っていると、隣から怪訝な声が掛けられた。
「どうしたのさ。一条さんが通りすがった瞬間に真っ赤になって、ライブハウスのヘドバンみたいな勢いで机に顔を突っ伏したりして……」
「……そんなこと、してたか?」
「してたも何も、今まさにしてるよ」
呆れたように返してくる御手洗。その一言で自分の体勢に気が付いた俺は、何度か深呼吸をしてからそっと顔を持ち上げる。ごくりと息を呑みつつ廊下を窺えば一条さんの姿は見えなくなっていて、俺は色々な意味で胸を撫で下ろした。
「ふぅ……危ないところだった」
「いや、だから何が……? 何も危なくないと思うけど」
「そんなことないって。あのまま一条さんの聖なる光を浴び続けてたら、俺の身体は焼け落ちるか消し炭になるかのどっちかだ」
「どういう体組成なの、キミ……?」
ジト目で突っ込みを入れつつ、御手洗はやや不審そうな表情を浮かべている。
入学早々にできた友人をこんなところで失うわけにもいかないため、俺は少しだけ声を潜めて事情を──もとい、秘密を告げることにした。
「まあ、何ていうか……俺さ、一条光凛ガチ勢なんだよな」
きっかけが何だったのかはよく覚えていない。
ただ一点、特筆すべきことがあるとすれば、俺は伝説級のSランク捕獲者──一条光凛と同じ小学校に通っていた。特段の思い出があるわけじゃないけど、何度か遠目に見た記憶はある。それだけでも、興味を持つには充分だった。
何となく気になって。
何となく目で追うようになって。
だから、俺が永彩学園を受験したのは〝一条光凛の進学が決まっていたため〟だ。立派な捕獲者である彼女と並び立てるように。彼女の視界に入れるように。あわよくば、彼女を護る存在になれるように──そんな思いで、俺は捕獲者を志した。
「……って、わけだ」
長々と語って首を振る。
「だから、一条さんがこの前出したファースト写真集は三冊持ってるし、デバイスの背景画像は【CCC】の公式サイトで拾った一条さんのオフショットだし、寮の部屋にはポスターも飾ってる。その代わり、実物は可愛すぎてまともに見れない」
「なるほどね。それは、立派なストー……じゃなくて、ボクは一途でいいと思うけど」
「ほっとけ」
茶化すように言ってくる御手洗にムッとした顔で返し、ささやかな抗議の意として片手で頬杖を突いておく。……俺としても、どうしてここまで一条さんに惹かれるのかはよく分からない。まあ、それが恋というやつなのかもしれないけど。
「来都が一条さんファンだとは知らなかったな」
取り繕うように御手洗が再び口を開く。
「富士山どころかエベレスト並みに高嶺の花だと思うけど……まあ、ボクは友人として応援してるよ。何か力になれることがあったら教えてね」
「? 応援も何も、一条さんが幸せになってくれれば俺のことなんかどうでもいいだろ」
「うわ、思った以上に重傷だなこれ……」
曖昧な苦笑と共にサンドイッチの残った一切れをぱくりと口へ放り込む御手洗。ウエットティッシュで指先を拭いていた彼は、ふと思い出したように首を傾げる。
「そういえば、来都。さっき、一条さんの隣にいた助手の子が来都のこと見てたような気がするんだけど……もしかして、知り合い?」
「え?」
言われて記憶を辿ってみる──ものの、言うまでもなく分からない。
何故なら、だ。
「……残念ながら、一条さんしか見えてなかったな」
「はいはい、ごちそうさま」
白旗を上げる俺に対し、御手洗は行儀よく手を合わせながら二つの意味でそう言った。
##
──夢を、見ていた。
「はぁ、はぁ……」
夜、寮、自室。荒れた呼吸で目を覚ます。
薄暗闇の中で、掛け布団がベッドの脇に垂れ落ちているのが分かった。きっと悪夢にうなされた俺が無意識に蹴飛ばしてしまったんだろう。枕の近くに置いていたデバイスで時刻を確認しつつ、ついでにとある人物からのメッセージに視線を落とす。
【ミッション①:1─A所属、
……端的かつ明瞭な指令。今の俺が抱えている、唯一にして絶対的な行動指針。
俺、積木来都は才能所持者だ。永彩学園に通っているんだから当然のことだけど、他のクラスメイトたちと同じく固有の《才能》を持っている。数ある《才能》の中でもとびきり特殊で、強力な割に扱いづらい能力を持っている。
──〝夢〟を、見るんだ。
今から三年後に、前代未聞の大事件が起こる夢を。
俺が一条さんに憧れて捕獲者を志したのは、嘘じゃない。
この永彩学園で、御手洗や鳴瀬たちと切磋琢磨していきたい気持ちもちゃんとある。
でも、あんな夢を見てしまったからには……あんな未来を知ってしまったからには、無視なんてできるわけがなかった。最悪の未来を変えられるのは、それを知っている俺しかいない。俺が失敗すれば、立ち止まれば、その瞬間に全てが終わる。
(だから……やらないわけには、いかないよな)
最初のターゲットは、天咲輝夜という名の少女らしい。
今の俺はまだ喋ったこともないけれど、三年後の俺は彼女のことをよく知っている。容姿も、性格も、背景も、立場も、そしてもちろん《才能》も。
世界を救うため、■■■■を救うため。
俺は、彼女を──……。
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