バクマン

成星一

0

 てらてらとぬめって光るピンクの触手が、こちらに向かって飛んできた。


 餌を捕獲しようとするカメレオンの舌みたい。まっすぐ伸びて迫ってくる。


 おれはそれをジャンプでかわした。


 轟音とともに、すかさず第二波がやってくる。


 さらに高く跳んでかわす。


 第三波、第四波、第五波と触手が飛んでくる。次から次へときりがない。


 ちっ––


 おれが戦っているのは、名前を持たない触手の悪魔。ピンク色のゼリー状の本体から、びっしり触手が生えている。


 やつがとり憑いているのは、仰向けに倒れたひとりの人間。ゼリーの底に押しつぶされるみたいな形で意識を失っている。もちろんおれの知らないやつだ。


「(グガガガガガガガガ―!)」


 悪魔の声が意識を通して、脳内に直接響く。


 これはやつの知能であり、直接的な言葉として認識できる場合もある。


「(ウォンっ!)」


 咆哮とともに次の触手が飛んできた。今度はまとめてやつから生えるすべての触手が無数に重なり、上下左右前後から同時にこちらに飛んでくる。


 バチンと大きな音がして、おれのまわりで四方の風がぶつかりあう。


 爆発音と衝撃波。


 まばたきするまに迫ってくるピンクの塊。


 避ける場所などどこにもない。


 あっ。そうそう……


 あんた、おれのことを知ってるかい?


 おれは……


「変身っ!」


 闇のなかに明るい光が、ピカっと輝く。


「出てこい、ユメ・ブレード!」


 右手から伸びる白い光を横に薙ぐ。ピンクの包囲を切り裂いた。


「(グガガガガガァ―!)」


 茶色い体液が異臭を放ち切り口から噴出する。悪魔の叫びが頭に響く。


 おれは触手の断面を跳び越えて、闇の地面に着地する。茶色い体液が、雨のように降ってくる。


 悪魔にとってこんな攻撃は致命傷でもなんでもない。やつはこの程度では動きを止めない。本体のコアを破壊しない限り触手は無限に再生してくる。こんなものをいくら切っても悪魔を倒すことなどできないのだ。


「(グガガガガガガ……)」


 触手の断面で茶色い泡が沸騰している。


 回復と再生をしようとしているようだ。とり憑いた人間の生命エネルギーを自分のものに変換して。


「(キサマ……ナニモノダ……)」


 悪魔の声がはっきりと言葉になって頭に響いた。


 おれはやつに対峙した。再生し始めた触手の奥に、きらりと光る黒いコアが見える。そこがやつの弱点だ。


「させるか!」


 ユメ・ブレードをまっすぐかまえた。


 地面を蹴って走り出す。


「(グガ……?)」


 やつの動きが一瞬止まる。ちぎれた触手は、再生も攻撃もまにあわない。断面を沸騰させ、ブルンブルンとのたうっている。再生に気をとられているせいだろう。弱点がガラ空きだった。


「そこだあああ!」


 光の剣がやつの本体をとらえた。ピンク色の身体から露出している、どす黒いコアの部分に突き刺した。


「(ウガアアアアアアア!)」


 コアを貫通したユメ・ブレードの刀身が、爆発的に白い光を放った。悪魔の叫びが光のなかに響く。


 目のまえの景色が光に飲まれ白一色になる。


 ホワイトアウトした。


 やつの身体が絶叫とともに光のなかに溶けていく。


 静寂。


 やがて光がおさまると、真っ暗なもとの景色が返ってくる。そこは、なんの変哲もないアパートの一室だった。


「ふう……」


 これで終わりだ。


「(キサマ……ナニモノダ……)」


 先ほどの悪魔の問いを思い出す。


 おれは、バクマン。


 ヒーローだ。


 ……夢のなかでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る