事故物件を望む女

譚月遊生季

事故物件を望む女

「……なるほど。事故物件の、内見を希望されておられる……と」

「はい! こちらの会社で扱っている物件に、とびきりヤバいのがあると聞きまして……!」


 相談カウンターに座るのは、ニコニコと楽しげな女性客。

 不動産会社の男は、表面上は手慣れた営業スマイルを浮かべつつも、内心げんなりとしていた。

 

 物珍しさや家賃の安さに惹かれ、わざわざ事故物件を選ぶ物好きは時たま現れる。

 だが、大抵は一時の気の迷いだ。短期間で根を上げて、短ければ一週間もせずに退去していく。中には肝試し感覚で内見だけ行って、そのままフェードアウトする者さえいる始末だ。


「(くそ。俺の担当の時は来るなよって思っていたのに……)」


 会社の従業員は皆、頭を悩ませていた。

 彼らが数多く取り扱っている物件の中の、たった一つ。されど確実に事業に支障ししょうを与えているその物件は、何を隠そう「本物」なのだ。ネットで噂になってしまっているため、表記を誤魔化すこともできない。

 おはらいもしたし霊能者にも頼ったが、一向に改善しない。もはや従業員たちにできるのは、「せめて自分が担当の時は、内見希望者が現れないように」と祈ることだけだった。


「……まずは、誓約せいやく書にサインをいただけますか?」

「おお、誓約書! ホンモノっぽさが凄いですねぇ」


 弾んだ声で語る女性。

 気楽なもんだ……と、男は内心毒づく。

 先月も、内見に行った従業員が翌日に階段から転落して負傷した。当該とうがい従業員は入院中に退職希望を出し、今後出勤してくることは無いだろう。


 ため息を噛み殺し、男は内見用の社用車に女性を案内した。

 気は進まないが、自家用車のローンがまだ残っているし、転職のあてはない。与えられた仕事をこなす以外の選択肢は、彼には存在しないのである。



 

 ***



 

 到着した途端、女性はぱあっと目を輝かせ、軽い足取りで玄関の方へと向かった。


「良いですね! 素敵な雰囲気です」


 女性はそう言うが、男にはいやな気配しか感じ取れない。

 これだからオカルトマニアは……という感情を引きつった笑みに隠し、男は住宅の鍵をビジネスバッグから取りだした。


 玄関の鍵を開けた瞬間、じっとりとまとわりつくような空気が男の背筋を撫でる。


「うん、最高です! 」

「左様ですか……」


 いつまでそう言っていられるか見ものだ、と心の中で吐き捨て、男は使い捨てのスリッパを用意する。

 廊下に足を踏み入れた瞬間、背筋が凍るような感触とともに、ガタガタガタと地団駄じだんだを踏むような音が響いた。


 ラップ音だ。

 男は息を飲み、思わず視線を伏せる。


 いる。

 見えないが、間違いなく、がいる。


 ……だが、面白半分で来た客なら、大抵はこの辺りで怖気付おじけづくはずだ。

 男はちらりと、隣の客を見る。青ざめたり震えたりしていれば、「もう帰られますか?」と声をかければいい。


 ……と、思っていたのだが。

 女性は頬をバラ色に染め、うっとりと微笑んでいた。廊下の真ん中を見つめ……一応震えてはいたものの、それはどう見ても恐怖ではなく歓喜によるものだった。


「ああ……やっぱり、来て良かった」


 一歩、一歩と、女性はヨダレを垂らしながら廊下の奥へと歩み寄る。

 男は心なしか、厭な空気が女性の動きに合わせるように遠ざかっているように感じた。


「はぁはぁ……かわぃいいいい!!」

「お待ちくださいお客様!!!」


 とんでもない場面に居合わせてしまった、哀れな不動産会社の従業員。本音を言えばそのまま走って立ち去りたかったが、ビジネスマンとして客を放置することなどできない。

 とはいえ、このままでは理解も状況も追いつかない。男は意を決し、目の前の相手に尋ねた。


「あの……私の目にはお客様以外、誰も見えていませんが……」

「大丈夫です! わたしは小さい頃から霊感あるんで!」

「え、ええ……」


 いったい、何が「大丈夫」なのか。

 普遍ふへん的な社会生活を送ってきた男には、目の前の女性が既に手遅れに見えてならない。色々な意味で。

 

「『大島〇る』で一番ヤバそうなところを探して、調べたらそちらの管理下だと分かったので飛んで来ました! 写真にメッッッチャ可愛い子映ってましたし」

「『大島〇る』をマッチングアプリみたいに使わないでください」

「いやでも! 元カレが成仏しちゃって寂しかったんです……! わたし、幽霊しか愛せないのに……」

「……難儀ですね……」


 「性癖が」……という言葉は、そっと胸にしまった。


「ここの女の子も可愛いですね! 無事新しい恋が出来そうです!」

「…………」


 男はどうにか営業スマイルを貼り付けたが、瞳に宿った虚無の色だけはどうにもできなかった。



 

 ***



  

 無事賃貸ちんたいの取引が成立し、数ヶ月後。

 衝撃的な邂逅かいこう余韻よいんめやらぬ男の前に、再び彼女は現れた。


 相談カウンターにて、女性は気まずそうに語る。


「あの家の、すっごく可愛かったんですけど……『幸せな時間をありがとう』って、成仏しちゃって……」


 うっすらと涙ぐむその表情は、まさしく失恋後の乙女そのものだった。


「それで……別の事故物件って、あったりしませんか……?」


 男は考えることを諦めた。

 にこやかな営業スマイルとは裏腹に、その心はもはや虚無そのものだった。


「『大島〇る』で探してみてはいかがでしょう?」

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事故物件を望む女 譚月遊生季 @under_moon

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