恭子はいつも、自分の手の爪を見ていました。

湯船に浸かっていたり、トイレで踏ん張っていたり、ご飯を食べるために箸やスプーンを持っていたりするときなど、自分でも気付かぬうちに、じっと指の爪を凝視しているのでした。

爪の一体何が、恭子をそこまで惹きつけているのか、それは恭子自身にもわかりませんでした。ただ、手のひらを上にして、軽く五本の指を曲げたときに彼女に顔を向ける五つの爪を、一つ一つ丁寧に見る癖が、いつの間にかすっかり染みついていました。まるで行儀よく展示されている絵画作品を鑑賞するかのように、恭子はじっくりと自分の爪を眺めるのです。

恭子の爪は整っています。

細長く、指の先端から見ると、計算され尽くした美しい聖堂のアーチのように、左右対称の曲線を描いてふっくらと盛り上がっているのがわかります。桜貝のごとく柔らかいピンク色をして、いつもつやつやと光を反射していました。そして爪の根本の白い部分は、新雪をまとった山のような、うぶでなだらかな稜線を描いていました。

恭子が今よりもっと小さかった頃、彼女は、それぞれの爪には独立した個性があると信じていました。

爪の根本を上に、先端を下にしてじっくり眺めていると、だんだん人の顔のように見えてくるのです。

右側を少しだけ切りすぎてしまった右親指の爪は、片頬だけ歪めて笑う優しいおじいちゃん。先端がやや尖り気味の左人差し指の爪は、とても頭の回転が早くて頼りになるキャリアウーマン。根本の白い部分が甘皮の下に隠れている左右中指の爪は、いつも元気に周囲の人々にちょっかいをかけている双子の兄弟。他の爪よりも四角気味の左薬指の爪は、ちょっと恥ずかしがり屋だけど、一度仲良くなったらとことん温かく接してくれるお姉ちゃん。細く小ぶりでありながら一番形が整っている右小指の爪は、陰で男子から圧倒的支持を集める、クラスの隠れマドンナ。

恭子の指先には、いつも仲間たちが宿っていたのでした。

真夜中にふと目を覚まして、暗い部屋にひとりぼっちでいることに底知れぬ心細さを感じたときや、とてつもない腹痛に襲われてトイレでひとり絶望しているとき。自分一人ではどうすることもできない状況に陥ったときに、恭子はすがり付くような思いで自分の爪を見るのでした。

わたしには彼らがついている。

そういう直感的な確信が、恭子を安心させました。彼女にとって、自分の爪は精神的支柱だったのです。自分の爪以上に心強い味方を、恭子は知りませんでした。

ところで、恭子のお父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、おじさんも、おばさんも、みんな同じ形の爪を持っていました。細長くて、ふっくらと美しい爪です。

遺伝だねえ。そう言っておばあちゃんは愉快そうに笑っていました。

ところが、親戚の中でたった一人だけ、みんなとは違う形の爪をした人がいました。

恭子のお母さんの姉の息子、つまり恭子の従兄弟です。

恭子よりも十ばかり年上の彼は、丸っこくて、小さく平たい、根本の白い部分がほとんど無い爪を持っていました。

恭子がみんなとは様子の違う彼の爪に気がついたのは、四年前のことでした。



長年寝たきりの生活を送っていた、恭子のおじいちゃんのお通夜の日でした。

つつがなくお通夜を終えたあと、葬儀場内にある広い畳の部屋に、親戚一同が集まっていました。出前のお寿司やオードブルや一升瓶やらが、低い長机の上に所狭しと並んでいます。

おじいちゃんは顔の広い人だったので、親戚のほとんどがお通夜に出席していたようです。ざっと四十人以上の老若男女が、文字通りすし詰めになっていくつもの長机を囲んでいました。

恭子のお母さんとおばあちゃんは絶え間なく親戚たちの間を行き来して、言葉を交わしたり、料理やお酒がみんなに平等に行き渡るよう調整したりと、忙しそうに振る舞っていました。

恭子もはじめのうちは、お母さんから指示を受けて、取り皿やお箸を並べたり、たくさんの湯呑みに緑茶を注いだりとお手伝いをしていましたが、そのうちやることがなくなってしまったので、出入り口に一番近い長机に座って、すでにへべれけになっているお父さんの隣でお寿司を食べていました。

「だからね、こういうことですよ」

四十人以上の親戚たちが、それぞれ好き勝手に話をしている空間は、まるで恭子が通っている小学校の教室のように騒がしいものでした。形を定めない雲のような声のうねりの隙間を縫って、お父さんの声が恭子の耳に入ってきます。お父さんはさっきから同じセリフを何度も口にして、恭子とは反対側の隣にあぐらをかいている、白髪混じりのおじさんに絡んでいました。

はあ、そういうことですかと無表情で相槌を打っているおじさんのことを、恭子は知りませんでした。それどころか、この部屋に集っている半数以上の親戚たちのことを、恭子は知らなかったのでした。

お通夜が始まってすぐ、お母さんは恭子を連れて、一通り親戚たちに挨拶をしに行きました。おじいちゃんの兄弟姉妹、その配偶者、はとこ、大叔母……。何が何だかわからないまま、恭子はお母さんの後ろに半ば隠れるようにして、自分よりも年上の親戚たちに会釈を繰り返しました。

あらあ、恭子ちゃんこんなに大きくなっちゃって。

見ず知らずの他人に等しい親戚たちから同じような言葉ばかりかけられて、もじもじと居心地が悪そうに視線を漂わせていた恭子は、ふと、大叔父さんの手に目を留めました。

銀色のビール缶を持っている大叔父さんの爪は、恭子のそれと同じ形をしていたのです。大叔母さんの手に視線を移すと、彼女の爪も同様です。

もはや関係性を表す言葉がわからないような親族の手元をざっと見てみると、みんな揃いもそろって同じ爪をしていることがわかりました。血が繋がっていない親戚も大勢いるはずなのに、そのとき恭子は、違う形の爪を見つけ出すことができませんでした。

大叔母さんと言葉を交わしているお母さんの袖をちょい、と引っ張って、恭子はその驚くべき発見を耳打ちしました。どうしたの、と大叔母さんが尋ねるので、お母さんは恭子の発見を伝えました。

お母さんと大叔母さんが部屋中を見回してみると、なるほど恭子の言った通りでした。

「親戚みんな爪の形が同じだなんて、おばさんこれまで全然気付かなかったわ。恭子ちゃんは頭が良いのねえ」

大叔母さんは腰をかがめて恭子を褒めました。

血縁関係の有無に関係なく、親戚全員が同じ爪の形をしているということは、いささか不可解なことであったかも知れません。でも恭子は、そのことにとりたてて疑問を感じませんでした。

この世界に誕生してから、ほんの数年しか経っていない彼女にとって、身の回りの出来事は全てが新鮮な驚きを含んでいました。だから、親戚というのはみな同じ形の爪を持っているということも、恭子より何倍も長い期間生きてきた人々にとっては、当たり前の事実であるのだろうと恭子は思ったのです。

恭子とお父さんが座っている長机は、部屋の端っこにあったので、少し首を伸ばすと部屋全体を見渡すことができました。

恭子の右隣にお父さん、左隣には三十代くらいの男の人が、さらにその男の人の隣には、彼の配偶者らしき女の人が座っています。散乱している取り皿や醤油とわさびの小袋などを挟んだ、恭子の向かい側には、大学生だという茶髪のお姉さんがいて、彼女の左隣には、学ランに身を包んでいる黒縁メガネの男の子が座っていました。

恭子とお母さんはこの人たちにも挨拶をしたはずでしたが、恭子は彼らとの関係性がどのようなものであったか、思い出すことができませんでした。

「恭子ちゃん、今いくつだっけ?」

恭子の左隣の男の人が話しかけてきました。お酒が回っているせいで顔は赤く、後ろの畳についた手には例のごとく細長く整った爪が生えています。

八歳だと恭子が答えると、その男の人は「おおっ」と声を上げました。

「ついこのあいだまで小さな赤ちゃんだと思ってたのに、ほんと、時間が経つのは早いわね。りょう、今いくつだっけ? 十七、八?」

配偶者らしき女の人が、黒縁メガネの男の子に話しかけました。りょうと呼ばれた男の子が顔を上げて、でも目は伏せながら、「十八」とくぐもった声で答えました。

「てことは、りょうと恭子ちゃんは十歳差か。恭子ちゃんもあと十年したら成長してりょうみたいになるのね」

「ちょっとお母さん、りょうと恭子ちゃんを一緒にしちゃダメだよ。恭子ちゃんに失礼でしょ」

恭子の向かいに座っているお姉さんが間髪入れずに突っ込みます。お姉さんが空中で振った手に電灯の白い光が当たって、ピンク色のマニキュアで色付いた細長い爪が濡れたように輝きました。

お姉さんの言葉に、男の人と女の人が声を出して笑いました。笑い声に気付いて、恭子のお父さんがこちらに顔を向けます。りょうくんは合わせるように口の片端を少し上げて、重たい前髪の合間から恭子をチラリと見ました。

りょうくんと目が合ったのは一瞬だけでしたが、恭子はなぜか、彼の目つきが心に引っかかりました。暗い川底から地上を窺う魚のような、鋭くぎらついた、冷たい目つきでした。

スッと目を逸らし、りょうくんは俯いてガリを箸でつまみました。

その手元を見て、恭子は小さく声を上げました。幸いその声は、親戚たちの声の渦巻きに紛れて誰の耳にも届かなかったようです。

恭子はじっとりょうくんの手元を見つめます。

丸っこくて小さく、平べったくて、しじみの貝殻のような末広がりの爪。根本の白い部分は影もなく、伸びきった爪先が、広い浜辺に寄せる白波のように一本一本の指を縁取っていました。

おそらくりょうくんは、この部屋の中でたった一人、恭子たちとは違う種類の爪を持つ人でした。

りょうくんは短い爪の生えた指を器用に動かして箸を操り、小皿の醤油にイクラの軍艦巻きを付けます。付けすぎた醤油を小皿の端で落とし、口に運びました。

なんてことはない一連の動作でしたが、恭子にはその全てが物珍しく見えました。


お腹がいっぱいになったし、ずっと同じ場所に座っているのにも飽きてきたので、恭子はお母さんを探しに行くことにしました。あちこち忙しく動き回っていると思っていたお母さんとおばあちゃんは、いつの間にか恭子の視界からいなくなっていたのです。

部屋はお通夜の後ということが信じられないほど騒がしく、宴会のような様相でした。大人たちはお酒を片手に気持ちよさそうに言葉を飛ばしています。

恭子以外にも、りょうくんのような未成年の子どもが何人かいましたが、みんな恭子よりもかなり年上で、それぞれ大人の会話に参加するか、一人でスマホをいじっている者ばかりだったので、恭子の対等な遊び相手にはふさわしくありませんでした。

お父さんが若かった頃はね、と恭子にも絡み始めたお父さんを無視して、彼女は立ち上がりました。おーい、と恭子を呼び止める寂しげな声を背中で受け流し、ぶらぶらと長机の間を歩きながら、恭子はお母さんを探しました。

部屋を一周してもお母さんの姿が見当たらなかったので、恭子は部屋を出ました。備え付けの茶色いサンダルを履いて廊下に出ると、部屋の騒がしさと熱気が嘘のように、ひんやりとした静けさと冷気が恭子にまとわりつきました。サンダルのゴム底が、灰色の無機質な床に押し返されているのを感じながら、恭子は一人突っ立って廊下の先を見やりました。

廊下の向こうには広いロビーがあります。数時間前、恭子はそこでお母さんやお父さん、おばあちゃんたちと一緒にお通夜の出席者を出迎えたのでした。今はシャッターが閉められていて中の様子を伺うことはできませんが、ロビーのさらに向こうには、祭壇のある式場があります。

この日のお昼頃、他の親戚たちよりも一足早く葬儀場に到着していた恭子たち一家とおばあちゃんは、もうすでに整然と並べられていた参列者用の白い椅子や、白や黄色、ピンクや紫など、色とりどりの供花に埋もれながら微笑んでいるおじいちゃんの遺影を、式場の出入口に佇んでしばし眺めました。空調が効いて少し肌寒く感じるくらいの式場には、線香の匂いが染み付いていて、恭子は胸がつまるようでした。繋いでいたお父さんの手に力を入れると、お父さんも恭子の手を握り返してくれました。

そんな昼間の記憶が懐かしく感じられるほど、この日は恭子にとって長い一日でした。

お母さんを探すという本来の目的を忘れて、恭子は呆けたように廊下に立ち尽くしていました。恭子の他に誰もいない廊下は、そこだけ時空が歪んでいるように思われました。

このままたった一人で廊下に取り残されて、そのうちお父さんもお母さんもおばあちゃんも、みんな恭子のことをすっかり忘れてしまうのではないかという想像が頭をもたげてきます。みんなから忘れ去られてしまうなんて、とても怖くて悲しいことのはずなのに、恭子は全然怖くも悲しくもありませんでした。むしろ、それが少しばかり清々しく、心地よいことのように思えました。

おじいちゃんが亡くなったという事実を持て余したまま、非日常的な場所で見ず知らずの親戚たちに囲まれ、普段とは違う気の使い方をし、何かと緊張しっぱなしだった恭子は、すっかり疲れていました。騒がしい部屋にいた時には自覚していなかった疲労が、どっと押し寄せてきます。どこかに腰を下ろすことさえ億劫でした。

棒立ちになったまま、恭子は廊下の先を見つめ続けていました。

「あら、恭子」

廊下の先から、お母さんがひょっこり顔を出しました。式場の手前のお手洗いから出てきたようです。お母さんの声で一気に金縛りが解けたように、恭子は駆け出しました。



一本一本の爪にヤスリをかけて形を整え、丁寧にネイルオイルを馴染ませ、軽くマッサージをする。これが、恭子の就寝前のルーティーンでした。これに加えて、二週間に一回は甘皮処理をします。

恭子の部屋の勉強机の上には、ヤスリやネイルオイル、キューティクルリムーバーなど、爪のケアに必要なグッズがたくさん並んでいます。どれも恭子がコツコツとお小遣いを貯めて買い集めてきたものでした。

小学六年生になっても、恭子は相変わらず自分の爪ばかり見ていました。もう爪の形から個性を見出すようなことはしなくなりましたが、自分の存在を確かめるように、ふとしたときに自分の指先に目を落とす癖は、ずっと染み付いたままです。

ここ数年、学校で友達や先生たちから、「恭子ちゃんの爪はきれいだね」と褒められることが増えました。恭子は、爪の形にも美醜の基準があるらしいということを知りました。

そのことに気づいてからよく周りを見てみると、恭子が思っていた以上に、世の中にはさまざまな形状の爪が存在していることがわかり、彼女は驚きました。同時に、自分の爪は無数に存在する爪の種類の中でも、美しさに関しては最上位クラスに属しているということに、ある種の誇らしさを感じたのでした。

最近、周りの友達の影響を受けて、恭子は美容やファッションに興味を持ち始めました。

時間を見つけては、家族共用のパソコンを使って情報を集め、少しずつ美容やファッションに関する知識を吸収するようになりました。その中で特に恭子の関心を引いたのが、ネイルケアでした。

自分の爪から、もっと美しさを引き出したい。きれいに整った自分の爪を、もっと際立たせたい。もっと、自分の爪を褒めてもらいたい。

もっともっと、と次から次へと湧き上がる欲望が自分の中に眠っていたことに驚きました。

恭子は底なしの欲望に引きずられるように、血眼になってネイルケアについての情報を探し求めました。インターネットや雑誌、ドラッグストアの商品棚などから、ネイルケアの方法や必要なグッズについて学び、これまで貯めてきたお小遣いやお年玉をはたいて商品を買い集めました。複数のメーカーが出している、同じ用途の商品も全て買い揃え、それぞれの違いを研究するほどの凝りようでした。

当然ながら、恭子の貯金箱は瞬く間にすっからかんになってしまいました。それでも、恭子のネイルケアへの熱は冷めやらず、むしろ手が届かなくなればなるほど、執着心が増していくようでした。

お小遣い稼ぎのために、これまでほとんどしてこなかった家事のお手伝いを、恭子は積極的に引き受けるようになりました。お母さんは、突然の恭子の変化に驚きながらも、お手伝いをしてくれるようになったことに喜び、機嫌よくお小遣いをくれました。

夜な夜な爪にヤスリをかけながら、不意にりょうくんのことを思い出す時がありました。

彼の刺すような冷たい目。軽蔑を隠そうともしなかった目が、四年という歳月を軽々と飛び越えて、ひたと恭子を見据えました。そのたびに、心の底を氷の手で撫でられたようにヒヤリとして、目の前の爪に集中できなくなるのでした。

りょうくんの態度は、明らかに他の親戚たちとは異なっていました。あの日、集った親戚の中で最も年齢が低かった恭子に対して、りょうくん以外の全員が格別甘い態度を取りました。そのことは彼女を多少居心地悪くさせましたが、幼い子どもが親戚から甘やかされ、チヤホヤされることは当然であるようにも思えましたし、実際、恭子はちょっぴり気分がよかったのです。

だからこそ、りょうくんの素っ気なさから垣間見えた、軽蔑のようなものに戸惑いました。彼がどうしてそんな態度をとったのかわからないまま、あの目だけが、小さな棘のように、恭子の心に刺さっていました。

りょうくんは恭子以外の親戚たちに対しても、わざと距離を置いているように見えました。

家族と同じ長机に座っていても、りょうくんは話しかけられたとき以外は顔を上げず、誰とも目も合わせようとしませんでした。恭子が見ていた限り、りょうくんが誰かと目を合わせたのは一度きりでした。それが恭子だったのです。

りょうくんは、自分の周りに薄くて頑丈な膜を張り、その中にじっと閉じこもっているように見えました。しかし一方で、どこか遠い高みから親戚たちを見下ろしているような印象ももたらしました。彼の態度は、自分は親戚たちとは違うという自負が感じられるようなものでもあったのです。

あの日以来、恭子がりょうくんと会う機会は一度もありませんでした。恭子が感じ取った軽蔑は、ただの気のせいだったのか否か、いまだにはっきりしません。もしかしたら、彼はあのときとてもお腹が痛くて、無意識のうちに目つきが悪くなってしまっただけなのかもしれません。

でも、りょうくんと目が合った瞬間に恭子が感じた悔しさは、本物でした。

実のところ、恭子にとって、りょうくんが本当に軽蔑の感情を抱いていた否かはどうでもよかったのです。あのとき恭子が悔しさを感じたこと。これが全てでした。

りょうくんの目を思い出して冷や汗をかくのと同時に、いつも当時の悔しさが蘇ってきました。

夜、部屋で一人自分の爪と向き合いながら、彼の冷ややかな目から漂っていた、得体の知れない軽蔑のようなものの正体について、恭子は自分なりに考えを巡らせるようになりました。

仮にりょうくんが、恭子をはじめとする親戚たちを軽蔑していたとすると、その軽蔑は一体何に由来するものだったのか。

やっぱり爪の形だろう、と恭子は考えていました。不思議なことに、恭子はそれ以外の可能性を思いつくことができなかったのです。

りょうくんと他の親戚たちとを大きく隔てていた要素は、爪の形でした。白鳥の群れに紛れ込んでしまったカモのように、りょうくんの丸く小さな末広がりの爪は、細長く整った恭子や親戚たちの爪のなかで異質の存在感を放っていました。

自分一人だけ違う。

その明確な事実は、りょうくんにとって大きな意味を持っていたはずでした。恭子は、たった一人だけ違うということに心細さや孤独感を抱くのは、当たり前のことだろうと考えました。恭子自身、親戚の中に同年代の子どもがいないということに、寂しさを感じていたものです。

しかし、心細さや孤独感、寂しさだけでは、りょうくんのあの目の理由としては物足りないように思えました。

勉強机のライトの下で、十本の爪がネイルオイルでてらてらと光ります。

これと同じ形の爪が、親戚約四十人分ずらりと並んでいる様子は、想像するだけでも異様で気持ち悪いものでした。

小学六年生になった今、かつては絶えず新鮮な驚きをもたらしていた日常は、だいぶ落ち着きをみせていました。自分の部屋で寝起きすることが当たり前になってからは、夜中に目を覚ましても心細くなることは少なくなってきましたし、昔はバスの停車ボタンを押すときに感じていた高揚感と緊張感も、いつの間にか薄れつつありました。

それとは反対に、かつて何の疑問もなく受け入れることができていた事柄が、実は当たり前ではなかったのだと気付いたこともありました。

例えば、一人を除いた親戚全員が同じ爪の形をしていること。

専門的なことは恭子にはわかりません。しかし、血縁関係とは無関係に、同じ部屋に集まった四十人以上の人間が、揃って同じ爪を持っているということの奇妙さと気味悪さに、恭子はだんだんと気付き始めていました。今、小学六年生の恭子がそう思うのですから、当時十八歳だったりょうくんは、よりはっきりとその奇妙さと気味悪さを感じていたことでしょう。一人だけ違う爪を持つ立場からすれば、なおのことです。

りょうくんがこの奇妙で気味悪い集団には属していないという事実は、彼自身を安心させたかも知れません。その安心感が、彼に優越感をももたらしていたのではないか、と恭子は考えました。

みんな同じ爪だなんて、気持ち悪い。

たった一人だけ仲間はずれで、寂しい。

りょうくんの中でぶつかって混ざり合った、相反する二つの感情のかけらをたまたま拾ったのが、恭子だったのではないでしょうか。

甘皮を綺麗に処理した爪を満足いくまで眺めて、恭子はライトを消しました。ネイルケアグッズを片付け、中身を何度も確認したランドセルを机の上に置きました。今日で夏休みが終わり、明日から二学期が始まります。恭子はもう眠らなくてはなりません。

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