DreamDiver

雨森 かえる

第1話 雨あがる

4月の終わりのある午後の事。

繁華街にしとしとと降り続く雨の中、傘をさし下向きに移動する人々は器用にぶつからないように灰色の街を歩く。

そんな中に1人の小柄な若い男がいた。

傘を持っていないのか、黒いパーカーのフードを目深に被り、傘をさす人々よりも更に下を向き歩く。

そんな曇天の中、彼の心の中も曇天かのような表情であった。


少し人気が少なくなった小路、7階建ての小さくて古いビル、1階は小汚いラーメン屋、2階はよく分からないなんちゃらサービス、3階から先ははまたよく分からない会社が入って、7階まである。


彼はそのビルの上を見上げていた。

その表情はまるで、顔の筋肉が全て機能しないかのような無の表情だ。

だが、フードから覗いたその顔は端正であり、まだ幼さの残る顔つきであった。


何かを決意したかのような、それでいてまだ躊躇いが残るような、そして少し泣きそうな顔でもあった。


しばらくそうしていただろうか、急にデカい声が聞こえた。

「おい!お前!」

急に大きな声をかけられ、彼は声の方を見た。

そこには真っ黒なロリータファッションに身を包んだ若い女がいた。

大柄でも小柄でもない身長に、真っ黒な黒髪ハーフツイン、そして整った人形のような顔。

少しして、その女性がまたデカい声で言う。

「お前!腹減ってんだろ!」

「は、はぁ?」

彼は間の抜けた返事をしてしまった。

「だな!間違いねぇ!ラーメン食うか!美味く無いけどな!」

顔と話し方のギャップに戸惑っている間もなく、彼女は彼の腕を引っ張り、古いビルの1階のラーメン屋の暖簾に引っ張りこんだ。


「おっさん!辛いラーメン2丁!大盛りでな!あと水餃子2丁とニンニク炒飯2丁!」

入ったと同時に、外観通り小汚い店内のカウンターの奥で、週間マンガを読みながらタバコを吸っている中年の太った男に、これまたデカい声で言った。


「美味くねぇってさっき聞こえちまったけどなぁ!?声がでけぇんだよお前はよ!」


そう言いながらもガチャガチャと金属がぶつかる音をたてながら注文の品を作り始めた。


ロリータが言う。

「さぁ、座りたまえ若者よ」

店の壁際のテーブル席に向かい合って座る。


「さて、若者よ、名はなんというのかね?」


勢いに驚いていた青年は俯いて小さく言った。

「……なんでもいいです」


その言葉には何も聞いてくれるなという意思が感じられる。


「よし分かった!じゃあ今日から君は茶トラのトラちゃんだ!トラちゃん?ぽくないからチャトちゃんな!」


何を言っているのか分からないという困惑の表情で、彼はロリータを見つめた。


「私は君の飼い主、キューちゃんだ」


ニヤリと笑う彼女は、真っ黒の衣装も相まってまるで悪魔のようであった。


「は?飼い主……って」

戸惑う青年。

「は?ってなんだよ。すぶ濡れの動物を街中で発見したら保護してメシ食わせるのが普通だろ?この後お風呂であっためてシャンプーすんだよ」


当たり前のように言うキューと名乗るロリータ。


チャトと名付けられた青年は何も言い返す言葉が思い浮かばず目線を外し、壁に貼られた汚いメニューの紙を読むともなく読んだ。


キムチチャーハン、パクチーカレー、砂肝ご飯、ニンニクメガMAX焼きそば、油ラーメン、辛いラーメン、ピザラーメン……

ピザラーメン……?


「あいよ、水餃子ニンニクチャーハン辛いラーメン!」


そのタイミングで料理が運ばれて来た。


「さぁ食べろチャト!味わうなよ、かっこめ!」


チャトは目の前に並べられた熱々の料理の香りに、急に空腹感を覚えて口内に唾液が溢れだした。


「い、いただきます」


1口、口に入れるとどんどん腹が減ってきた。

また1口、もう1口……。

ああそうか、もう2日まともに食べてなかった。

チャトはそう思いながら本能のままに胃袋を満たしていった。


皿の上をすべて平らげたチャトは、向かいに座るキューを見た。

満足気にニヤニヤと笑うキュー。

改めてよく見ると髪に寝癖がついている。


「腹は満ちたか?」

「はい……。ごちそうさまでした。」

「よーし!じゃあ行こうか!おっちゃんご馳走さん!」


キューは立ち上がり、店の出口に向かう。


「あのー、お会計は?」

素朴な疑問を問いかけるチャト。

「こまけぇこたぁいいんだよ」

キューはサラッと言うと店を出た。

店を出る時店主が「おう、またな」という声が聞こえた。


「こっちだ」


まだ雨が降っている。

キューが歩いて行く先は店の横側の薄暗い通路。その先には壊れそうな塗装の禿げた赤いエレベーターがある。


「乗れ乗れ」

一瞬、乗るのを躊躇ったチャトだが、意を決して汚いエレベーターに乗った。

キューは慣れた手つきで7階を押す。

ゆっくり扉が閉まると、うるさい音を出しながらエレベーターは上昇していった。

しばらく下へ通り過ぎてゆく各階の明かりを過ぎるとガシャンという音がして、エレベーターの扉が開いた。


「こっちこっち」


スタスタと歩いて、キューは降りてすぐ右のドアの前に立った。

ドリームサービス、と小さく銀の表札の書かれた紺色のドアだった。


「いらっしゃーい!新しいお家だよー!」


そう言ってドアを開けた先は、意外にも綺麗な応接室だった。

紺色の壁紙、黒い大理石の床、焦茶色の革ソファが黒檀のローテーブルを挟んで2つ。

壁には金や銀の縁に入った夜の風景が飾られている。天井は紺色の地に細かい細工の施してある小さい金のシャンデリアが輝いていた。壁沿いに設置してあるサイドボードには、よく分からないエキゾチックな象の置物や、銀製の香炉のようなもの、名前もわからない大きくトゲトゲした赤い花が金の花瓶に生けてある。


「あ、お、お邪魔します……」


チャトは面食らったように小さな、でも先程よりは大きな声で言った。


「お邪魔しますじゃなくてタダイマだろ?もう今日からお前は私のペットだ!」


そう言って応接室を横切り、応接室の奥にある廊下に行くキュー。

そこにはドアが3つあった。


「こっちがトイレで、こっちが仕事部屋、あっちがキッチンとリビングと風呂トイレ寝室なー」


さりげなく言うキュー。

そして思わずチャトは言葉を発した。


「え、トイレ2つあるんですか?」


そしてキューはチャトに振り返り言った。


「あ、応接室に近い方は来客用、奥のはプライベート用な」


そして仕事部屋では無い方のドアを開くキュー。

そこはもう、散らかり放題のゴミ屋敷であった。

大量の服、大量のウィッグ、大量のカップ麺の空きカップ、大量のコンビニ弁当の空き容器、大量のペットボトル、そして大量の鼻炎の薬の箱。

もう、部屋の原型もわからない。


「テキトーに座ってなー」


別になんでもないように言うキューに、思わずチャトは言ってしまった。


「え、どこに?」


「あ、そか、分からんか」


キューはそう言うと、ゴミを足で押し退け、蹴り飛ばしながら


「たしかこの辺にソファが……」


とボソボソいい、元はピンクだったであろうソファへチャトを導いた。


「ここに座れ」


チャトは瞬時に言った。


「いやです」


キューは明らかにショックを受けた顔をした。


「な、なんで?」

「汚い無理不潔」


チャトは顔の前で両手をバツの形にした。


「あの、せめて応接室にしません?」


問答の末、先程の応接室に戻った。

キューはブツブツと何か言っていたが。


キューとチャト、座り心地の良い焦茶の革ソファへと向かい合って座った。


「さて、チャト君。君は今日から生まれ変わって私のペットとなった!」


キラキラした瞳でチャトを見る。


とても綺麗な整った顔なのだが、そこにはいたずらっ子のような小悪魔的な微笑みが含まれている。


「は、はぁ、そうですか」


「それにあたって、君には私の仕事の手伝いをしてもらう!」


「ペットじゃなくて家畜じゃないですか」


「うちはペットも働く方針なの!」


「で、何をするんですか掃除ですか?」


チャトはため息混じりに言う。


「ちっがーう!!私の仕事はな……」


何かを溜めるように少し間をおき、キューは親指を立てハッキリと大きな声で言った。


「ドリームダイバーだ!!」


ドヤ顔のキュー。沈黙のチャト。見つめ合う2人。


「あ、あの、なんでしょう?それ。」


思わずチャトは沈黙を破った。


「あー、やっぱまだ認知度がないなー」


そう言ってキューは親指を元に戻し、先程よりも常識的な声の大きさで話した。


「夢に潜るんだよ。他人の夢に。そんでもって、その人の理想の夢を見せてやる。そんな夢みたいなドリームを提供するのが、私、ドリームダイバー!」


両手を頭の後ろで組み、足を伸ばしてつまらなさそうにキューは言った。


「そんな事、出来るんですか?」


チャトは少し懐疑的な眼差しを向ける。


「普通は出来ない。私だから出来る。通常、夢というのはレム睡眠時に見るのだが、私のレム睡眠はちょっと異常でね。夢の中の次元というか周波数みたいなものを、他人に合わせる事が出来るんだ。」


何を言っているのか、分かるようで分からないチャトは沈黙してしまった。


「あー、口で説明するよりやってみた方が早いか!」


そう言って勢い良く立ち上がり、


「まずはお茶が必要だ!美味しい紅茶が必要だ!コンビニ行くぞー!」


と言うと、チャトを伴ってドリームサービスを出た。


汚いエレベーターに乗り、鼻歌まじりにフンフン言っているキューを尻目に、チャトはとりあえず着いていくしか無かった。


エレベーターを降りビルの外に出ると、先程の雨模様は綺麗に無くなり、青い空とキラキラした雨粒がそこら中に光っていた。




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