第18話 ある日の陸上部

 放課後の部活動。部長の成瀬不二子と副部長の亀村敦子は隣あった位置でストレッチをしながら、お喋りをしていた。

「なあ、不二子ちゃん」

「なあに、ルパン」

「ルパンちゃうし。亀村だし」

 二人の会話はいつもここから始まる。

 成瀬不二子は800m、1500mを一応専門とする中距離の選手だ。ただ、インターハイの県予選ではそこそこ上位に入るが、全国大会にすすめるほどの力はない。

 心愛女子高校の陸女部は現在31名、その中には今年から設けられた推薦枠で入学した短距離の2名も含まれている。

 2年前、現在の顧問のマコちゃんが来るまで、心愛女子高校の陸女部はインターハイはおろか、参加標準記録が設定されているような大きめの大会に出場できるような選手はほとんどいなかった。

 マコちゃんが顧問になって2年、去年はインターハイ全国大会に数名を送り込み、100mと100mハードルでは上位入賞者を出すなどの成績を残した。

 マコちゃんは元々は陸上の短距離選手だったそうだから、短距離選手を育てるのが上手なんだろう。でもフィールド競技や中・長距離のトレーニングについてもいっぱい勉強してくれて、適切なトレーニング方法を指導してくれるから、短距離以外の選手も着々と実力を付けてきている。

 現に、現在の副部長の亀村敦子は去年のインターハイ全国大会に出場を果たした砲丸投げの選手だ。

 去年の部長は100mで決勝まで残った選手だったが、なぜかインターハイ予選どまりの不二子が次期部長に指名されてしまった。

 強い選手がいい監督とは限らないって言うように、強い選手がいい部長とは限らない。全体がよく見えて、みんなをまとめることができて、みんなから信頼されるような人柄が大事なんだよって前部長は言ってたけど、自分がそんな器だとはとても思えない。敢えて言うなら、中距離走者だけに短距離走者よりは我慢強い、というか長時間の苦痛に耐える力はあるかもしれないなあとは思う。

 まあ、でもマコちゃんが来てくれたおかげで、部長の仕事は随分楽になったと思う。以前の顧問はまったくの腰掛けで指導なんて何もしてくれなかった。部長や副部長が全体の練習メニューを作ったり、後輩指導全般をやってくれていたけど、結局は毎日なんとなく同じ練習を漫然と繰り返すだけの部活だった。

 そんな状態だった陸上部に、マコちゃんは強くなるための理論を叩き込んでくれた。マコちゃんは我が校でスポーツ科学の授業も担当する専門家だ。現在の部長の仕事と言えば、マコちゃんの指示に従ってトレーニングし、後輩指導をすればいいから、私みたいにうだつの上がらない部長でもそれなりに務まっている。

「今年のリレーカーニバルの出場選手どうなるかね」

 4月末に開催される長﨑リレーカーニバルの話題である。

「マコちゃんが決めるけど、まあ、4×100mリレーのAチームは木下か熊本、榎並、岡部、篠田で決まりじゃない?去年はリレーは2位だったけど今年はいただきだね。今年のリレーチームって全国も行けるんじゃない?」

「3000mは不二子だね」

「砲丸投げは敦子でしょう」

「その前に一年生は県の記録会の参加申請もしないといけないね」

「今年の一年はフィールド種目を目指してくれる子いるかなあ」

「記録会の結果と本人の希望も聞いて決めるけど、砲丸投げとか希望者まずいないよねえ」

「やっぱ花形は短距離だね。それと4×100mリレー」

「次がハイジャンプとか幅跳び」

「それから中・長距離」

「最後が砲丸投げ、ハンマー投げか」

 敦子は自分で言って自分でため息をついた。敦子は中学のときから陸上部で砲丸投げをやっていた。ずっと陸上の選手にあこがれていて、中学では迷わず陸上部に入部した。でも短距離も長距離も走るのはあんまり得意ではなく、ジャンプ競技もいまいちだったから自然と選手層の薄い投擲種目へと流れた。でも投擲種目だったらそこそこいい成績が出て、県の大会で何度か表彰台に上がったりした。結果が出ると面白くてついそのまま続けてきたのだが、高校ではマコちゃんの指導の元、去年ついにインターハイ全国大会まで出場した。

「これからは推薦で短距離以外の優秀な選手もがんがん入ってくるのかなあ」

「競技種目を広げなきゃだし、それぞれの選手層も厚くしなきゃだし。優秀な選手を連れて来たほうが早いもんね」

「分かるんだけど……なんかやだな」ぽつんと敦子がつぶやいた。

「まあ、敦子の気持も分かるけどね。強豪校はどこでもやってることだし。それにマコちゃんも言ってたけど、目の前にお手本になるような選手がいるってすごいことだと思うし、メリットも多いと思うよ」

「そうやなあ……」

 ところで、と言って敦子は話題を変えた。唐突に話題を変えるのは彼女のいつもの癖だ。

「岡部ちゃんと篠田ちゃんの噂、本当のところどうなんだろうね」

「マコちゃんの言い方だと、やっぱ本当なんじゃないの?」

「不二子はぶっちゃけどうなん?そういうの」

「私は言ったとおり、マコちゃんとおんなじ意見だよ」

「まじで?」

「まじで。敦子は違うの?」

「うんにゃ、違わない。ただ、あの噂ってみんなどこまで知ってるんだろうって気になって。先生やシスターは知ってるのかな。陸上に興味ない一般の生徒はたぶん知らないと思うけど」

「さあ……」

「あの二人って絶対インターハイで活躍するじゃない?それで目立っちゃうじゃない?そしたらまた誰かがSNSにあることないこと言いふらすかもしれないじゃない?そしたらみんなに知れちゃうじゃない?大丈夫かなあ」

「カトリックの学校って、同性愛の問題は微妙だしね。最近はセクシャルマイノリティって考え方が広まって、カトリック信者の間でも差別しちゃいけないって意見の人も多くなってきたみたいだけど、同性愛は罪だって考え方の人の方がやっぱり多数派なんじゃないかな」

「私は絶対差別反対!この学校に通ってるけど信者じゃないし」

「この学校でもカトリック信者じゃない人、結構いるもんね。特にスポーツ推薦の人なんか全然無関係だし」

「スポーツはすべての争い事から中立であるべきだよ。『記録がすべて』ってマコちゃんの口癖だし」

「私もマコちゃんのその口癖大好きなんだ。いろんな悩み事があっても陸上競技やるのに関係ないって思うと気分が軽くなることあるし」

「陸上部としては絶対あの二人を守らなきゃね」と決意を込めて不二子が言う。

「うん。変な噂であの子らの競技に影響がでないようにしないとだね」

 敦子はそう言うと、拳を強く握り、砲丸投げで鍛えた逞しい腕を内側へ軽く曲げて力こぶを作って見せた。あの腕で殴られたら痛いだろうなと不二子は思った。でも頼りになる腕だ。

 マコちゃんの吹く笛が聞こえた。集合の合図。さあ、今日も楽しい部活の始まりだ。二人は立ち上がって陸上部顧問兼コーチのマコちゃんのところへ駆け出した。

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