第六翔

『さあ、スタートしました。鼻を切ったのは四番アロンダイト!』

「よぉしっ!」


 シャーロットは大声をあげて立ち上がり、グッと拳を握り締める。


 スクリーンの中で、その後もアロンダイトはぐんぐんと加速していく。

 勢いに乗り、一竜身、二竜身とどんどん後続との差を広げていく。


「どうやら、逃げの戦術で行くようですね」

「うむ、英断だろう」


 アロンダイトは極めて気性の激しい竜だ。

 こういう竜は竜群にもまれるとストレスを溜め、無駄に体力を消耗してしまう。

 我慢させすぎれば、へそを曲げ飛ぶ気をなくしてしまう場合もある。

 こうなっては本末転倒だ。


 良い調子だ、とシャーロットはほくそ笑む。

 ……が、さらに三竜身、四竜身、ついにその差が五竜身に及ぶに至って、さすがに顔が引き攣ってくる。


「あの、これ、さすがにハイペースすぎやしませんか?」

「確かに、ちょっと、早すぎる……な……」


 ドラゴンレーシングはただずっと先頭を飛び続ければいい、というほど単純な競技ではない。

 生物というのは概ね、「全力」の燃費が著しく悪い。

 八割の力なら一時間以上も維持できても、全開だとわずか数十秒と言ったところが限界になる。

 絶大な力を誇る竜も、やはり生物であることには変わりはない。

 全力で飛行できるのは三ドランあたりが限界だと言われていた。


 当然ながら、カーブやジグザグに進まねばならないような箇所では竜をスピードに乗せにくい。

 キャメロット・シティ外周を右回りに飛んだ場合、コロッセウム直前は、ちょうど三ドランにわたり直線に城壁が建てられており、ここがレース最大の見せ場となっていた。

 いかにそこまで体力を温存するか、そのペース配分が何より肝要であり、騎手の腕が最も問われるところでもある。


「これ、かかってますよね?」


 リュネットがおずおずと問う。

 かかる、とはドラゴンレーシングの専門用語で竜が騎手の指示に従おうとしない状態のことを指す。

 つまり、アロンダイトは騎手の指示を無視して、大暴走をしているだけなのではないか、とリュネットは言ったのだ。


 実はウォルターが乗った過去三戦もアロンダイトは全てかかっていた。

 ある種、見慣れた光景だった。

 

 あのいけすかない男は少なくともウォルターよりはアロンダイトに好かれていたので、今日は大丈夫だろうと期待していたのだが、やはりアロンダイトを御しえなかったらしい。

 これでは勝てるわけがない。

 また主が悲しむ、とリュネットは落胆せずにはいられなかったのだが、


「いや、かかってはおらんみたいだぞ。それならコントロールを取り戻そうとランスが手綱を忙しく操っているはず。高度もしっかり一定を保っておる」

「言われてみると、確かに……」


 ドラゴンレーシングでは城壁以上の高さを飛ぶ事は、実際に指定距離を飛んでいるかどうかがわからなくなるため禁止行為となっており、違反すれば即失格という厳しいペナルティが課せられる。

 城壁の高さは平均して一六メトー。

 竜種の中で最も小柄なワイバーン種でさえ全高約八メトーあり、竜的にはかなりの低空飛行を強いられる。

 そこでも竜騎士の腕が問われるわけだ。


「それに見よ」


 ビシッとシャーロットが指差した先では、ランスがあのいつもの人を小馬鹿にしたような不敵な笑みを浮かべていた。


「……わざとやっている、のでしょうか。しかし……こんなハイペースで飛ばしていたら最後までとても持たないかと」

「うむ、何か作戦があるのだろうと思いたいが、それにしても速すぎる」

『逃げる逃げる、四番アロンダイト大逃走! その差はすでに十竜身以上。いったいどこまで逃げたら気が済むのかーっ!?』


 シダー氏の実に熱の入った実況が入る。

 すでにドラゴンレーシング実況歴三〇年の大ベテランのシダー氏なら、これが大暴走だと冷静に判断していることだろうが、そこは実況のプロ、観客たちを盛り上げようという巧みな演出である。


「わたくしたちが最も知りたいです」

「まったくだな」


 呆れたようなリュネットの言葉に、シャーロットは心の底から同意する。

 こんなことならどんな作戦で行くのかしっかり問い詰めておくべきだったと後悔しきりである。


『さあ、四番アロンダイト、キャメロットコース最大の難所、北門に差し掛かりました。四六度の鋭角を綺麗に曲がる。鞍上の腕の見せ所です。おおっと、アロンダイト、減速しません。速度を維持したままコーナーに突っ込んでいく。こんなスピードだとコースアウトは確実だぞー!? ……って、はあっ!?』

「おいおいおいっ!? ……って、なぬっ!?」

「ええっ!?」


 スクリーンに映し出された映像に、実況歴三〇年の大ベテランがレース中に間の抜けた声をあげるという大失態を演じた。

 シャーロットとリュネットも思わず目を丸くし絶句してしまう。


『な、な、な、なんだ今のはーっ!? ファイアーブレス! ファイアーブレスです! 四番アロンダイト、ファイアーブレスの反動で無理やり方向転換! 確かにルールブックには他竜を攻撃してはいけないとはありますが、ブレスを吐いてはいけないという一文はどこにもありません。しかし、しかしぃ! こんなことは前代未聞ですっ!』

「な、なんてことをやらかすんだ、あの男は……」


 開いた口が塞がらないとはまさにこの事である。

 ファイアーブレスで方向転換、サラマンダーファンなら確かに一度は考える空想ネタではある。


 だが、そんなことは所詮、机上の空論でしかないはずだった。

 ファイアーブレスはサラマンダー種最大の必殺技だ。

 その反動はとんでもない。

 地面にしっかり足を踏ん張っていないと危なくてとても放てる代物ではない。


 それを空気抵抗が激しく最も不安定になりやすい高速飛翔中に放つ? 

 その姿勢制御がどれだけ至難かは想像に容易い。


 しかも竜は竜騎士とは別個の意思を持った違う生命である。

 全て思い通りに動かす事が、そもそもはっきり言って不可能だ。

 気性の激しいサラマンダー種なら尚更である。


 たとえ現役最高の技巧を誇り『名手』と謳われるライオネルであろうと、こんなことをすれば姿勢を大きく崩し、十中八九コースアウトするか城壁に激突するか地面に墜落するかのいずれかであろう。

 そう、そうなっていなければおかしいはずなのに、アロンダイトはこともなげに飛翔を続けている。


『鞍上の竜騎士の名前はランス=スカイウォーカー。まったくの無名の竜騎士です。何者だ!? この竜騎士はいったい何者なんだっ!?』

「ほんとうに……わたくしたちが最も知りたいですよね」

「まったくな……」


 こんなでたらめな飛翔をする竜騎士が昨日免許を取ったばかりの新人だなんて、もはや酒の席での面白くもない冗談の類である。

 自分は実は夢でも見ているんじゃないか、と思わずシャーロットは自らの太股をつねってみた。

 普通に痛かった。


『全く信じられないものを見せられました。さて、私が驚いているうちに、四番アロンダイト、五ドランを通過しました。その差は実に二十竜身といったところか! 魔法時計(マジック・クロック)に刻まれた通過タイムは五七秒四! これはとんでもないハイペースだぁっ!』

「ごっ、五七秒だぁっ!?」


 いてもたってもいられず、シャーロットはスクリーンに掴みかかった。本当に先程から立て続けに驚かされっぱなしで、心臓に悪すぎる。


 五ドランの通過タイムは六〇秒前後が平均ペースと言われている。

 一般に五九秒前後でハイペースとされ、ペースが速い分、先行している竜は消耗しており、後続の竜が有利になるとされている。


 五九秒でもそれ程だと言うのに、五七秒である。

 もはや狂気の沙汰と言っていい。

 これではドラゴンレーシングの最大の勝負所と言われるラスト三ドランの直線に到達する頃には、体力など欠片も残るまい。

 否、ラスト三ドランどころかもうすでに尽きかけているのではないか?


『さあ、六ドラン通過。先頭はまだ四番アロンダイト、後続との差は十五竜身強、おおっと一気に差がつまってきました。アロンダイトついに息切れかーっ!?』


 危惧が現実に変わった瞬間だった。

 アロンダイトの首が上がってきている。

 これは竜がかなり疲労している証拠だ。

 これからさらにペースは落ちるだろう。


 対して他の竜は未だ十分に余力を残している。

 絶望的だった。

 あの男が並々ならぬ技量の持ち主であることは、先程のファイアーブレスによるターンからもわかる。

 何かの作戦もあるのかもしれない。

 だが、それが成功するとは到底思えなかった。


 シャーロットは年こそ若いが、物心つく前から竜と触れ合い、これまで一心不乱に竜について学んできた少女である。

 それなりに竜を、ドラゴンレーシングというものを知り抜いている。

 もはや技術でどうにかなるレベルではないのだ。

 体力が尽きた竜をレース中に回復させる、そんな荒唐無稽な魔法、伝説の魔王でも使えるわけがない。


「なあ、リュネ、愛竜が実況で取り上げられ続けるというのも、なんか新鮮で、ちょっと気持ちがいいな」


 過去三戦、全くと言っていいほど実況に取り上げてもらえなかったので、偽らざる本心ではある。

 しかし、客観的に見て、現実逃避以外の何物でもなかった。

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