第35話 究極の二択

 練習を初めてから20分程が経過する。

 今の段階だと、決して遅いわけではないが速いとも言えない、そんななんとも言えないようなタイムだった。

 そして、その原因は……俺にある。


 なぜなら俺はこの20分間、まったくと言っていいほど集中して走れていないからだ。


 今、俺は肩が触れ合う程の至近距離で二人に挟まれており、更に二人の甘い香りが鼻腔をくすぐるので、かつてないほどに緊張していた。

 ただでさえそんな状態なのに、走っている途中に二人の大きな膨らみが揺れているのが視界の端に映ってしまうので、集中出来るわけがないのだった。

 

「……ごめん。俺が足を引っ張ってる」

「いえ、そんなことありません。晴哉君が私達に息を合わせようと頑張っているおかげで、最初よりもタイムが短くなったのですから。なので、晴哉君が責任を感じる必要はありませんよ」


 そう言って、沙紀が優しく微笑んだ。

 今の沙紀は本物の聖女様に見える。


「ありがとう。沙紀は本当に優しいな」

「い、いえ。そんな……」

 

 沙紀の顔が赤くなる。

 心なしかどこか嬉しそうだ。

 

「……そうね。雛森さんの言う通り、晴哉が責任を感じる必要は無いわ」

 

 玲奈もそんな優しい言葉を掛けてくれる。

 フォローしてくれるのは嬉しいけど……


「玲奈。なんで少し不機嫌そうなんだ?」

「……晴哉が雛森さんにデレデレするからでしょ」

「えっ?」

「なんでもないわ……晴哉のばか」


 玲奈はプイッとそっぽを向いた。


 それから少しして、玲奈はこんな提案をする。


「ねぇ、二人とも。少し練習内容を変えてみないかしら? このまま闇雲に練習してもあまり結果は出ないと思うの」

「良いけど、どう変えるんだ?」

「三人の息を合わせて走る練習をしているけど、それがうまくいっていないのが現状よ。だから、三人じゃなくてまずは二人の息を合わせる練習から始めた方が良いと思うの」


 つまり、三人四脚じゃなくて二人三脚の練習から始めるべきってことだよな。

 でもそれって、なんか遠回りな気がするんだけど……

 

 そう疑問に思っていると、沙紀が力強く頷いた。


「良いと思います。私は篠原さんの案を支持します」

「ありがとう。雛森さんならそう言ってくれると思っていたわ」

「こちらこそ、案を出していただいてありがとうございます」

「ふふっ。どういたしまして」


 ……なんか二人がスゴイ乗り気なんだが。

 でも確かに、行き詰まっている状況を打破する為にも、いろいろと試した方が良いだろう。


 それに、今の二人は意気投合して雰囲気がとても和やかだ。

 ここで俺が断ると、またさっきみたいに二人がバチバチするかもしれない。


「分かった。それじゃあ、まずはその練習から始めてみるか」


 俺が賛同すると、沙紀と玲奈は同時に言うのだった。


「では晴哉君。最初は私と走りましょう」

「それじゃあ晴哉。まずは私と走りましょうか」

「「……えっ」」


 二人の驚きの声が綺麗に重なり、先程の和やかな雰囲気が一変する。


「雛森さん。ここは提案者の私に譲るべきじゃないかしら?」

「いえ。それを言うなら、この案を支持した私に譲るべきだと思います」

「……」

「……」


 二人は無言で視線をぶつけ合う。

 ……結局バチバチするんかい。


「……仕方ないわ。なら、ここは晴哉に決めてもらいましょうか」

「……そうですね。それが良いと思います」


 そして、二人は同時にこう言うのである。


「晴哉。どっちを選ぶの?」

「晴哉君。どちらを選びますか?」


 ……何この究極の二択!

 え、選べねぇ……

 しかし、選ばないという選択肢は無い。

 な、ならここは……

 

「じ、じゃあ、まずは———」


 と、その時だった。

 グラウンドの端で玲奈の名前を呼ぶ先生の声が聞こえてきたのは。


「ちょっと行ってくるわね。晴哉と雛森さんは先に練習を始めてて構わないわ」


 そう言って、玲奈は先生の元へ向かって行った。


「さ、沙紀。玲奈もああ言っていた事だし、先に練習を始めよう」

「……そうですね。ちなみに晴哉君は……いえ、やっぱり何でありません」


 それから俺達は早速練習を始める。


「二人なので走りやすいですね」

「そうだな。息もすぐ合ったし。俺と沙紀は相性が良いんだろうな」

「っ……」


 沙紀の顔が突然赤くなる。

 俺、なんか変な事言っただろうか。


「……」


 先生との話が終わって戻ってきた玲奈が、俺達をじっと見つめていた。

 心なしか視線が鋭い気がする。

 ……そろそろペアを交代した方が良いな。


「沙紀。一先ず次でラストにしよう」

「わかりました。あっ……」

「沙紀?」


 沙紀の視線を辿ると、遠くの方で二人三脚の練習をしているペアの姿があった。

 

「スゲェ……」


 思わず賞賛の声が漏れる。

 一心同体、阿吽の呼吸、そんな言葉が相応しい走りをそのペアは見せていたのだ。


「晴哉君。私達もあの二人の走り方を参考にしてみませんか?」

「そうだな」

 

 あのペアを参考にすれば、きっと得る物があるはずだ。


 注意深く観察すると、やがてそのペアが優斗と藤宮である事に気づく。

 二人は腕を組みながら走っている。

 走っている時も腕を組むとは、さすがラブラブカップルだな。

 というか、なんでそれであんなスゴイ走りが出来るんだよ……愛の力か?


 ……あれ、ちょっと待て。

 沙紀はあの二人の走り方を参考にしようと言っていた。

 それってつまり……


「なるほど……分かりました」

「沙紀。ちょっと待——」


 しかし、時既に遅し。


「晴哉君。失礼します……えいっ」

「っ!」


 あの二人の真似をするかのように、沙紀が俺の腕に抱きついた。

 刹那、ムギュッと強く押し付けられる沙紀の豊満な胸と腕に伝わる柔らかい感触に、体温が急激に上昇するのを感じた。


「……」


 それを相殺するかのように、ますます冷たくなる玲奈の視線。

 ……俺、この後が怖いんだが。




「……晴哉のばか。また雛森さんとイチャイチャして……」

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