彼女と彼女のとある一日【KAC20242】

夏波ミチル

もうすぐ春ですね


「ふざけんじゃないわよ! あんたのそういう、世間知らずなところ、だいっきらい!」


 不動産屋の前でそう吐き捨てて、池嶋カノは一人で歩き出した。

 東京にしてはちょっと古めかしい商店街を、黒いレザーのショートパンツを履いた脚で、大股歩きで進んでいく。


 追ってくる気配はない。

 振り返ったら駄目だと思ったから顔は見れないけど、ゆりあはきっと泣きそうな顔をしているはずだ。

 それでも、置いて帰った。


 今日は大好きなゆりあと一緒に住むための家を見に行く日だった。

 何ヶ月も前からいろんな物件を探して、二人でたくさん話し合って厳選して、ようやく今日、一番気に入った物件の内見に行く日だったのだ。

 中を見せてもらって、期待通りだったら、そのまま不動産屋で契約の手続きをすませるつもりだった。

 印鑑も身分証も、親に書いてもらった連帯保証人に関する書類だってちゃんと持ってきた。


 見に行った物件は予想していたよりも少し手狭だったけど、予想していたよりも綺麗で、ここで決めちゃおうか、という話になった。

 途中から様子を覗きにきた大家のおばさんも、とてもいい人だった。


 ただ、その大家さんは、ずいぶんとお喋りが好きな人みたいだった。


『最近流行りのシェアハウスってやつかしら? いいわね、仲がいいお友達がいて』

 そう言われて、そうなんですよアハハ的なノリで、カノは適当に返事をするつもりだった。

 しかし今日に限って、いつも反応の鈍いゆりあが、珍しく先に口を開いた。


『違います。カノと私は恋人だから、同棲です』

 口調はいつも通りふわふわしていたが、顔つきは、ゆりあにしてはキリッとしていた。

 最高に可愛くて、かっこよかった。


 だが、大家は途端に表情を曇らせ、視線をうろうろとさまよわせた。

『そう……なの? ごめんなさいね、気づかなくて。でも……そういうことなら、入居は諦めてくれる?』


 優しい人だった。

 ――うちのマンションの入居者はファミリー世帯が多いから、子供さんも多いし……ほら、万が一、変な場面……たとえば、手を繋いだりキスしてるところでも見られちゃったら、教育に悪いと思うの。

 悪い人ではなさそうなだけに、その言葉は鋭く胸に突き刺さってきた。


 とどめは、最後の言葉だ。

『この部屋は……普通の人向けの部屋なの。申し訳ないけど、他を当たってくれる?』


 自分たちは『普通』ではないのだと。

 世間に気を遣い、世間から後ろ指を指されなければいけない関係なのだと、改めて突きつけられた気分だった。



「別にいいじゃない……手を繋いだりキスぐらいしたって」

 ブツブツ呟きながら駅の改札をくぐってホームまで上がると、電車待ちのカップルが、人目もはばからず、いちゃいちゃしていた。


 げんなりして視線をそらしつつも、自分たちがもし女の子同士ではなく、男女のカップルだったなら、あんなふうに人前で抱き合ったりしても変な目で見られなかったのだろうか、という考えが浮かできた。


 ゆりあとは、小学生時代からの幼なじみだ。

 高校ぐらいまでは、教室でべたべたしていても『友達同士のじゃれあい』として見られていた。

 大学に入ってからは、そうもいかなくなった。

 ゆりあは可愛い。ゆりあはとてもモテる。それに、お金持ちの家のお嬢様だ。

『女同士でベタベタしてないで、俺と楽しいことしようよ』と無粋な誘いをかけてくる輩があとを絶たなくなった。


 誰よりも可愛いのに大学生になっても彼氏を作らないゆりあの存在はだいぶ有名になっていて、彼女がいない男どもの希望の星となっていた。

 ようは、狙われていただけだけど。


 やつらは知らないのだ。

 いつもゆりあの隣にいる、ふわふわとしたワンピースばかり着るゆりあとは趣味が合いそうにない、パンク風のファッションをした女が、小学生の時からゆりあと結婚の約束をした相手だということを。


(……でも、置いてきちゃった)

 いつかカノちゃんと一緒のおうちに住みたい、とキラキラした目で小学生の時からずっと言っていたゆりあを。

 大学卒業が決まり、ようやく実家を出る許可をもらって、卒業後に一緒に住めることをとても楽しみにしていたゆりあを。


 ほんとはあのあと、他の物件も二つほど内見する予定だったのに全部キャンセルして、不動産屋の前に置き去りにしてきてしまった。


 ホームに電車がすべりこんできて、カノの目の前でドアがあく。

 やってきたのは快速急行だ。次は普通列車で、次の快速急行はだいぶ先になる。

 ちょうどいいタイミングだし、このまま乗った方がいいのはわかっていた。


 しかし、足は勝手に白い線からだいぶ下がっていて、気づいたら、カノはベンチに座り込んでいた。


(ゆりあ、道に迷ってないかな……)

 今さらながら、心配になってきた。

 ゆりあは、天才的なまでの方向音痴なのだ。

 だから小さい頃からいつも、カノが手を引いて歩いていた。


(とりあえず、電話でも……でも、電話したら、やっぱり謝らなきゃいけないのかなぁ……)


 気が重い。

 置いてきたのは悪いと思うけど、『友達』ということでごまかしておけばいいところをわざわざ『恋人』と暴露したのはゆりあが悪いと、今でも思っている。

 電話をしたら、また怒ってしまいそうな自分が嫌だった。


 悩んで、何もできないまま座り込んでいる間に、次の普通列車がやってきたかと思うと、ホームにいた数人を乗せて、すぐに発車する。

 それでもカノは、座り込んだままだった。


「カノちゃん」

 遠ざかっていく車輪の音に、鈴を鳴らすような可愛らしい声が重なった。


 顔を上げれば、ゆりあが二メートルほどの距離で立っていた。

 ちゃんと一人で駅までたどり着けたんだ、よかった。


 ゆりあは、ゆっくりとした足取りでカノの正面まで歩み寄ると、覚悟を決めたような顔をして拳を握りしめた。


「私、やっぱり考え直したんだけど」

 震える声がかわいい。

 でも、次にどんな言葉が飛び出してくるのかわからなくて怖い。


「……うん」

 

(ももももしかして、やっぱり同棲やめようとかそういう話!? 私たちでは住む世界が違うとか!?)

 かろうじて冷静な表情をたもちつつ、カノは内心、冷や汗だらだら状態だった。


 他人からはクールなキャラと言われがちなカノだが、ゆりあのこととなると話は別なのである。


「やっぱりね、2LDKじゃ狭いと思うの」

「え……うん?」


 なんの話だっけ? とカノは一瞬、本題を見失いそうになった。


「がんばって働いて家賃を折半して……少し狭いけど二人がいれば幸せだよね、みたいな、そんな普通の幸せに憧れてたんだけど……私たち、普通じゃないなら、無理に『普通』に合わせなくていいと思ったの」

「うん???」

 どうしよう。ますます話がわからなくなってきた。


「お父さんがね、就職祝いに家を建ててくれるっていうの。完成するまで同棲はお預けになるけど……それでもよければ、一緒に間取りとか考えない?」

 ふわふわ笑うゆりあはお姫様みたいに可愛くて、そして、お姫様みたいに一般市民の発想からはかけ離れた提案を始めたのだった。


「家を……?」

「ええ」

「建てる!?」

「そう」


 ふふ、と口元を緩めて、ゆりあはカノの手を取った。

「いやいやいやいやいや……」

 賃貸マンションを借りるのとでは、だいぶスケールの違う話になってきた。


「土地の選り好みはあんまりできないけど……三カ所ぐらい候補があるから、その中から選んでほしいの」

 そういえばゆりあの家って、不動産業もやってたんだっけ。

 いやそれにしても、今から家を建てるとか、まったくもってピンとこない。


「家を建てるって……何千万とかかかるんじゃないの?」

「小さい家なら、一億あれば足りるんじゃないの?」

 きょとんとしながらゆりあが問い返してくる。

 ――いま、さらっと一億って言った?


 浮世離れした娘が一般的な感覚を身につけられるようにとのご両親の願いにより、彼女は私立のお嬢様学校ではなく公立の小中学校に通っていたはずだが、残念ながら、彼女はいつまでたっても浮世離れしている。


「お金なら全額、お父さんが出してくれるわ。それが嫌なら、『出世払いにします』って言えばいいじゃない」

「出世って……誰が出世?」

「もちろん、カノちゃんが」


 にっこりと微笑むゆりあには邪気など欠片もなく、心の底から、カノの将来性に期待を寄せてくれているみたいだった。


「一流のデザイナーになるんでしょう? カノちゃんなら、あと十年もすれば、三億ぐらいの家も建てられるようになるわ」 

 手を引っ張られて、カノはやむなく立ち上がる格好になる。


 ちょうどそこに、次の電車がやってきた。

 準急列車。まぁ、これでもいいか。

 私たちにはきっと、これぐらいがちょうどいい。


「いやいや、十年後には、海外進出してるかも」

「わぁ、素敵。私、住むならイタリアがいいわ」

「イタリアね……覚えとく」


 家賃八万円のマンションから、推定数千万円の一軒家へ。次はイタリア在住へ。どんどんスケールの大きな話になってきている。


 でもなんだか、愉快な気分になってきた。

 電車に乗り込み、あいている席に並んで座ると、ゆりあはなんのためらいもなく、カノの肩に頭をもたれさせてきた。


 向かい側のシートの端に、似たような格好をした男女のカップルがいたけど、こちらには目もくれない。

 他の乗客も、ゆりあの可愛さに目を奪われることはあれど、奇異の眼差しで見つめてくる者はいない。

 もっとも、彼らは自分たちのことをただの女友達同士だと思っているからそういう反応なんだろうけど。


「……ごめん……さっきは大嫌いなんて言っちゃって。ゆりあの世間知らずなところ、大好きよ」

 世間知らずで脳天気なところに救われることだってある。

 それを一番よく知っているのはカノだ。


「カノちゃん……今さらだけど、世間、ってなに?」

「え?」


 ゆりあの国語の成績は決して悪くない。

意味を知らないはずはないのだが……でも改めて説明しようとすると、なんだっけ? という気分になる。


 適当なことを教えてはいけないと思い、カノはスマートフォンを取り出して検索してみた。


『世間とは、インド発祥の宗教における用語であり――』???

 なんだこれ。


「……よくわかんないわ」

 カノは率直に答えた。

「よくわからないなら、気にしなくてもいいんじゃない?」

 ゆりあは相変わらずふわふわと笑っている。


 ああ、私のお姫様は、今日も最高にかわいい。

 ――だから、もうなんでもいいか。


「ドーナツでも買って帰る?」

「いいわね。期間限定の生チョコレートドーナツ、確か今日から発売よ」



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