帰還

昨日あたりから目眩がするので、アパートの手すりに掴まり、階段を一段ずつ登る。


街灯が少ないアパート周辺は相変わらず薄暗かった。時間は午後9時を少し回ったあたりだろう。


「山内くん、明日から休め。体調が戻るまで来なくていい」


バイト先の店長からぶっきらぼうにそう言われた。バイト先の仲間からも心配されたが、一人だけ余計な一言を言った奴がいた。


「──山内さん、もしかして彼女にでもふられましたか? 」


悪ふざけで言った軽口だっただと思うが、胸ぐらを掴んでしまった。店長が止めてくれなければ、殴っていたかもしれない。


そんな嫌な記憶がフラッシュバックしてきて、うっかり階段を踏み外してしまった。


「あ……」


その時、背中を支えてくれる誰かがいた。


「山内、大丈夫か? 」


「寛さん……」


手すりに掴まり階段を登りきる。想像よりも不調だったのかと、今更ながらに思う。


「ありがとうございます。助かりました」


「まだ、雫ちゃん連絡がつかないのか? 」


「はい……」


「そうか」


寛さんは難しい顔をしたかと思うと、ポケットに入っていた銀色に光る何かを放ってきた。


両手でキャッチすると、それは鍵だった。


「ちょっと、そこで待ってろ」


寛さんは部屋に入り、出てきたかと思うと、俺にバイクのヘルメットを手渡してきた。


「暫く実家に帰省するから貸してやる」


「これバイクの鍵とヘルメットですよね? 」


「そうだ。俺が戻って来るまで好きに使っていい」


「いいんですか? 」


「ああ」


寛さんは優しく笑った。


「お前、海は好きか? 」


「まあ、ほどほどには」


「国道134号線を走ってみろ。海沿いだから走ってて気持ちがいいし、特に夜風は心地良い」


「はあ……」


「サザンビーチから江ノ島くらいまで走れよ。気持ちよさが100%伝わらないからな」


「……あの、どうして? 」


「気分転換してこい。そんな顔をしてるんだ」


そういうと、寛さんはドアを開け、入る間際にこちらを指さしながら言った。


「しっかり飯食って、寝てからにしろよ。貸すだけだからな、絶対に事故起こすなよ」


「はい、ありがとうございます」


自然と笑顔になっていた。ここ数日、笑っていなかった気がする。


僕の顔を一瞥すると、寛さんは部屋に入っていった。僕もドアを開けて自分の部屋に入る。


「ただいま……」


電気をパチン、パチンと入れていく。明かりをつける音がはっきり聞こえるくらい部屋は静かだった。


不思議だ、慣れないものだなと思う。


アプリを起動しても、やっぱり「サーバーに接続できません。しばらくしてから、もう一度お試しください」と表示されるだけであった。 


テーブルの上にガタンとスマホを転がす。


コンビニで購入した栄養補給用の固形のチョコバーを噛る。ちゃんとした食事をとるべきなんだろうけど、どうにも作る気が起きない。


チョコバーはパサパサとして喉が乾く。冷蔵庫のお茶を取り出し、流し込む。


腹が膨れたからか眠くなって、うとうととしてしまった。



──♫♬♪♫♬♪。


聞こえてくる軽快な音楽で意識が浮上し、スマホが着信している事に気がついた。


まどろんでいたから、夢なのか、現実なのか分からないまま、スマホを手に取る。


時計は深夜1時を過ぎていた。


『──亮? 』


「えっ……」


『……ごめん、遅くなっちゃった』


「…………」


長く待ち望んでいた瞬間は唐突に訪れた。だからだろうか、言葉が出ない。やっと絞り出した言葉は平凡な一言に纏まってしまった。


「……雫? 」


『うん、超絶美少女の雫だよ』


「普通、そういうの自分で言わないよ」


ああ、本物だ。本物の雫だ。


「……今まで、何してたんだよ。死んだのかと思ったじゃないか」


『ごめん、いろいろあったの。硬かったり、冷たかったり、痛かったり、暖かかったり……凄いんだよ』


「よく分からないけど、いつもの雫で安心した」


『うん、いつもの雫だよ。でも、今までとは違うの』


突然、ポロポロと涙を流す雫を見て、僕も堪えていた涙が関を切って溢れ出てしまった。


慌てて手の甲で涙を拭う。


「……くそ、変だな。なんか、涙が止まらない」


『あっはっはっ、亮カッコ悪! 』


「雫だって、顔グシャグシャに濡れてんじゃん」


『私のはそういうんじゃない。し、新機能で分泌液が流れ出るようになったの! 』


「なんだよ、分泌液って。どんなときにでるんだよ、それ」


『あれよ、顔面を洗浄してるの! 』


二人して笑いあった。なんか、こんなに騒がしいのも、笑ったのも久しぶりな気がした。


「なあ、雫、江ノ電に……は無理か……」


『江ノ電? 』


テーブルに鎮座したバイクのヘルメットが目に入った。


「バイクで海沿いの道をツーリングする? 」


『する! 』


雫に会えたことで、アドレナリンが出ていたのか、仮眠を取ったことが良かったのか、頭はクリアになっていた。


斜めがけカバンとヘルメット、鍵を尻ポケットに入れて、スマホを手に取った。


「よし、行こうか! 」

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