隣人
『どうしたの? 変な顔して』
「いや、何でもない。ちょっと、一回アプリ落としていいかな? 」
『えっ、まだ起動して5分も経ってないじゃん。信じられないんですけど』
「すぐ、済むからさ……」
あの一行のメッセージで胸がざわつき、薄暗い期待みたいなもので埋め尽くされていた。
『亮、なんかその顔……嫌い。いいよ、アプリ切って。なんか、気分悪いし』
「あ、……ごめん」
雫は目を三角にして、口をへの字に曲げたかと思うと、あかんべして画面外にフレームアウトしてしまった。
胸のざわつきが倍になった気がした。アプリを切るとSNSに返事をする。
「今、引っ越し作業をしてたところ。終わったから手は空いているよ」
すぐに既読が着いて、着信が入った。
小さく深呼吸してから、画面をタップする。画面が切り替わり相手の顔が映って驚く。
髪が少し長くなってセミロングになっていた。切れ長の目に長いまつげ、気が強いを具現化したような顔をしている。
この展開に既視感を感じた。
「久しぶり、……元気?」
「まあ、……ボチボチやな」
つい数ヶ月前までは他愛ない会話で2時間は話せる間柄だったのに、今は数秒の会話すらぎこちない。
「亮は……あれから何してたん? 全然、連絡もよこさへんし」
「何って、引っ越しと進学の準備だよ」
「…………」
沈黙はありつつも少し懐かしい感じはした。ああ、そういえばこんな雰囲気だったな。
「連絡も何も……僕のことを振ったのは咲夜の方じゃないか」
「それはそうやけど……」
今ひとつ、意図が分からない。
「ごめん、何の用? 」
「別に。なんか暇やったから連絡しただけ。もう切るわ」
「ちょ、おい……」
一方的に通話を切られてしまった。もやもやした気分になる。
だが、すぐにSNSが届いた。
「なんで、髪切ったん? 」
「いや、なんかもっさりしてるなと思って」
「ふーん、あっそ」
……理由なく自己嫌悪に陥る。久しぶりの会話が灰色に染まり、テンションが地の底まで落ちていく感じすらする。
床にはローテーブルと荷解きした際のダンボールが散らかっていた。こういうときは無心に片付けをするに限る。
狭い部屋なので10分もすると片付いてしまったが、部屋が綺麗になったからか少し心も軽くなった。
スマホを手に取りアプリを起動する。
ローテーブルの横にこちらを背にして、体育座りしている雫が映った。背中から哀愁が漂っている。
「雫、さっきはごめん」
『……何が? 別に全然きにしてないですけど』
あ、これ、めっちゃ気にしてるやつだ。
「ちょっと散歩にいかない? 」
『散歩? 私ここのWi−Fiの圏内じゃないと移動もできないんですけど』
「ここに来る時にモン・トレゾールの隣に公園を見つけたんだ。僕の部屋も見える距離だし、どうかな? 」
ゆっくりとこちらを振り返り、眉間に皺をよせ、歯を食いしばり、納得がいかない。そんな顔をしている。
『……行く』
「うん、じゃ行こう」
アパートの外階段を降りて、左に曲がるとすぐに公園はあった。少し寂れた緑のフェンスに人ひとりが通れる程度の入口。
背もたれのない木製のベンチに、小さな滑り台。真四角の植え込みで敷地は囲まれていた。
「こんな小さな公園に子供が遊びに来るのかな」
スマホ片手に雫に話しかける。
『……わかんないけど、私は来るよ。凄く素敵』
雫は走り出すとタンタンタンとすべり台の階段を登り、シャーッと滑った。
「楽しい? 」
『うん、公園なんて始めて来た。亮のおかげで世界が広がった』
「おおげさだな」
『おおげさじゃないよ。私達にとってはモン・トレゾールの家屋内がすべてだから……さ」
「……私達? 他にも雫みたいなAIがいるの? 」
『うん、いるよ。そのうち紹介してあげる。二人ともなんか、へそ曲げてるみたいでさ』
『なんでへそ曲げてるの? 」
『……なんか、亮が私をそそのかしたって思ってるみたい』
雫の会話は違和感を感じるときがある。ただ、それが何なのかは今のところ言語化できそうもない。
何かがひっかかるのだ。
「ねえ、亮、さっきの何だったの? 」
「アプリを切った件? 」
『そう。誰かと電話でもしたの? 』
……隠し事は避けるべきか、話すべきか。
『また、さっきと同じ顔してる』
見透かされてしまった。やっぱり、隠し事は苦手だ。
「……元彼女なんだ。で、つい」
『まだ好きってこと? 』
「どうかな。でも、引きずってはいると思う」
『そっか……』
正直に話したら少し憑き物が落ちた気がした。見上げると建物の隙間から赤い光が差し込んで眩しかった。
「そろそろ、帰ろうか」
『うん』
歩きながら疑問に思っていたことを口にする。
「雫の瞳ってさ、真っ黒だよね。光を吸収したみたいにさ」
『あー、前に話したと思うけどノングレア処理してるからね』
「ごめん、ノングレアって何? 」
『パソコンのディスプレイとかってさ、たまに自分が映り込んで見えづらい時あるでしょ。あれを防ぐ加工をノングレアっていうんだよ』
初めて知った。進学祝いで父親からノートパソコンをもらって、一回電源を入れたきりなのを思い出した。
雫は瞼と涙袋を指で上下に引っ張り、反対の手でコンタクトレンズを取り外した。
『これで真っ黒ではないでしょ』
雫の大きな瞳に夕焼けが反射してキラキラと輝いていた。
「凄くきれいだ」
『あ、ありがと。じゃ、ノングレアコンタクトやめようかな』
「それがいいよ」
部屋の前に到着し、ドアを開けようとするとそのタイミングで隣の部屋の扉が開いた。
「あ、こんばんは」
「こんばんは。入居者の……」
天然パーマに丸眼鏡、ヒョロリと背の高い大男は少し無精髭が伸びていたが内見に行った時と同一人物だろう。
「……失礼、どこかであったことあるよね」
「2ヶ月前にここで内見の際に一度」
「ああ、あの時の少年か」
「ご挨拶には明日行こうと思ってたんですが、改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ。良かったら近くのスーパー案内するから声かけてくれ」
『……ねえ、亮、誰と話してるの? 』
「ああ、この人は……」
よく考えたら、彼の名前をしらない。
「俺は……
高瀬……偶然だろうか?一瞬、警戒する……が手遅れだった。
『私は西園寺雫。で、こっちは山内亮』
「ほう、かわいい彼女さんだな」
『きゃ、ありがとうございます』
スマホのディスプレイを見られたようだ。しまったな……。ん、彼女?
とりあえず、スマホをこちら側に向けた。挨拶をして早々に立ち去るのが懸命だろう。
「そういえば、君の前にもその部屋に内見に来たやつがいたな」
「そうなんですか」
立ち去りたいのに帰りづらい雰囲気になった。
「挨拶したんだが無視されてな。なんか、薄暗いやつだったな」
『どんな、背格好だったんですか? 』
味方に背後から撃たれた気分だ。雫は状況を理解していないようだ。
「黒のパーカーにフードを目深にかぶってて、よく分からなかったんだが、体系的には男だったとは思う」
『そうですか……』
「そういえば、どこかに行かれるんですか? 」
出てきたくらいだから、どこかに出かけるつもりなのだろう。
「あ、そうだ。コンビニに宅配便を取りに行くところだった。じゃ、また!」
「はい、失礼します」
ふうっと小さく息を漏らす。ドアを開けて部屋に戻る。「雫、不用意に他人と話さないようにな」
『なんでよ? 私だって人と話したいよ』
「彼、"高瀬"って名乗ったんだよ。高瀬さんの関係者かもしれないだろ」
『考えすぎじゃない? 高瀬なんて珍しくもないし』
雫は意外と迂闊なところがある。やはり、人間との接触が少ないからか疑うことをしらないのかもしれない。
「そうだとしても、雫の背景がうちのアパートの背景なのを気づかれたら面倒だよ」
『あー……それは考えてなかったな。ちょっと対策考えてみる』
対策はしゃしゃり出て来ないことなんだが、あえて突っ込まなかった。俺がアプリを切れば済む話だ。
長い一日が終わろうとしていた。
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