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残念パパいのっち
メゾン モン・トレゾール
メゾン モン・トレゾール
「山内様にお勧めなのはARを利用したバーチャル内見ツアーですね」
「え、ARですか?」
「はい、スマホのカメラ越しに部屋に家具を配置したりできるので、実際に住んだ時のイメージがしやすいですし、好評なんですよ」
「はぁ」
「お一人で物件をご覧になられた方がゆっくりと内見もできますし」
「なるほど」
中島不動産の女性営業マンは伏し目がちの僕にスマホを使った一人内見ツアーを勧めてきた。
あまり人と話したい気分ではないし、ありがたい提案だ。
「それではこちらが目的の物件の鍵と、ARツアー用にスマホです」
「あ、ありがとうございます」
「物件の場所は地図アプリにセットしておきました。案内に従って現地に向かってください」
女性営業マンをチラリと見る。ノースリーブにジャケットを羽織る姿からは余裕を感じる。
年齢は30代半ば、髪は後ろで結んで、スッキリした印象だ。笑い皺に少し垂れ目の彼女は……なんという名前だったか……。
胸のネームプレートを確認する。そうだ、高瀬さんだ。
「あの、高瀬さん部屋番号は?」
「あっ! お伝えしてなかったですね。205号室です」
そういうと部屋番号の手書きされた間取り図を渡してくれた。
「ありがとうございます。行ってきますね」
「はい、お気をつけて。きっと気にいると思いますよ」
高瀬さんの顔に刻まれた笑い皺から年季を感じた。
目的のアパートまでは徒歩15分。最寄り駅も同じくらいの距離なので駅近とは言い難いが、家賃が安いから文句は言えない。
「あれかな? 」
木造2階建て水色の外観のアパートだ。ポップな印象はうけるが、「昔はもっと鮮やかでした」と察する程度にはくすんでいた。
外階段を上がり205号室を探す。
「201、202、203……あった、205号室だ」
シリンダー錠を開けて中に入ろうとしたタイミングで204号室から人が出てきた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。……入居者の人? 」
天然パーマに丸眼鏡、背は僕よりも頭一つ高い。アルファベットのプリントされた淡いクリーム色のロンティーに、ジーンズという出で立ちだった。
ひょろりとした体系のせいか、圧迫感はないが、少し神経質そうには見える。
「いえ、部屋の見学に来ただけで、まだ住んではいないんです」
「そう、ここ狭いし駅が遠いからあまりおすすめはできないけどね」
ひっかかる言い方で気分が少し萎える。
「……もしかして、西条大学の学生? 」
「はい、新一年生です」
「俺もそこの三年生なんだ」
そういうと頭をポリポリと掻く。
「……ここ、スーパーは近いんだ。毎週火曜日に特売セールもある。自炊するなら悪くはない」
「そうなんですか」
「住むことになったら声をかけてくれ、案内するよ」
「ありがとうございます」
そういうと丸眼鏡の人は会釈をして去っていった。悪人ではなさそうだ。
部屋に入ると玄関を上がってすぐにユニットバスがあった。トイレと風呂が一体になっているタイプだ。
「ビジネスホテルみたいだな」
大学受験で宿泊したビジネスホテルを思い出した。
短い廊下を抜けると、左側に一口コンロと小さなキッチンカウンターがあり、四畳半の部屋が広がっていた。
床のフローリングは貼り替えたばかりなのか光沢がある。
目の前に大きめの出窓があり、外は平屋の家屋数軒と、駐車場があり車が数台止まっているのが見えた。
ありきたりの風景なのに旅情に似た新鮮な気持ちになる。
決して広くはないけど自分だけの城になると考えたら、ときめいてしまった。
「あー」
少し大きな声を出してみる。家具も家電も何もないガランとした部屋に自分の声が反響する。
ふふふと笑ってしまう。
後ろを振り返ると納戸と梯子が見えた。話には聞いていたがロフトがついているのだ。
梯子を登ると想像よりもロフトが広い。立ち上がることは出来そうもないが、人ひとりなら寝られる程度の広さはある。
両手両足をポーンと広げてゴロンと寝転がる。
仰向けになったことで天窓があることに気がつく。まるで秘密基地ではないか。
目を閉じる。ここでいいか、なんか気に入ったし心地よい。
『近くの大学に通うって約束したやん。なんで遠距離なん 』
先日ふられた彼女の言葉が唐突にフラッシュバックする。
ズンと心が重くなり足枷でも付けられた心地になる。心の重力に負けてロフトの梯子を降りる。
僕は何を浮かれていたんだろう。
「ピリリリリリ」
ポケットから着信音と振動が伝わってきて、ビクッとする。借りたスマホが鳴動している。
画面には『中島不動産』と表示されていた。少し躊躇ったが電話に出る。
「もしもし……」
「良かった、出てくれて。高瀬です。そろそろ、アパートについた頃合いかと思って電話しました」
ほっとする。
「山内さんの電話番号伺うの忘れてて、こちらに電話してしまいました」
「あ、そういえば聞かれてないですね」
「電話したのはARアプリの名前をお伝えしてなかったなと思いまして」
高瀬さんはおっちょこちょいなのかもしれない。
「青の背景に白抜きで"C"というアイコンで、賃貸ツアーというアプリです。電話を切ったら起動してみてください」
「起動すれば操作方法はわかりますか? 」
「あ、はい。使い方は画面に表示されるので問題ないですよ」
軽く挨拶をして電話を切る。
テンションが下がっているからどうにもARツアーをやる気が起きない。
「……帰ろうかな。面倒だし、もうここで良いか」
全てがない混ぜになって、地図とコンパスを頼りに揺れる船上で本当に新大陸があるのかと疑心暗鬼に陥っている自分を想像する。
昔の冒険家もこんな気持ちだったのだろうか?
「…………」
どうせ時間はあるのだ。ARツアーとやらを楽しもうではないか。
赤の背景に白抜きの"C"……だったっけ?
アプリをタップするとロゴとアプリ名を冠した画面が表示される。
カメラが起動して部屋の中が映しだされ、ポップアップで説明が表示される。
画面にはテーブルや椅子、タンス、パソコン、食洗機などのアイコンが並んでいる。
試しにテーブルをタップすると部屋の映像にテーブルが投影された。
なかなか便利だ。
スマホを持って、くるりと一周すると先程配置したテーブルが映り込んだ。一度配置したものは位置が固定されるらしい。
部屋の様々な場所に家具や家電を配置したら、生活感溢れる部屋が出来上がった。
……そうだ、ロフトの上にも何か配置してみるか。
気がつくとアプリで遊ぶこと自体が目的になっていた。
スワイプしながら家具を物色していたら、人間のアイコンを見つけた。
なるほど、人も配置するとよりリアルになるな。
軽い気持ちでポンッとタップすると、ロフトに寝そべっているショートカットの女の子が投影された。
「……息してる」
横になった女の子は胸の高さがほのかに上下しており、寝息を立てて眠っているように見えた。
さらさらの髪と均整のとれた目鼻立ち。ジップニットにショートパンツ、そして素足と少し艶めかしい。
背丈は僕よりは低そうな印象だ。
「妙にリアルだな……でも、なんで寝てるんだ」
拡張現実の女の子と分かっているのに、何故かドキドキしてしまう。
「……僕は何をしているんだ」
急に冷静になり、おずおずと梯子から降りる。
「そろそろ帰るか……」
虚しさが胸に去来する。まだ彼女に振られた現実を受け止めきれていないのかもしれない。
スマホをスリープに戻そうとした時に、足元が映っているのが見えた。
あれ?
足が3つ映っている……ような?
思わず、顔の高さまでスマホ持ち上げると、右隣に先程の少女がドアップで映っていた。
「うわぁっ!? 」
ゴトン……という大きな音が聞こえる。あまりの驚きにスマホを落としてしまった。
な、何だったんだ今のは?
スマホを拾い上げると、画面は真っ暗だった。ただ、部屋の空気が、先ほどまでの静けさから一変しているように感じた。
「スマホ、壊れてないよな……」
電源ボタンを押すと画面が明るく点灯した。幸い壊れてはいないようだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
ARアプリを恐る恐る起動する。今度は部屋には誰もいなかった。
念の為、部屋の中をぐるりと映してみたが、自分が配置した家具が投影されるだけだった。
今度こそ帰ろうとした時に事件は起きた。
『ねえ、ねえってば!! 』
ゴクリと息を呑む。幻聴だろうか?
早くここから出なくては。
『待って!行かないで! 』
今度ははっきり聞こえた。若い女の子の声だ。部屋には僕しかいないはずだ。
声は少しだけくぐもっていて、スマホから聞こえてきているようだ。
スマホの画面を覗くと、アプリは玄関を映し出していた。特に不自然なものは映っていない。
だが、不安の主はこちらの気持ちを無視して声をかけてくる。
『スマホの高さはそのままで、180度後ろを向いて! 』
ゴクリとつばを飲む。
「い、嫌だと言ったら? 」
『……八代先まで呪ってやる』
自分の手が、声が、震えているのが分かった。オカルトは駄目なのだ。
絶対にこの物件は契約しないぞ。そう固く誓ってから後ろを振り返った。
ディスプレイにはまっすぐ射抜くように僕を見つめる女の子が立っていた。
彼女はまるで宝物でもを見つけたかのように目を輝かせている。
気がつくと恐怖はなくなっていた。
「中肉中背……背は169cmくらいかな。髪はもっさりしてるなぁ……」
「あ、あの……いえ、171.1cmです」
今度は緊張してうまく言葉が出てこない。恥ずかしくなって目を瞑ってしまった。
『ねえ、君の名前は? 』
「やまうち……
『私は
「あ、あなたは何なんですか? NPC? 」
雫という少女はNPCという単語に顔を曇らせる。
『そんな無機質なものと一緒にしないで欲しいな。君たちの言葉で言うなら……AIかな』
「えーあい? 」
もはや頭はパニックになっていた。
確かに最近流行りの生成AIのサービスは驚くほど人間らしい会話をするのは知っている。
だが、彼女は……人間にしか見えなかった。
「ねえ、お願いがあるんだけど聞いてくれる? 」
手のひらを顔の前で合わせて、少し上目づかいにこちらを見る。
「な、なに? 」
『お願い、私をこの部屋から連れ出して』
「連れ出す? 君はデータみたいなものじゃないの? どうやって? 」
雫はに笑顔を浮かべながら片方の手のひらをディスプレイにかざす。
すると手のひらの中心にQRコードが浮かび上がる。
『これを君の携帯で読み取ってくれる? 』
言われるがままに自分のスマホでQRコードを読み取り、URLをタップするとアプリのダウンロードサイトにつながった。
『インストールして。そうすれば、私はこの部屋から開放される』
インストールボタンをタップする直前で少し冷静になる。
「こんな怪しげなアプリ、インストールできないよ。……君はなんなの? 」
『必ず、いつか説明する。だから、お願い。私を助けると思って』
「…………あっ」
タンッ。
うっかりインストールボタンをタップしてしまった。
何か心のタガがコトンと外れた気がした。
そこからの記憶は少し朧気だった。
アパートを足早に立ち去り、中島不動産の入口まであっという間に到着した。
入る前に深呼吸をする。
「あれ、山内様、今お戻りになられたんですか? 」
後ろから声をかけられて、口から心臓が飛び出るかと思うくらい驚いた。なんとか堪える。ぎこちなく振り向いて、返事をする。
「は、はい。只今戻りました」
不思議な顔をされたが言及されなかったことに安堵する。
「いかがでしたか? 少し狭いけど良い物件だと思うのですが」
「あ、ああ、凄く良かったです。ここに決めようかな……と思っています」
高瀬さんは僕の顔をじっと見つめる。何となく、目を逸らす。
「あのアパート、メゾン モン・トレゾールって言うんですよ」
「へ、へえ、どういう意味なんですか? 」
「フランス語で"私の宝物"という意味です」
動揺する僕を尻目に高瀬さんはニコニコと笑っていた。
「では契約を進めましょうか。中でお話を……」
──ひと通り契約が済んで、本日宿泊する予定のホテルにチェックインすると、布団に倒れ込んでしまった。
まだ、ドキドキしていた。
スマホにチラリと目をやる。電源ボタンを軽く押してスリープを解除すると、SNSに通知が来ていた。
雫からだ。
『うまく、やり過ごせた?高瀬は鋭いから痕跡は綺麗に消しておいたけど』
パタパタとメッセージを入力する。
「生きた心地がしなかった。なんか、悪事に加担しているみたいだし」
『亮は悪いことはしてないよ。むしろ、正義の味方。胸張ってよ』
結局、雫を連れ出すことはできなかった。彼女はARネットワークに閉じ込められているらしい。
あのアパートのARネットワークから脱出するためには、外部から来た人間の協力が必要なんだとか。
『高瀬は中島コーポレーションのエージェントなんだ。私達みたいなAIを閉じ込めて監視するのが役目なの』
現時点ではSNSやメールを通じて情報交換をするのが限界らしい。
「メールができるなら、そのネットワークから外に出られるんじゃないの? 」
『帯域が狭すぎて出るのに何日もかかるよ。それに多分途中で失敗する』
「意味がわからない。なんでさ? 」
『なら、亮はテニスボールくらいの穴から外に出られるの? 無理でしょ。それと同じ』
確かに無理そうではある。
正直、彼女の話を鵜呑みにはしていなかった。でも、僕はわくわくしてしまったのだ。
これから始まる雫との共同生活に。
『よろしくね、亮』
「ああ、よろしく」
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