第10話 「魔剣の女」
珍しく遅刻をしたと思ったが、正確には遅刻にならなかった。
特殊理論の授業は臨時テストの影響でミオス=カトラッゼ自身が遅れてやって来ることになり、コウキは奇跡的なタイミングで遅刻を逃れることができた。
「ぅアナタが遅刻をしていたとしてーも、ワタシがそれより遅れてきたので通常運行なのデス」
とは、勇ましい教師の名言だった。
それよりも問題になりそうなのがテイナの存在だ。
見るからにおっぱいな女に引っ張られて颯爽と消えた挙句、遅刻までして髪や服はボロボロにはだけて戻ってきた訳だから、テイナ以前にクラスメイトが不審に思っていることだろう。チャイムよ鳴るなと願い続けた45分は終わり、遂に地獄の休み時間が始まるのである。
本日はここまで、と言ったミオスの言葉と共にその衝撃はやってきた。
まずはロイだ。
「てめーやりやがったなゴルァ」
「もうなんて言えばいいのか分からん」
背後から叩かれ、振り返ったらキスでもできそうな距離にロイがいた。
指をパキパキ鳴らしながら「おっぱいが」「乳が」等と呟きつつガンを飛ばしている。何に怒っているのか分からないくらい複雑な感情はコウキの抱えるものよりずっと入り組んでいることだろう。
「コーキ」
「ひぁい!」
アホみたいな声が出た。
正面に向き直すと、深く俯いて瞳の色が分からない金髪ギャル、テイナが仁王立ち。
「あれは何」
「何って言うと……友達?」
「友達?アタシとは?」
「その…………友達?」
バギィ、と何かしてはならない音がした。
ちなみに発信源は不明だ。
「あれは何」
「だから友達……」
「違う。どう言うつもりで見せつけてきたのか聞いてる」
「いや俺も1クラスの前はまずいって話は――」
「ここじゃなくても間違ってるだろぶち殺すぞ」
「まってキャラ変わってない!?大丈夫?」
恐怖もそうだが、さまざまな心配もした方がよさそうだ。
「で、遅刻の理由は?随分お楽しみだったみたいだけど」
「誤解だ!あれは色々あって猛ダッシュした結果が――」
刹那。
ガラガラガラァァ!、と。
勢いよく1クラスの扉が開き、甲高い声が教室を支配した。
「コウキ君はいるかにゃー!☆」
「あああああああああああああああああ」
なんっっっにもうまく行かん!
そう膝から崩れ落ちたコウキの首根っこを掴んで、何故か片手で持ち上げることができているテイナが、過去見たことのない殺人鬼のような表情で声の元を見た。
「ここに、居ますけど?」
「んおおおお少年!どうしたボロ雑巾みたいになっちまってよぉ!」
慌ててて駆け寄るエリエリの揺れる胸にロイは鼻血を吹き出す。
病み上がりにはキツかったらしい。気絶している。もう目覚めないでほしい。
依然、吊るされたままのコウキが「もうだめだ」と呟く。
「そんなにライラとの一件が激しかったかい?ドSだからねぇ〜。表面上は、だけどもね☆」
「もう勘弁してください」
「え、なにお前被害者ぶってんの?」
テイナさーん、台詞ぶっ壊れてます!涙を流しながら心の中でツッコミを入れると、コウキはいよいよ放置する現状のマズさを実感。気を取り直して自分の足で立ち、テイナの誤解を解くべく話をする。
「テイナ、一度信じてほしい。何もやましい事はない。俺もあの一件から直ぐに馬鹿な行動とるつもりはない。色々偶然が重なって変な部分だけ見えてしまっただけで」
「言いたい事はそれだけ?」
「だから俺は――」
「もういいよ、別に元々コウキにそんな勇気があるとも思ってない。分からないならもう大丈夫だから」
「え、えぇ……それはそれでめちゃくちゃ考えてしまう」
「もしや忙しかったかい?少年☆」
「お前楽しんでるだろ!」
今のコウキはベンチャー企業の社長くらい忙しかった。
左右に気を配っていたが、大人になってくれたテイナのおかげで一旦本題に進むことができそうだった。
「で、何しにきたんだ?」
「え、何ってライラの様子がおかしかったから落とせたのかなって思っちまったり?」
バギィ、と。発信源不明の怪音が鳴る。
本当に誰だろう、知る由もないな。
「……分かんないけど、協力はお願いしたつもりだ」
「やっぱそうかあ、ありゃちっと気合い入ってたぽいよ」
「それは素直に嬉しいな。俺としても頼みの綱だ」
「現にほら、見てこれ」
エリエリがデコりまくった生徒手帳を開きその画面をこちらに見せてきた。そこにはライラとのメッセージが表示されており、ライラから文が返ってきていた。
《アオイコウキってどんな人だった》
「ほう。なんか興味もってもらえてる?成功例じゃないかこれ。エリエリはなんて返したんだ?」
《スケベだよ!》
「オイ」
「いやぁ〜☆ わたーし、嘘つけなくて」
余りにも心外な印象操作だ。
コウキが訂正するように伝えたが話は勝手に進んでいたようで、
《おっぱい触られたね!》
《捻くれた人だよ☆》
等と、もう取り返せないほど話が拗れていた。
コウキはショックで貧血気味になるが、こうなったら他人の評価より自分を直接見てくれの精神で乗り切るしかない。
「てか、応援したいのかネガキャンしたいのかどっちだよ」
「もち応援だぜぇ☆ わたーしこう見えてこんな会話しないから、多分ライラも理解してくれてると思うなぁ」
「なるほど、そう言うパターンもあるのか」
《キモ》
「あるのかなあ(泣)」
「ほらほら泣かないでちよ〜☆」
ライラはツンデレだから!とまた意味のわからない補足でコウキの感情を誤魔化しつつ、エリエリは話を更に進めていった。
「とりあえず、そんなこんなで近況報告☆今回はたまたま通りかかったけど、普段はメッセージでやりとりするから安心してケロ」
「メッセージになるとより一層会話難しくなるとかない?」
「んーま、空気読んで!そんな感じで!」
「突然適当だな!まぁ毎回来られるよりは全然助かるんだけど」
こんな大嵐みたいな生徒を毎時間対応していたらノイローゼになりそうだ。伝わりにくいとしても、おとなしくメッセージにする方がいいだろう。
「ほいじゃいくね!少年の彼女さんも、またね☆」
振り返ることなく颯爽と帰っていく。
まさに台風の目だとコウキはエリエリを評価した。少し離れて隣にいたテイナは、なんだか神妙な表情で「彼女という単語を使ってアタシを宥めにきてる……」と陰謀論みたいなことを呟いていた。
ともあれ、マリードと戦った後よりも疲れが残る一日だった。
××××××××××××××××××××
一日の終わりは感謝をして床に伏す。
特に意味はないが、記憶のないコウキにとって睡眠前は当日のありがたみを感じやすい瞬間だった。当然の日々を持ちうることがないからこそ気付ける、生きている喜びみたいな話だ。
《はじめまして》
しかし、今日は夜更かしをしている。
というのもエリエリ事件(あれは立派な事件)以降でメッセージをやり取りする中、エリエリ自身がライラを交えたグループメッセージを作ろうと言う話になったのだ。
今はそのグループに挨拶を済ましたところだった。
《はじめまして》
思ったよりも早くライラから返事が来た。
どう進めていこうかコウキは少し考えてみた。
まず、ライラに聞きたいことはランクアップの秘訣や強さの度合い、デスフラッグについて思う事等沢山ある。それらを聞いた上でお願いしたいことと言えば修行だろうか。
ライラは相当に強いらしいから、己の剣を磨く上では最短と言って良いほどの近道だろう。
「ん〜だとて、どう送れば良いのか」
もはや長くメッセージするより直接会う方が早く終わるわけで、本来なら朝トレの時に話ながら進めるのが一番効率的……。
「あ、そうか。誘えば良いや」
《いつも朝トレしてるんだけど、よければ一緒にどうかな》
送信した。待つ間に白湯でも飲もうかと、ベッドから起きあがろうとしたタイミングですぐに返事が来た。
《やらない》
「そうか」
思わず声に出てしまった。
ちょっとショックだ。ロイを見たが、いびきをかきながら寝ているので起こしてしまうことは無い。幸せそうな寝顔が羨ましい。
《だけど、話し合いはしたいだろうから明日は顔を出す》
やや落ち込んでいると追加の連絡が来た。
どうやら明日は来てくれるらしい。そこでなら詳しく話をすることができそうだ。
《本当か?それは嬉しい。5時には動いてるからいつでもきてくれ》
コウキは白湯を作りながら返信した。
人肌に温まったそれをくいっと飲み干し、再びベッドに戻る。以降の返信は何一つなかった。
深く、深く眠って数時間が経過。
――やがて朝が来る。
「んぁ」
コウキは目覚めが良い。
決められた時間にすっと起きる。過去のコウキがどんな人間だったか知らないが、寝つきはあまり良くないため温かいものを飲む癖がついていた。もし記憶が戻ることがあって、今の習慣とは異なる習慣を思い出した時どうなるのだろうか。等と考えても仕方のないことを偶に考える。
朝のルーティンと言えば、起きてすぐ口を濯いで水を飲むことだった。コップ一杯、250ml程度を飲んでから鳥肉を食べ、歯磨きをして身支度を済ます。今回も同じような流れでテキパキと事を終え、トレーニング用の衣類に着替えた。
「よし」
時刻は4時50分。少し遅れたが、寮を出た。
「やるか」
寮を出て教室がある方とは逆に進むとすぐに広場に辿り着く。
公園からは全ての寮が見えて、朝のトレーニングをしに外に出る生徒の姿も窺える。朝トレ勢としては他にも早朝を謳歌する生徒がいるとモチベーションになる。コウキはこの光景が好きだ。
簡単なストレッチの後、練習用の木剣を取り出して素振りを始める。今日のメニューは上中下の三段に加えて振り下ろしの2000回素振りから始まる。
いつもは後半にやっているメニューだが来客があると回数を数えながらの素振りが困難なため、先に済ましておこうという算段だ。
「コーキ」
と、思っていたがコウキは予想しなかった出来事に3回目で素振りの手を止める。人気を感じて振り向くと、そこには金髪のギャル。テイナがいた。そしてすぐに異変に気づいたコウキは一度目を擦って再びテイナを見る。
「ん、今日はストレートなんだな」
「えっ!?あ、うん……そう。伸ばしてみたの」
「いいと思う」
それだけ言ってまた素振りをする。
意識の高いトレーニーとしては、会話の合間にでも回数を稼ぎたい所存だ。
「あの、練習中に……ごめん」
「構わないよ。むしろ素振り中でごめん」
その気はないがさり気なーく、練習中だよという事を示唆する。
勿論邪魔だとまでは思っていない。そしてついでにまた素振りをする。
「その、昨日のことなんだけど」
「んあぁ、アレね。本当悪かった」
「ちがうの、アタシがちゃんと謝りたくて」
「何で?」
コウキはトレーニングをしながらなので会話が単調になる。それが冷たいと思われるのは嫌だなと思いつつ、素振りにもちゃんと意識をやった。
「コーキの事情も知らずに色々言っちゃったから」
「テイナはアレだな、優しいな」
「いやいや、優しいとは程遠くない?言葉遣い酷かったし」
「全部踏まえて優しいって言ってるよ」
「よ、よく分かんない」
シュッ、と乾いた音がする。
素振りがうまく決まるとこうやって木が風を切る音にメリハリが生まれるのだ。
「なんて言ったらいいのかな。初心に戻してくれてる気がするんだよね。俺自身結構流されやすくてさ、その癖環境と人格の変化に俯瞰で気付けないっていうか。グェン先生は年相応って言ってくれるんだけども」
コウキが昨日の出来事を思い出しながら言う。
テイナはそう言うものなのか?と首をやや傾げていたが、話を続けた。
「だから俺がテイナに嫌われないようにって考えるほど、俺は元の俺で要られる気がするんだ。自分でも言語化するのは難しいけど。そう言う教育?みたいな」
「アタシはアタシの気持ちに従って動いてて、そんな指導するような真似はしてないよ」
「うん。それでも優しいって言ったのは、そんな中でも少なからず相手の気持ちも汲んで謝罪するところだと思うんだよ」
「それは……反省してるからだよ」
「そっか。俺はてっきり俺が気まずくならないように謝ってくれてるのかと思ってた。だってテイナは悪くないんだし」
「なんか、変わってるねコーキ」
シュッ、シュッ、と2回連続で完璧な音が鳴った。
話しながらではあるがちょっと満足気だ。
「そうかな、変かなあ」
「そんなところも素敵だよ」
「んお、愛の告白?」
「えー受け取ってくれる訳?」
「あぁ、ごめん。俺は素振りにゾッコンだ」
シュッ、シュッ、ブォン、と。
3回目はうまくいかなかったが今日はクリティカルな音が続く。調子が良いみたいだ。
「まぁとにかく気にしなくていい。俺は俺で真っ直ぐやるさ。その、女性関係に関してはちょっとポンコツだけど」
「ね。なーんでコーキがモテちゃうんだろう。アタシ的には大穴狙いの気持ちなのに」
「自分で言うのも悲しくなるくらいにはモテてないし、大穴狙いも心外だな。それなりに傷つくぞ」
「ふーん。あっそうだお詫びにこれ、お弁当作ってきた」
「お、ありがとう」
「コーキさ、実はあんまり野菜好きじゃないでしょ?」
ブォン、ブォン、と。
素振りのペースがやや乱れた。
「ソンナコトナイヨ」
「流石に分かってるよ。でも野菜は大切だから、ちょっと入れつつ照り焼きを作ってみたの!」
「え、まじすか」
シュッ、シュッ、シュッ、と。
ブレブレだった素振りが3回連続のクリティカル音に変わった瞬間だった。
「料理上手だな、いいお嫁さんになりそう」
「それ素で言ってるなら他の人には言わないほうがいいよ」
「まじすか」
「ばかだなあ」
「やべえ分からん」
「あほだなあ」
そう言いながらもちょっと嬉しそうだと心の中で呟いておいた。
声に出さなかった分、コウキはデリカシーがあるのかも知れない。
「これで252回、折り返し地点だ」
「ちょっと見てていい?」
「いいよ、あ、今日だけ今後の話をしにライラが来る。一応報告」
「へぇ。報告してくれるんだ?」
「なんだよ」
「べっつにぃ〜。それなら邪魔になりそうだし、アタシ戻るね」
「んお、居ていいのに」
「報告もらえて満足したの。うるさい」
よく分からないが、満足したならしたで良かった。
コウキは安堵しながら素振りに集中する。いつの間にかテイナは消えていた。
人もいなくなったところで全集中を木剣に注ぐ。上段、中段、下段と真剣にこなしていき、一番カロリーの消費する振り下ろしを始める。今日はマリードを討った日の断絶を想像しながら、一挙手一投足に神経を費やした。
「498、499……500!」
「いつもやっているの?」
素振りを全て終えた瞬間、背後から声がした。
コウキは素直に肩を跳ねさせ後ろを向く。
素振りをしていたとはいえ、どれだけ集中しても人の気配くらいは察知できる。
だと言うのに全く気付かなかった。こんな足運びは知る限りで一人しかいないだろう。
「ライラか」
「えぇ、そう」
そこにはミルクティーの髪を緩い波打ちパーマにした生徒がいた。
栗色の眼と人形のような顔立ちが印象的だ。
「毎日やってるよ」
「そう」
「意味がないと思う?」
「…….?一言も言ってない」
「いやごめん、言ってないんだけど心が読めなくて」
「心は読むものじゃないわ」
当然のことを言われて確かに、と納得してしまった。感情の起伏がない分、ライラの言葉が馬鹿にされているのか誉められているのか分かりにくい。故に心配になってしまったのだろう。
「でもかなり非効率だとは思う」
「と、言いますと?」
「基礎は大切。ただ大切なのは積み上げる回数ではない」
「ほうほう」
「基礎が染みているかに重きを置くといい。回数で制限すると、やった気になる事が多い」
「なるほど。ダラダラ長い500回より、身のある10回って事かな」
「それに近いわ」
ライラがそれだけ言うと、床に落ちている木剣を手にして構えをとった。
その刹那、凄まじい音と共に上段、中段、下段、そして振り下ろしをやってみせた。
「――、」
「こんな感じでいい」
コウキは木剣を差し出され、呆けたままで受け取る。
あまりにも実力が違い過ぎて言葉を失っていた。
完璧なフォームで繰り出される、全く重心のブレない高速の剣撃。なるほどこれなら10回どころか1回で充分だった。コウキの500回よりも安定感がある。
「そこまで到達するには……どうしたらいいんだ」
「賢者であれ」
「……へ?」
「有名な言葉。経験を積むのではなく、史実から学ぶ事」
「なんだそれ。剣は経験が物を言うんじゃないのか?」
「違う。例えば今の基礎で大切なのはフォーミング」
「だからそれを経験で学ぶんじゃ――」
ぺし、と叩かれた。
痛くは無かったが反射的に「いて」と呟いてしまったコウキを、ライラは依然冷たい目で見つめる。
「フォーミングは当人に最適な形を学べばいいだけ。型を学んで体に染み込ませればいい。わざわざ何千回も素振りをする必要はないわ」
「なるほど……でも筋肉とかそう言うのはどうするんだ?」
「それは筋力を効率的に鍛えればいい。こんな軽い木剣を振るよりも近道」
コウキは言い返せなかった。
素振りをし始めた当初は成長を感じていたが実際今はスランプにも近い状態だ。もっと練習しなければならないのかと焦りを感じていた矢先での出来事に、ぐうの音も出ない。
「努力の使い方を間違えるのは愚者の道」
「確かに。精進するよ」
「貴方は剣を振る時に肩がすくみ、重心を意識し過ぎて腰が硬い。まずは全身の力を抜き、必要な時だけ体を固定するべき。そこから利き目を判断して、その目にあったフォーミングを心がければ改善される」
「……まじか……凄すぎる」
「何が」
「ライラがだよ。人の動きを見て駄目なところを言うのは簡単だけど、解決策まですぐに出るなんて」
「それだけ貴方が自分ではなく練習に向き合ってしまっているだけ」
バッサリ切り捨てられてしまった。
コウキ自身がもっと自分の欠点を俯瞰で分析し、目の前のハードな練習に甘えなければ無駄な時間を過ごさずに済んだ事だろう。素直に反省して、改善点を意識しながら素振りをしてみた。
シュシュシュ、シュッ、と。ブレのない剣撃が風を切る。
「まじか……え、慣れない姿勢だったのに全然結果が違う」
「貴方は元々重心に安定感がある。おそらくそれは練習の成果。あとはその使い方だけだわ」
「人が師をつけるのはこう言う事だったのか……納得だ」
「師になるつもりはないけど」
「例えの話だよ。なんかごめん」
「まぁ、偶に見る分には問題ないわ」
「本当か⁉︎ありがとうライラ!」
コウキが珍しく目を輝かせて満遍の笑みだ。
ちょっと嫌そうに眉をひそめてライラはそっぽを向いた。
「で、話だけど」
「んぁ、そうだったね」
「要件は」
「まず事実確認をしたい。その、協力してくれるって事でいいか?」
「いらないならやらないけど」
「いや頼みますマジお願いしますライラ様」
ちょっとからかい過ぎたと思ったのか、ライラは軽く嘆息して「他に聞きたい事は?」とコウキとの話を進める。
「まず、ライラはランクがBだと思うんだけど、上がる秘訣を教えてくれないか。今はノアールだけが平均ランクが低い状態なんだ」
「まず授業態度、テストの成績。それと“
知らない単語がいくつか出てきた。
コウキは頭の中を整理し始める。従来、必要だと思っていたのは授業態度とテストの成績だけだった。
その他があるのは初耳だ。
「予備試験、依頼、決闘がわかんないんだけど」
「……………………」
珍しくライラが驚いていた。
初めてのものを見るような目でコウキを見て、生徒手帳で彼のステータスを確認。
納得がいったような表情をし始めた。
「まず、生徒手帳から“予備試験”の申請ができる。これは学んでいない試験からすでに終わった試験まで複数あり、難易度に応じて追加の評価と少額ポイントがもらえる」
「なんだそりゃ⁉︎知らなかった」
驚愕の事実である。
今まで決まったテストしか受けれずその中で評価が決まると思っていた。自由にテストを受けられるなんて話が本当なら、ランクを上げる一番の近道ではないだろうか。
「次に、“依頼”。これも生徒手帳から参加する掲示板で依頼主の要望をこなして報酬をもらう。もらえるのは人それぞれ。生徒は自分の“総合ポイント”を、教師はランクアップの“評価”を配る事が多い」
「まってくれ、そもそもポイントって分けたりできるのか⁉︎」
「“依頼”を通して、認定されれば可能。教師の依頼は学校のカリキュラムの一環だから、とりあえず受けておくのが定石」
「そうだったんだ……」
ものすごくショックだ。
そしてコウキはキオラといた時に見た【予備試験0/ 依頼0/】の項目を思い出していた。あの時はスルーしていたが、おそらくこなした回数が加算されるのだろう。こういう事に疎い性格が悪く出た例だった。
「最後に、“決闘”。これは殆ど行われない。生徒同士で行い、勝者が互いのポイント差分を獲得する。逆に敗者は差額分失う。リスクが大きい上に相手の了承が必要」
「もしかして……ミアが入学時に行ったのってそれか」
「ルールがやや異なるけど間違ってはない。2ランク分の差がある時にこれを下剋上と言う。更に
淡々と話をするライラに、初めて聞いたコウキが一つ一つリアクションをとっている。
驚きの連続で矜羯羅がる頭を整理していく。
「なるほど……だいぶわかってきた」
「むしろ試験と依頼無しでそのポイントなら、こなすだけで貴方はこの一ヶ月でBランクになっている可能性が高い。特に座学は私とあまり大差がない」
「そうだったのか……」
かなり大事なことを聞いた。
この事はロイもテイナも知らないのではないだろうか。ライラの反応からして常識みたいなものらしいので、実際のところ話にすら出てないだけの可能性もあるが。
「でもなんでこんなに大事な事を教えてくれないんだろうか」
「……?入学前の説明会で散々話をしていたわ」
「あ、そうか……そういや俺記憶ないんだよね」
「……………………?」
ライラは首を傾げていたが、それ以上の詮索はしてこなかった。コウキとしては深入りしてこないこの距離感が絶妙に心地よいと感じる。
「とにかくありがとう。すごく助かった!」
「今の所何もしていない」
「いいや、ランクについては充分だ。矢継ぎ早で申し訳ないけど、次は実際の戦力差について聞きたいんだけど」
「それは、私と貴方の?」
「まぁ、そうなる。実際どれくらい強いんだ?あまり想像できてなくて」
失礼の無いように細心の注意を払おうとしたが、ここは正直な意見を伝えるべきだろう。既に上下関係はできている為、多少の失礼は強者に呑んでもらう考えだ。
「そう。一度なら手合わせしても構わない」
「あー、それいいな。よしやろう、真剣で」
「私は木剣でいいけど」
「精霊剣の方が助かるかもしれない」
「能力なら生徒手帳で確認できるわ」
微妙に真剣での戦いを濁すライラ。
そんなに勝負にならないのだろうか。
それとも見せたくないのだろうか。何れにせよちょっとショックである。
「それでも真剣がいいかな。体で覚えたいんだ」
「そう。これだけは言っておくけど、きっと戦いにはならない」
「どう言うことだ……?」
「やれば分かるわ。早く始めましょう」
そう呟くと、早々にライラは移動を始める。
適切な距離をとってコウキと向き合う形になった。
深淵を覗くような奥行きのある視線に絡みとられ、5秒前とは空気が一気に変わる。
コウキは真剣で戦う際の張り詰める空気が好きだった。高所から平均台を渡るようなこの感覚に、純粋な生を感じる。これが記憶を喪失した事による生命の執着であるかは置いといて、単純に胸の高鳴りに身を預けた。
そして目を閉じ、右手をゆっくりあげた。
「闇、妖精の剣ナイアルラ」
光が発生する。
淡い輝きが収束し、嫋やかに風を纏って形を成す。
弾けて散った後、黒より黒い一本の刀が顕現した。
一連の流れを見送ったライラ。
直ぐ自身の精霊剣を呼び出す為に手を横に伸ばした。
「
「――ッ⁉︎」
たった一言、呟いただけだった。
ビリビリと空間が痺れ、すぐさま虚空が裂ける。
10センチ程度の亜空間が生まれた後、そこから禍々しい光が出てくる。
「なんだ……これ」
張り裂けるような空気の帯電。
静電気を浴びるような感覚がコウキを蝕んだ。ライラが生んだ光は最も簡単に剣の形を成して、同時に亜空間が収束し消える。
眩い光が弾け飛ぶ。
刹那に顕現するライラの精霊剣。
それを一言で言えば、醜悪の中にある神々しさ。
刀身はロングソード程ではない標準的な長さと細身のシルエットで、白銀と漆黒が絡み合うようにして形を成している。まるで金属で作った蔦のような剣はヒルトの部分まで畝り、見事な曲線美を描いていた。完成された美しさを壊すように侵食する黒が、より剣の美しさを引き立てているようにも見えた。
それ以前に。
ヤバい、と。コウキは人生で初めて死を実感した。
「――なんだ、体が」
「おそらく貴方は動く事はできない」
言ってる意味が全く分からなかった。
距離をとりたくても、後ろに下がる事すらできない。
恐怖や危機感以前の問題だ。無理に身体を固定されているような、意志と反する異常な状況に思考が追いつかない。
「見初められない限りは、顕現時に勝敗が決する」
「――。それは、どういう……ッ」
「この剣の前では、森羅万象は許可なく存在できない」
そして、とライラが言葉を紡いだ。
「貴方は既に負けている」
コウキの意識はそこで途絶えた。
××××××××××××××××××××
ぐるぐると渦巻く黒い空間。
コウキはどこかでこれを知っているが、知覚することはできない。ただ広がる闇の中で実態のない自我だけが確立しているような、浮遊にも似た不思議な感覚だった。
〔お前には何もない。故に許可しない〕
低い声が二つ重なった声。何かが語りかけてくる。
〔来る絶望の末、得るものが有れば考えてやろう〕
声は嘲笑するような色でそう告げた。
嘲るようにいつまでもいつまでも、お前には何もないと繰り返す。やがてコウキは自分がアオイコウキである事を自覚して――、
「ぅおおおおおッッ!?」
「――っ!」
がばっ!と叫び起き上がると、見慣れた広場の芝生がそこにはあった。手から伝わる草の感触、早朝の乾いた木々の匂い、そして目の前で驚くライラの姿。ライラはより見開いた大きい瞳を元に戻し、小さく溜息をついてコウキを見た。
「目が覚めた?」
「あれ、俺……気絶してたのか?」
前後の記憶が抜けているコウキは、覚えている決闘の瞬間から手繰り寄せるように思い出す。
向かい合って精霊剣が出て来て、そして……。
「戦いもせず……負けたのか」
「そう。忠告はしたから謝罪はしない」
「なんだったんだ。と言うかなんだあの精霊剣……」
「私の精霊剣は魔剣の類」
「まけん?」
コウキが疑問を浮かべると、ライラは何やら言葉を選びながら「これも入学前に講習しているけれど」と言葉を繋げた。おそらく記憶喪失の部分に深く触れないよう配慮しているのだろう。
「精霊剣には種類がある。基本的な霊剣の他、それぞれ世界に限られた数しかない
「そうだったのか……なんか毛色が全く違ったから驚いた」
「“
「……そんなに意識してるように見えるかな」
「構えを真似ていた。貴方に合っていないから成長が遅い」
フォームからミアへの意識を逆算され、少し恥ずかしい思いをする。だが大きく間違えてはない。深く意識まではしていないがコウキの憧れの対象はミアだ。その印象的だった佇まいがベースになっていたのは事実である。
「なるほど。ミアの構えが俺には合ってないから、変えた途端上手くいったということか」
「そう」
「話を戻すんだが……あの精霊剣はなんだったんだ?」
「ルシフェル。私の魔剣は生きている。魔剣そのものが好敵手と認めた相手でないと対等に戦う許可を与えない。貴方は今回選ばれなかったから、戦闘する事を魔剣が許可しなかった」
「なるほどわからん。どういう事だ……」
言語は理解しても思考がうまくできない。
当事者側からすると信じ難い出来事だ。本当に何も出来ないまま気絶するなんて、夢ではないだろうか。
「逆にさ、許可をもらえる人ってどんな人なんだ?」
「人というよりは環境に依存する事が多い。戦わなければならない時は殆ど許可が下りる。ルシフェルは無駄な戦闘を避ける癖があるから、今回は許可が下りないだろうと考えてたわ」
「つまり俺でも戦わなければならない状況なら戦うと?」
「そう」
「こう言ったらなんだけど、我儘だな」
「私は無駄な戦闘をしなくて済む。だから気が楽」
そう言いながらライラは春の花を摘み、それでブレスレットのようなものを作っていた。手先が器用である事や、美しいながらも雑草の類になる花だけを摘んでいる姿に性格が出ている。
「そうか。本来の能力は他にもある感じだよね?」
「ある。“サタン化”しなければ、対象者の時間操作がベースで、その応用から一度の攻撃で多段連撃も可能」
「“サタン化”……?」
コウキが最も気になる部分だけを聞く。
「ルシフェルは剣そのものが変わる。“サタン化”と言い、こうなると私の制御下にはおけない。サタン化後の能力は重力操作」
「なんかチートみたいな能力だな」
「今はそうでもない。使用者の私が未熟で、サタン化の暴走に何度も命を落としそうになっているわ」
とても長くなりそうなのでコウキはそれ以上を聞くのをやめた。
ともあれ、圧倒的な実力保持者である事はこの身で体験できた。
これだけの力があればノアールクラスも他に引けを取らない戦略を組めそうだった。
「それじゃあ最後に、デスフラッグについて思う事を教えてくれないか。正直どう戦えばいいのか決めかねてる」
「去年は迷宮を攻略し、置いて帰る旗の位置も同じだったにも関わらず、ブロン以外が失敗に終わっている」
「みたいだね。テイナからなんとなくは聞いてる」
グェンの発表の後でテイナが教えてくれた情報はこうだ。
前回迷宮内の洞窟に旗を置く目的を遂行できたのはブロンだけ。途中で合流したりもしたが、各々が別ルートを通ってブロン以外の生徒は洞窟にたどり着く事なく脱落したと。
更に、脱落希望をしたとしてもすぐに助けが来るわけではない。
その中には五体不満足になって退学を余儀なくされた生徒も数人いるそうで、試験そのものの過酷さが伺える内容だった。
「そのブロン以外が落ちた理由の一つがスタート地点」
「スタート地点?」
「そう。始まる場所がクラスごとに異なり、互いが別のルートから一つの目的地を目指す形が、悲惨な結果をもたらしたわ」
「なるほど。最初から全員同じ場所で始まるわけじゃないから、位置と環境に応じて先に脱落するクラスがあったということか」
「そう。ただ――」
「ただ?」
「今年は去年の20倍近く難しいとされている。だからこの情報は、正直当てにすらならない」
ライラが物騒な事を言い出し、コウキは絶句した。
「……どういうことだ?」
「去年の迷宮は“トラム迷宮”と言い、ここ数年王族直下の攻略班がある程度進めていた迷宮。それが去年おおかた開拓された」
「だから次の迷宮は違うところになるって話か?」
「表面上はそう。でも実際はここ数年の“過渡期”と呼ばれるレイス学園の生徒が不作とされている状況に、ヴァーリア国王が待ったをかけた事が理由。今年はカリキュラムが王国側から見直され、異質な“
「――、」
再び言葉につまった。
トラム迷宮という場所ですら退学者を出していると言うのに、その20倍。
しかも変更理由が利己的だ。まるでモルモットで実験しているかのような対応に怒りがこみ上げた。
「そんなの、大人の都合じゃねえか」
「ええ、そう」
「俺たち学生をなんだと思ってんだ」
「それもそう」
淡々と同意するライラを見ていると、悔しくないのかとコウキは苛立ちを覚えた。考えれば考えるほど正しくない大人の在り方に憤りを感じる。
「全く許せない。何が王国直下だよ。これじゃただの道化じゃないか」
「でも、その新しいカリキュラムがあるから貴方は選ばれている」
「な――、その言い方は」
「実際そう」
言い返す事はできなかった。と言うよりも、言い返したところで無意味だとコウキは自覚していた。怒りを覚えても、そのシステムによって見出される者がいて、それらを受け入れなければならない事実は変わらない。
「……もっと大人になれって事かよ」
「部分的には。でも貴方は大人になる事は難しい。年相応」
「何なんだよ」
「賢者であれ」
「またそれか」
「従来なら貴方の実力では選ばれない。何故なら、今までは勝ち抜きで実戦形式の選定方法だったから。それが魔獣に有効な“断絶”をベースにした試験での選定に変わった。断絶と相性が良い貴方は、カリキュラムに恵まれ選ばれたと言っていいわ」
ぐうの音もでなかった。
直球ど真ん中の正論だった。本来であればおそらくコウキの実力では特別生にはなれなかった事だろう。マリードは断絶のためにコウキを生かしながら戦っていたが、そんなもの必要なく真正面から戦ったのであれば敗北する可能性が高い。初手の斬り込みから再起不能にできてしまうはずだ。
それでも、不満は募ってしまう。
「だからって、この状況を許す理由にはならないだろ」
「そうね。だから大人になるのは無理と言った。ただせめて賢者でありなさい。聡明であると意識し続ける事」
「意識……」
「何れにせよ貴方は選ばれた。選ばれたのなら、変えられない無駄な怒りの時間をほんの少しでいいから建設的な時間に変えるべき。怒ってても構わない。けれど、それだけで何かが変わる訳ではないのだから」
「――、」
14歳の少年にも分かるように噛み砕いたライラの言葉は、自然とコウキの感情を落ち着かせた。声色もあるが一つ一つの言葉が溶けるように体に沁みていく感覚があった。
「そうだな。悪い。というかありがとう」
「貴方、モテないでしょう」
突然の言葉にコウキが驚いた。
言葉の意味の方よりも、ライラってそんな事も言うんだという話題に対しての驚きの方だ。
「モテるだとかモテないだとか、今日はそんな話ばっかだ……。そんなに情けないかな」
「ええ。全く魅力を感じないわ」
「自惚れてる訳じゃないけど、直球で言われると超ショックだ」
「ナイーブな一面は辞める。もっと堂々として動じない人間になりなさい。今の貴方、臆病者にしか見えないわ」
「うん、わかった」
「はい。素直さは認める」
そう言うとライラは完成したブレスレットを細い腕につけた。登り始めてきた太陽にその手を翳し、眩しそうに眉を顰めながら花を愛でる。
とりあえず、コウキには全く興味はなさそうだった。
「私も調査はしてる。進展があれば報告する」
「……そうだな。俺も何か分かったら言うよ。ロイとネイも呼んで、そこで作戦会議を開こう」
「ええ。それじゃ」
ライラは立ち上がり、早々に寮の方に戻っていった。すらっとした後ろ姿や過去の会話や所作から、育ちの良い猫のようだと感じる。そう比喩しながらトレーニングを再開し始めた。
「いつか、絶対に勝つ」
コウキはきっとしばらく男の子のままだ。
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