勇者の花嫁〜勇者殺しに復讐するまで〜
根津白山
第1話 未帰還の師匠
「馬鹿弟子が勝手に出ていってから2年が経ったか——、連絡ひとつ寄越さずに一体どこをほっつき歩いているのやら」
ロッキングチェアに腰掛けながら、弟子が旅立った方角を目を細めながら眺める白髪の老人。名前はハイリグ、オレはハイ爺といつも呼んでいる。ハイ爺は僕の先生の師匠で、分け合って今はハイ爺の下で、魔法の修行をしている。人助けの魔法を——。
「先生は今どこら辺を旅しているんですかね、2年前、オレの教育をほっぽり出して、突然旧友を助けにいってくると言って出ていったきり、音沙汰なしだし」
「これも全て『人魔協定』が悪い」
「ハイ爺はいつもそれだね」
人魔協定——。
この世界では、長年、人間と魔族が血で血を洗う争いをしてきた。魔族は栄養価の高い人の魂を喰らうため、人間は高魔力を有する魔族の心臓を手に入れるため、お互いに殺し合いを続けてきた。
そんな状況に双方、嫌気が差してきた時、魔王リヴィーネが突如王都に現れて、勇者であり国王のグッフェル国王と和平協定、つまり『人魔協定』を締結した。
「いいかザイガー、魔族という種族は決して信じてはならぬ、唯一信じていい魔族は——」
「魔王クレディだけでしょ」
「そうだ、わかっているならよろしい。それが全世界の共通認識だ」
「その魔王クレディって、教科書にもどの文献にも名前が載ってないんだけど、ハイ爺はどこでその魔王と出会ったの? ちなみに全世界の共通認識は魔王リヴィーネだから」
「魔王リヴィーネか……、そんなやつ本当にいるのか? 実際に見たことがあるやつなんていないではないか」
「それは、そうだけど、王様がそう言っているんだから」
「狂った世の中になってしまった」
鍋でシチューを煮込みながら、テーブルの上に皿とグラスを用意し、ワインをグラスに注ぐ。この家では毎週金曜はシチューと決まっていた。この風習は、ハイ爺が世界を旅していた時に決めたものらしく、曜日感覚を失わないためらしい。ちなみにこの国では15歳からお酒が飲める。
「ハイ爺、シチューができたよ」
「そうか、となると明日は週末か」
「ハイ爺、そろそろお金が心もとないから、魔法教室とか開いて稼いできてよ。オレが紹介所からもらう仕事だけだと、足りないよ」
「そうだな、それに馬鹿弟子とザイガーが旅をしていた時に手に入れた宝物を換金して手に入れた金もそろそろ底をつきそうだ」
「ハイ爺は、まあまあ強い魔法使いなんだから、教室を開けば生徒が集まると思うよ」
「わしはもう弟子はとらん。ザイガー、お前で最後だ。初めはお前だって弟子にするつもりはなかった。あの馬鹿が勝手に押し付けてきたから仕方なく——だ」
「はいはい、それは感謝してますよ。ここ2年で、オレに足りなかった薬剤魔法や防御魔法をみっちり仕込んでくれたし。ナタリー先生は攻撃魔法だけで十分だって言って他の魔法は教えてくれなかったし」
「あの馬鹿らしい発言だ——、それはそうと、実はもう金の工面は考えておる」
ハイ爺は徐に、懐から一枚の依頼書を取り出した。しかも、すでに契約済みの依頼書。
「ハイ爺、これ、すでに契約済みらしいけど」
「そうじゃ、すでに契約しておいた。羽振りがいいぞ。週2回の魔法の家庭教師でなんと月10ゴールド。1年は普通に暮らせる金額じゃ」
「これ、ハイ爺が行くんだよね」
「いや、ザイガーが行くんだぞ。人に教えるという行為も、自らの魔法を深めるために必要なことじゃ。言ってこい」
「いつも通り、有無を言わさないこの感じ——、はいはい行ってきますよ。それにしてもこんな大金払えるなんてとんでもないお金——って、パウゼ家じゃないか」
パウゼ家は現在オレがいる国、シュバール国の王家と血縁関係を持つ有名で家柄。それはこれほどの大金を支払えるわけだ。それにしてもよくハイ爺はこんな依頼を手に入れてこれたものだ。
「明日朝9時から授業をしてほしいとのことだ。生徒の名前はミリーナ・パウゼ。遅れずに稼いできてくれよ」
「はいはい、わかりましたよ」
「それと、絶大な権力を持つ貴族の家だ、もし生徒が女子だったら、今のうちに唾をつけておけば、後々いい思いをするかもしれんぞ」
「はいはい、さっさとシチューを食べるよハイ爺、ナタリー先生と一緒でハイ爺も突飛押しもないことばかりするんだから。この師にしてこの弟子ありだよ」
「あ、そうじゃ」
ハイ爺は何かを思い出したかのように、白々しく話し出す。
「現在では忌み嫌われる攻撃魔法だけは、しっかり教えてきなさい。これが我が弟子の務めであるからな」
「はいはい、それもわかっていますよ。このご時世に攻撃魔法を習いたいと向こう側が言えばだけど——」
「今の民たちは忘れてしまったのだ……、攻撃魔法こそが世界を救う魔法だということを」
「——そう、だね」
ハイ爺と一緒に、夜にもかかわらず青白く輝く東の平野の、そのまた奥のおそらく荒れた大地の方角を眺める。多分、ナタリー先生はそこに向かったのだろう。
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