部屋の内見

ぱんのみみ

部屋の内見

「ねえ、アリサちゃん。部屋の内見に行こうよ」

 突然言われたことに私は数回瞬きを返す。


 彼氏の佐藤 健太郎とは同棲して五年になる。これだけ長い年月を一緒にいれば結婚なんてのを視野に入れるのも自然なことだろう。健太郎との関係も生活も悪くない。ご両親との挨拶も済ませた。ほんのりヨロシクね、と微笑まれた。

 でも健太郎にとってはそうでも無かったらしい。

 今年に入ってからめっきり帰りが遅くなった。休みの日も朝から出かけるようになったりして、私達は同棲してるのにまるで別々の暮らしをしてるみたいな生活をしていた。たまたまおなじ空間に寝泊まりしてるだけの、知らない人。そんな距離感になるのも時間の問題だ。

 そんな矢先に先述の言葉だ。


「え? 内見?」

「そう、内見」

「それって引っ越すってこと?」

「そうだよ」

 そうだよって……。

 とうとうこの日が来てしまったのか。私はそんなふうに少しづつすれ違っても健太郎のことが好きだった。でもきっと、健太郎はそうじゃなかった。私は、私たちの終わりの前に今立ってるんだ。

「内見に行く前にいくつか部屋を絞っときたくてさ。アリサちゃんにも相談したかったんだよね」

「そう……なの?」

 なんで私なの、と聞きたかったがぎゅっと飲み干す。重い女だと思われたくない。別れる時はせめて笑顔で、だ。

「キッチンはさ、別室とリビングにあるのとどっちのが好き?」

「えっと、リビングにある方かな。掃除がしにくいけど料理中に顔が見えた方がいいよね」

「あー……たしかに。オレ、アリサちゃんが料理してるとこ見てんの好きなんだよね」

「そうなんだ」

 知らなかった。でも確かに私も健太郎が料理してるのを見るととっても安心するから好きだ。


「あ、そうだ、大事なことなんだけどさ、そのつまり寝室についてなんだけど」

「う、うん」

「ベッドふたつ入る部屋がひとつでいいよね。それとも分けた方がいいのかな」

「え?」

「え?」

「あ……ううん、なんでもない」

 不思議そうな顔を健太郎は浮かべる。いやでもそうだ。よく考えたら、私との同棲を解消するってことはつまり、知らない女の子と一緒に住むんだ。

「……別室のが、いいんじゃないの」

 嫌がらせを込めて返事をする。知らない女の子と同じ部屋にねる健太郎なんて考えたくもない。ましてや、ベッドを並べて。私たちだって別室なのに。

 ところがそこに爆弾を落としてきた。

「え? 結婚するのに?」

「結婚するの!?」

「しないの!?」

「え、だっ、なっ……」

 私と別れたら結婚……!?

 仮に私に愛想が尽きてるからと言ったって突然そんなこと言わなくても良くない……!?


 涙が込み上げて俯く私を他所に健太郎は話を進めていく。何かを真剣に考えているようだ。そんなにその女の子が大事なのかな。なんで私じゃないんだろうな。私じゃなんかダメだったのかな。

「まあでも確かに……お互い自分のスペースがあった方がいいのかな」

「そ、そんなの一緒に住む人に確認したら?」

「うん、だから確認してるんだよ」

「じゃ、じゃあ私に確認する必要なくない?」

「え? アリサちゃん以外の誰に確認するの?」

 健太郎はスマホから顔を上げてぎょっと、本当にギョッと驚いた顔を浮かべた。

「な、ななな、なな、なんで泣いてるの?!」

「泣いてない……」

「そんなに俺と結婚するの嫌?」

「ちが……え?」

「え?」

「結婚するの、私たち……?」

 私は震える声で尋ねる。途端に健太郎の顔が真っ赤になって真っ青になって土気色になって真っ白になった。本当にその順番で変わった。


「わーーー!! オレ、アリサちゃんにもうプロポーズした気になってた!」

「なんでよ……」

「違……違うの! 違うんです! 聞いてください、捨てないで、嫌いにもならないで! ちがー……違うんだよ、お、俺……これから先もアリサちゃんがずっと一緒にいてくれるって思ってたの! だって五年も一緒にいるんだよ!? なにがあっても、これからも一緒だって……うわ、ごめんね、アリサちゃん。ごめんねえ」

 情けないことに泣き出した健太郎はズビズビと縋り付く。なんていうか、捨てられたくないとか重い女って思われたくないって思ってた私がバカみたいだなって思うくらいそれはもう盛大に情けなく十分くらい泣いてた。


「……で、仕事先の先輩にプロポーズの仕方聞いたりとか不動産屋さんに行って準備したりとかしてたんだ」

「うん……一人でもできるって思って欲しくてえ」

「健太郎……」

 まだ鼻をすすりながらそういう健太郎に愛しさが込上げる。私はふふ、と笑いながら健太郎の頬を伝う涙を指先で拭った。

「ねえ、健太郎」

「なに?」

「プロポーズ、期待してるね」

「……仕切り直しさせてくれるの?」

「あれでプロポーズはなしだからね」

 涙でグズグズの顔で健太郎は笑う。


 ……その一週間後、プロポーズの為の指輪を買いに行ったという話を聞かされたのはまた別の話だ。

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部屋の内見 ぱんのみみ @saitou-hight777

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