“私はうそをつく事が出来る”

<あるものを選択するという事は、それ以外のものを選択しないという事>


【類】あるものを何かに使うと、そのあるものはその何か以外には使えないという事。

   時間、お金、人、などすべてにおいて当てはまる。


「選択」自体に“良いものを”(選ぶ)という事が含まれているならば、自己の選択は常に最善。

とすればポイントは、その選択が最善であるかどうかの判断。

何も考えずに選択する、又は良く考えもせず、全体を見わたさず、先を見こさず、選択することが問題。

先ずは、その選択が重要かどうかの判断(選択)、ここからすでに始まっている。

何かを成すためには、自分と自分以外(自分ではどうしようもない部分)が関わってくる。

「99%の努力と1%の幸運」とか言われるが、この場合、自分=努力、自分以外=幸運、という事。

で、自分としては、いかにして幸運の占める割合を減らせるか、というところだと思う。

そして、それこそが努力だと思う。

そういう意味で、努力に根性は要らないと思われる。

根性を出して無理をすることで、結局、自爆するような事になっては無意味だからだ。

といっても、この説明では納得いかないだろうから、えーと、

何かを成すために、無理をせず、きっちり努力してがんばった場合、

それが失敗に終わったとしても、その努力(情報収集、分析、etc)によって、

自力を上げ、次につなげていけるが、

根性では、成功したとしても、次にも又、根性しかなく、

結局どこかで壁にぶつかれば、それまでになってしまうだろう。

無理をせず努力することが、より上を目指すためには大事ではないだろうか。





<セルフコントロール。どれだけ、自分のために自分を操れるか>


行動だけでなく、考え方、どう思うか、から、どう感じるかって事まで、自身で選択できると思う。

役者の中には、その役の気持ちになり切って演技するという人がいる。

なら、普段でも出来るだろう。

あと、考えた上での結論を実際に行動していることが間違っている時、

考えた方を、どれだけ実現していけるか。

「悪いのはわかっているのにやめられない、又はやってしまう」というのは、最悪といっていいと思う。

わかっているならやめるべきなのだ。





<何かを望むなら、望んだ本人が何かをしなければならない>


望んでいない人は当然、何もしないのだから。


   中・高生が、学級崩壊や成年者の犯罪がらみのインタビューでの、

   「大人はわかってくれない」という発言。

   わかってほしいなら、自分から努力しないと、どうしようもないのだ。

   わかってくれないのは、自分の力不足、

   いや、多分ほとんど努力不足といって言いと思う。

   まぁ、わかってもらう必要があるのか?ってのもあるけど。





<やりたい事とやれる事>


色々と、やりたい事はあるだろうが、実際やれる事は限られてる。

しかし、そのやれる事をやっていく事で、自己は成長し環境も変わっていき、

今までやれなかった事も、やれるようになるだろう。

とりあえず、やれる事をとことんやれば良い。





<不快感>


もともとは、様々な経験の中での学習で得た危険信号の1つだろうが、

根拠が無かったり、因果関係がはっきりしないものが多く、無意味な不快感がほとんどだと思う。

考えた上で、無意味だと思うなら、感じなくて良いと思う。

不快感そのものが、精神衛生上良くないのだから。


   味の場合、酸味や苦味というのは、それぞれ、腐っている、

   毒性の有無を知るためのものだが、中には、体に害の無いもの、

   あるいは必要なものがあるという事を頭で理解し、食べれるようになるのだ。





<発言の重要性>


何の確かな証拠もなしに「絶対~だ」とか「間違いない」という発言をすると、

その発言の確実性がなくなってしまう。

「確実だ」と言っているにもかかわらず、不確実なのだ。

そして、すべての発言に対して、同様に不確実だと思われてしまう。

となった時、「確実」と言いたいにもかかわらず、それを言うことが出来なくなってしまうのだ。


態度でわかるウソの発言の信憑性は、かなり高いと思われているのではないか。


自己に不利な発言=本心という論理が、一般に成立しているのではないか。


結局、発言(および、その他すべての表現)は、何らかの変化を望んで行われている。



<未来に向かって考え、そして過去は情報源>


時間には、過去、現在、未来とあるが、望むことが出来るのは未来だけだ。

現在は、選択の瞬間であり、過去は歴史だという事。





<わかり易く行動する>


他人に対してわかり易く行動することで、その対応もわかり易く、又予想し易くなる。

騙されても良いようなものなら、知っていて騙される。

騙されないようにがんばると、相手も、より巧妙になってくるものだ。

その結果、ドツボにはまるぐらいなら、わかり易いうちに処理するほうが良い。


   例えば、たこ焼きがめちゃめちゃ好物で、たこ焼きさえあれば機嫌が良い、

   と、しておく事で、差し入れに迷うことも無くなるし、又、何か頼み事がある時、

   たこ焼きを持っていくという作戦を与えることが出来る。(ちょっとムリヤリかな)





<ばれてはいけない事をしない>


それをしてしまうと、アフターケアをしなければいけなくなり、

精神的にも、後々までダメージが残る。

出来るだけ、やりたいことにエネルギーは使いたい。

裏技として、ばれていいものを隠れてする。これはかなり有効だと思う。





<騙すより、騙されるほうが良い>


騙せば、ばれたときの悪影響はすぐわかるだろう。

そして、ばれていないときも、かなりのダメージが考えられる。

先ず、ばれないように、およびばれないかどうかに、常に気を付けていなければならず、

又、いつばれるかわからないため、計画を立てる事が困難になる。

これは、何かを成そうとする人にとって、致命的といえるだろう。

では、騙された場合はどうか。

騙されているときは、自分が騙されているという事を知らないのだから、問題ない。

騙されていた事がわかったときも、許すか、あきらめる事さえ出来れば、

騙されて、失ったものだけですむ。


結論。

絶対騙されない、という事は無理なのだから、結局、騙されても大丈夫という事が大事。

最低でも、立ち直れるぐらいでないとダメだろう。





<ゆるす>


許せば、その事柄について、自身を開放させる事が出来る。





<間違った事を正しいとする人に対して、「間違っている」というのは意味が無い>





<ある人がそういう考えなのは、そういう考えのカテゴリーに属しているから>


   ある人が「戦争反対」と言うのは、「戦争反対」と言う人だから、という事。





<成功が成立するためには、失敗の可能性が必要不可欠>


何かを成そうとする時は必ず、失敗の可能性があるという事。





<先ず自分、それから他人>


他人に対し、マイナスになるような事をするより、自分にプラスになるように、自分自身を使う。

基本は自分、他人は関係ない。


次に、自分に対しての環境(他人)がどうか。

活気の無い人達より、活気のある人達に囲まれている方が良いとか、

不幸な人達より、幸せな人達に囲まれている方が良い。

とすれば、他人に対してもプラスになるようにする方が良いという事。





<ひとつの事柄が、ある事をする理由になり、又しない理由にもなる>


何らかの目標に向かって努力している中、目前に壁が現れた。

そうすると、それを理由に、よりやる気を出し、努力を続ける者もいれば、

それを理由に、諦める者もいる。





<自分に与えられた特権(状況)を生かす>


自分の能力、趣味、嗜好、それから、自分の置かれた環境というのは、

他人には無い、自分だけの特別なものだから、

それらを、うまく利用しない手は無い。





<試練は自らが与えている>


他人に試されているように思えても、実際、試しているのは自分なのだ。





<「自分の事は棚に上げて・・・」という反論>


何かについて注意された際、「自分の事は棚に上げて・・・」という反論があるが、

それは、注意そのものの反論になっていないのだ。

相手が、どうであるかなんて事は、関係ないのだ。


   テレビ番組のクイズで、ガングロ女子高生が父親に「そんなんで、恥ずかしくないんか」

   と言われた時、何と言い返したか?ってので、答え「お前のハゲの方が恥ずかしいわ」

   と。しかし、その返答はおかしいのだ。

   この際、親父のハゲは関係ないのだ。

   「恥ずかしくない」又は「うん」の一言ですむ話なのだ。





<現実は正しい>


それは、そうなるべくして、そうなっているのであり、又、現実にそうである、という事。

そして、自分を除くこの現実に干渉することが出来るのは、自分だけである。





人は、それぞれの探求を続けていく中で、

自分にとって大事な何かをつかむことが出来るのではないだろうか。

探求を続けていく事で、考える力がつき、目前のものを、その何かだと認識できる可能性が増し、

又、探求のため、積極的に行動する事で、その何かに出会うチャンスが増えるという事。

















最後に・・・


ここに書いてある事は、すべて私の考えというだけなのだから、

書かれている事、一つ一つ自分で判断し、選別していって下さい。

あっさり受け入れたり、捨てたりする事柄こそ、よく考えて判断して下さい。

内容の良し悪しではなく、話し手の説得力で左右されていたり、

大事なものを、捨ててしまっていたりすることがあるだろうから。


自分の判断についても、判断して下さい。

あることについて考えたり、思ったりしている、その事に対して、

なぜ、自分はそう考えるのか、又は思うのか、考えてみて下さい。

















太古の昔、海という原始スープの中から生命が誕生したように、

人の思考内の様々な知識が浮いているスープの中から、何かが誕生するのではないだろか。

そして、その何かも生命と同様、進化し、知能を持ち、人類のようなものが、現れるのではないだろうか。

それは、アンゴルモアの大王に、恐怖していたりするのだろうか。



探求を続ける者の内、ほんの一握りの人間だけしか、「一滴の光」を見つける事が出来ないのだ。

しかし、探求を続けなければ、その可能性すら失ってしまうのだ。



コインを一定時間内に、どれだけ積み上げられるかって時、

あせって急いでつむと、一枚一枚の少しのずれが蓄積していき、

結局、時間がまだ残っているにもかかわらず、

不安定なために、それ以上つむことが出来なくなってしまう。

又、それに気づかず、無理につめば、すべてが台無しになるだろう。



「感謝の気持ち」は表現すると、他人の判断にさらされ、ウソである可能性が発生してしまう。

他人に対しての「気持ち」はすべて、同様に当てはまるだろう。



苦闘こそ、人生の楽しみである。



自分はゼロ(無)から始まっているのだ。

だから、自分が存在しているだけでも相当なものなのだ。

そして、死んだとしても、ゼロに戻るだけなのだ。



【問】なぜ、自分が思っている事が、自分でわかるのか?

















“人は、それが良いと思う時、例外なく、うそをつく”

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