嗤う悪魔の現代愉悦録
ろーぐ
【真の安らぎは地上に無く、小さく萎れた少女は天へと登る】
1
世界なんて、人間の命なんて尊ぶべき価値も、かといって見捨ててやる価値も無い。
今、私は旅立つ。
新世界へ。
都合の良い死後の世界、その世界観に縋る気も無い。
善行積めばツキが回るか。
ならば悪行三昧の人々が、今日こうして私が苦しんでいる中で、どこかで飯を食べて動画でも見て笑っているのは何故だろう。
今度こそ、仕損じる事は無い――――。
『――――読者よ、君は気づいているか?子供のそれほどちっぽけな老婆の棺をよく見かけると?幼い者と老いた者、二つの棺が同じとは、”』
【悪の華 C.Pボードレール 小さく萎れた老婆達より】
私は、思えばそれなりに友人にも恵まれていたと思う。
学校に行けば、互いにふざけあえる友達――やれ今日見たティックトックの話題、この後どこ行って遊ぼうか、こないだ見た服が可愛くて云々なんてことで盛り上がっていたり。
むしろ、友達とそうやって騒ぎ合っている間だけが私の絶頂の時間だと言えただろう。
私の人生には、葵と伊織の二人さえ居れば、全て満たされるのかもしれない。
そう思う程に。
私が死を意識するようになったのは、この際だから全て白状するとしよう――親のせいだ。
両親は、私にどうあってほしいのだろうか。
私の好きだった服、好きだった漫画も否定から入り込んでは、挙句“そんな物に現を抜かしているんだから成績も悪くなるし、頭もおかしくなるんだ”と両親は口を揃えて――特に母はそう言っていた。
人によっては慣れて受け流せるかもしれないが、ずっとこうして、家事を手伝ってやるにもそんな風にしてたら駄目になる、非効率だと言われる。
気が狂いそうだった。
トドメになったのはきっと――二週間前、伊織に、恋人が出来た、というところだろう。
思い出したくも無い、あの嬉しくも恥ずかしそうな顔。
ずっと一緒に、繋がっていたかったのに。
伊織が幸せそうなのが、気に入らない。
私と、葵以外に優先するものが、あるのが認められなかった。
最初こそ、あのいつものファミレスで集まって、けれど途中で彼氏からの呼び出しがあって伊織が抜けて。
葵も羨ましいね、って話してただけなのに――二週間して段々、嫉妬してるのが目に見えて解って、辛かった。
ずっと、一緒だと思ってたのにな。
何もかもから逃げたくなって、もう嫌になって気が付いたら、こうして部屋に閉じこもり、飲食を忘れてぼうっとスマホを見るか、学校から送られてくる課題をやるだけの毎日になっていた。
排泄も、ここしばらくペットボトルか、部屋を出る時人目を忍んで便所へと駆けこむぐらい。
LINEは、全く開いていないし、開けない。
通知は溜まっているのに。
時々、ぼうっと眺めていると友達からの心配のメッセージが一瞬見えて、胸が痛くなる。
けれど、通知をオフにするとこれまでの関係を裏切ってしまうみたいでいやで――オフにできないでいる。
真の安らぎは地上に無い、なんて曲もあったっけ。
――――さぁ、この世からさよならする気持ちも固まって来た。
カーテンレールにぶら下げた縄を、両手で持とうとした時。
音楽が、流れてきた。
親に、気配を悟られないように電気を消しておいた中で――美しい歌声と共に、パイプオルガンの音色が部屋の中で響き渡る。
その綺麗な音色で、私は曲名を呟こうとした瞬間。
「“Nulla
知らない、渋い男の声で、確かに言葉が聞こえて来た。
人は心身共に極限状態に遭うと、幻聴が聞こえて来るとどこかで読んだか、聞いた事がある。
多分それかな、と思い、無視していると笑い声と一緒に、言葉が続いてきた。
「死ぬのかい? お嬢ちゃん」
それが、どうしたというんだろう。
「だから何ですか」
「思春期少女は反抗的だねぇ。いや、勿体無ぇなって思っただけよ。そんなに死にてぇならどうぞ?」
そちらから干渉してきた癖に、と言いかけた口を噤んで、返す。
「まるで、今からどうにでもできそうな言い方ですね。私の事何も知らないで」
「そうだな。お前さんの心境なんざどぉでも良い。けどよ、どうせ死んで、虚しく地面とおさらばするぐらいなら俺にその体、渡してみないかい?」
どこかで聞いた事がある。
男性特有の、死ぬくらいなら抱かせろと言う輩を。
そもそも、玄関も窓も締め切っているというのに、どうやって入り込んだんだ、この声の主は。
きっと正常な、一か月前までの自分ならわぁきゃあ騒いだかもしれないけれど、このくらいの超常現象に不快感を覚える訳でもなく、むしろ少しだけ楽しんでいる節すらある。
まぁ、どうせ誰にも渡さなかった処女も、今ここで渡してしまうのも良いかもしれないけれど。
振り返って、その姿を拝んでやろうじゃないか、怪盗め。
そんな事を思いながら、振り返ると――――そこには誰も居なかった。
電気は消されていて、真正面にはベッドがあって、その隣のクローゼットには人影すらない。
ただ、ベッドの中心にある私のスマホにはYouTubeが開かれていた。
例の音楽だけが、リピート再生されているようだ。
やはり幻聴だろう。
“作業”――自分の死体以外何も作らないが――に戻ろうとすると、声が続いてきた。
「もし、俺の言う通りにすれば、これから全てが思い通りになる、って言ったらどうするよ?」
少し間を置いて、返す。
「思い通り、って……どういう思い通り?」
「文字通りさ。あ、制限は全く無ぇよ。やりたい放題だ。黒歴史を、世界から消す。ケーキが山の様に喰いたい。でも体重が気になる、なら自由自在に摂取した分の栄養が消滅できるようにすれば良い。ほんと、なんでもできるようにしてやれるぜ?」
信じられない。
ただでさえ、この縄を準備する前にスマホを閉じていたにと思っても、きっと私が曲名を呟いて、音声認識で検索されて流されたに違いない、って納得できるのに。
いくらでも、信じられない理由が思いつくのならそれは信じられない。
「どうせ死ぬなら、デカい事願ってみようぜ」
「じゃあなに。伊織と彼氏が分かれて、親がもっと、私に優しくなってくれるとか……そういう有りえない事も?」
「きっと、叶ってるかもな」
そう無責任な調子で言ってのけた時。
スマホから、着信が鳴り響いた。
何かとよく画面を見てみたら――そこには“いおりん”の名前が。
伊織からの着信だ。
縄から手を離して、ベッドへ飛び込んでスマホを開く。
「も、し、もし……?」
出たのは自分でも、驚くような拙い声。
詰まった言葉を、無理矢理にでも吐き出しているような調子だったが、液晶越しからの伊織の方はもっと酷い様子だった。
「かえでぇ……ひっく……ごめんね、学校休んでる、んでしょ? 夜にごめんね……なのにかけちゃって……」
この世の終わりのような声で、聞こえてくる彼女の凛とした喉は、涙と鼻をすする音で濁っていた。
――あの幻聴に、願いは届いたの?
いや、まさかあり得ない。
それよりも。
「大丈夫だよ。それより……どう、した?」
返って来たのは、信じられない言葉。
「あのね……彼氏が……事故にあった……しか、も……凄い酷いうっ」
嗚咽が混じる声色は、その悲劇性を容易に想像させた。
確かに別れこそしてほしかったけれど――何もここまで。
「頭の骨、砕けた、って……それで」
「もういい、大丈夫だよ。辛かったろうね……ぐす」
気が付けば、こちらまで泣けてきていた。
嗚咽と、その後に混じる慟哭。
痛々しさが、意味を成さない言葉に意味を伴わせる。
まさか、こんなことになるなんて――――私が、祈ったせい?
スマホを持つ手が震え、思わず両手で、支えるように持ち帰ると、空いた右耳元で笑い声が聞こえて来る。
「と、とにかく――落ち着いて……そうだ。明日さ」
勢いで言った拍子に、カレンダーを確認する。
確か今日は火曜日、否、丁度12時になったので実質水曜日。
これで明日と言っても、木曜日、つまり平日。
これじゃあ学校に行けない理由が、ただのさぼりみたいになるし、学校の人に見つかればきっとそれが事実のように思われてしまうだろう。
明日が、土曜日だったら良かったのに。
そう思った瞬間。
スマホのカレンダーの曜日が、変化していった。
今日が、土曜日と“今なった”。
「あ、明日さ……その、元気づけになるかわかんないけど……葵とさ、何か好きなの買いに行こ? 私、奢るから」
「え……いい、の? 体調、悪く、ない?」
「いいのっ、伊織の為ならなんでもないよくれくらい。それと、さ」
「ナニ……?」
「今日、何曜日だっけ?」
「今日は……土曜日だよ」
嘘だ、でもカレンダーの表記も――検索してみても、異常はあたかも無いようだ。
「じ、じゃあ……明日、ね……場所はいつもの、バス停ね。おやすみ」
「うん……今日はありがと」
「じゃあね」とだけ言って、通話を切る。
耳元で囁き続けていた方へ向いて、姿も見えないのに語り掛けた。
「貴方は、一体誰なんですか……? 姿を見せて」
そう言うと、ベッドが一瞬音を立てて軋み、暗闇で解らない、けれど確実に存在感を放つ“もや”が渦を作り始めた。
黒い渦は、やがて紅い輝きを一点に残して巻いていく。
しばらくして、笑い声と共に現れたのは――――信じられない姿だった。
身長は、多分私程の、紅い髪に緑の眼、赤黒いネクタイと黒いスーツを着こんで、頭に帽子を被った少年の姿。
マフィアのボスみたいな恰好の、その少年は、あの渋い声で胸に手を当てお辞儀した。
「申し遅れました、お嬢さん。俺ァ地上で言う所の――悪魔、だぜ」
まるで、デパートでしか嗅いだことのないような、そう、あのプラダのキャンディみたいな甘い香りを漂わせ、やけに鋭い気がする八重歯をちらつかせ笑いながら少年は言う。
悪魔。
確か大体の本やアニメだと、契約を持ちかけて、何か大事なモノと引き換えに願いを叶えるというのがセオリーのヴィラン。
私に差し出せる物は、なんだろうか。
というか、こいつの欲する物は、悪魔が居るなら、地獄なんてものもあるんだろうか。
疑問は尽きないけれど、私はまず質問した。
「本当に、悪魔なの……君」
質問を聞いてるんだか聞いてないんだか、悪魔らしき少年は天井の上からぶら下がるひも型スイッチの方を向いて、くるくると白い手袋の指先で弄んでいる。
ひもスイッチを握り込むと、少年はにたり、と笑って声を発した。
「なァ、今時にしちゃ古くないかい? リフォームしようぜ」
悪魔がそう言って手を離すと、紐が――消えていた。
切れたんじゃないかと疑って、根元の方を見てみるがその根元から、紐の痕跡が無くなっていた。
どういう事? と悪魔に顔を見合わせると、「フフ」と笑って両手を叩く。
すると、消していた電気がゆっくりと、徐々に明かりを灯し始めた。
それも、電気は普通若干黄色味を帯びている筈なのに。
「当代の流行はLEDと音センサー、だろ?」
一応、確認の為にとこちらも両手を叩いてみる。
すると、またゆっくりと電気が消え始め、元通りの薄暗い部屋になっていった。
――ほんとに、変わっちゃったんだ。
「ねぇ、本当に……悪魔、なの?」
「そうだって言ってるじゃあねぇか……んなことよりもほら、見てみろよ窓」
悪魔に促されるまま、窓のカーテンを開ける。
すると縄は簡単に右方向へ抜け落ちて飛んでいき、そこから見える、住宅の屋根の隙間からは黄金のような朝日が、照らし始めていた。
空は快晴のようで、その日差しを受けたいままにして――スズメが、朝の到来を示しに羽ばたいていた。
何か、よくわからないけど……きっとこれから良くなる。
そんな気がしていた。
「綺麗だよな」
「うん……きれい」
「お日さんは、いつだって人間達を温かく見守っててくれる」
スマホから流れるあの音楽が止まる。
部屋の外からは、おいしそうな卵の焼ける匂いと、誰かがこちらへ向かってくるのを感じる。
いつもだったら、もう呼びにすら来ないのに。
「楓ぇ、朝ごはん出来たわよ。準備ができたらいらっしゃいね」
部屋のすぐ外で、母のそんな声が聞こえて来た。
普段はこんな事、言わないのに。
側に居る悪魔と顔を見合わせようとすると、その姿は無かった。
流石に、いくらあんな可愛い格好とはいえ姿を見られる訳にはいかないか、なんて自分で納得して。
――――何故か、久しぶりに元気が出て来たし、散歩でもしてみよっかな。
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