不自由な内見
春成 源貴
真っ暗だった視界が突然明るくなった。
小さな事務室の一室で、カウンターの席に座る男が一人。几帳面に髪をなでつけた男はゆっくりと立ち上がると、左手を差し出した。わたしはゆっくりとその手を握ると、男はカウンターのこちら側にあるチェアを勧めて、自分はそのまま腰を下ろした。
「ようこそ、三九一七番でお待ちのお客さま。ご案内を承ります、萬谷と申します」
爽やかな笑顔を貼り付けた男は、明るい声で言った。三十歳くらいだろうか。わたしとそんなに変わらないように見える。
「VRヘッドセットの調子はいかがですか?……ああ、大丈夫そうですね」
萬谷はそう言って、カウンターの上に置かれたノートパソコンを開いた。
「あ……お若い方なんでご理解されてると思いますけど、これ、VRの世界ですから。私も同時接続してご案内してます。一応、体感率の高い機種ですから、今からご案内する内容もかなりリアルに感じられます。3D酔いとかあればすぐお申し出を……あ……大丈夫?かしこまりました」
萬谷は軽く肩をすくめると、ノートパソコンのキーボードを叩き、マウス使って操作を始めた。
「それで、今からいくつかご案内しますけど……お客さま、今回ご紹介するのはワンルームだけになります。まあ、ご承知とは思いますけど」
萬谷は、スーツのジャケットを脱ぎながら言った。実際には空調の利いた部屋なので、暑いも寒いもないだろうが、雰囲気を醸し出すためかもしれない。
わたしは素直に頷いた。
「ありがとうございます。トイレは付いていますが、お風呂とキッチンは共同です。一種のシェアハウスのようなものですから……」
なるほど。そういう言い方も出来るか。
わたしも初めての経験だが、なかなか面白い案内人に当たったのかもしれない。
「では、内見と行きましょう」
萬谷はにこりと笑うと、大げさに右手を振り上げ、人差し指でキーを叩いた。たぶん、エンターキーだと思う。
突然、世界が暗転した。そして「ロード中」の文字が数秒続いた後に、今度は明転した。
目の前に、フローリングの床に白い壁の、スタンダードな長方形の部屋が現れた。思わず見渡すと、質感も現実そのものの部屋がそこにあった。
「驚かれました?……そうでしょう?みなさん驚かれます。本当の部屋みたいだって」
なぜか自慢げに萬谷が胸を張った。
「実際のお部屋もこんな感じです。あまり違和感はないですよ?窓は天窓だけになってますが……」
促されて見上げると、天井は平面ではなく、屋根をなぞるように山型になっている。いや、こちらからだと谷型か。
かなり天井は高く、少し家具の上にあがった程度では手も届かなさそうだ。部屋に窓がない代わりに、大きな天窓が両側にひとつずつ付いている。
「明るさならピカイチです。場所的には今のお住まいとそんなに離れてはいないですね……次行きましょう」
言葉と共に再び景色が変わる。ラグの後に、今度は薄暗い石壁に囲まれた部屋が現れた。見た目だけでもなんだかジメジメしている。昔映画で見た、地下牢のようだ。
「冗談のように見えるでしょうけど、こういうのが好きって方もいらっしゃいまして……ええ、石畳に見えますけど、これ見た目だけです」
そう言って屈んだ萬谷が拳で床を押すと、わずかに床がたわみ、拳骨がめり込むのが分かった。
「面白い造りでしょう?クッション性は高いので、快適に過ごせますが、雰囲気重視でして、窓がないのが欠点です」
わたしが見廻してみると、首を振る度に視界が動き、本当に地下牢にいるように見える。隅にはトイレの便器がぽつんと置かれているのまで見えた。
「……雰囲気重視なもので」
言い訳のようにもごもごと呟く萬谷に、わたしは首を横に振ってみせた。
「ああ、まあ、ふつうはお気に召さないですよね。次です」
萬谷はあっさり言うと、また部屋が切り替わる。今度は小さな六畳の和室だった。
綺麗に塗られた漆喰の壁は、落ち着いた緑色で天井も木目が美しい。右側には、押し入れまで付いている。
「ベタですけど……ここは少し遠いです。狭いですが、畳で往生したいとおっしゃる方もいらっしゃるんですよ……って、そんな歳ではないですよね」
ひとりぶつぶつと呟く萬谷は、何か納得したように頷いて、また部屋を切り替える。
わたしはふと、この男は見たとおりの歳ではないのかもしれないと思った。
その後もいくつかの部屋を続けざまに見せられた。狭いがお城の一室のような豪華な部屋や、逆に屋根裏部屋のような部屋まであった。
わたしはしばらく案内されるがままだったが、正直少しくたびれた。そのタイミングで元の事務所の景色に戻る。
いくつかの部屋を見て気がついたのだが、共通しているのは、窓が少ないことと、本当に部屋だけで、設備がほとんどないことだ。扉がひとつあるのはトイレへ続く扉らしい。
「どうです?お選びください」
もう一度萬谷がキーボードを叩くと、わたしの目の前に十を超える部屋のリストが浮かび上がった。すべて、今内見を終えた部屋だった。
わたしは戸惑いながら少し悩む。
「直感でもいいですし、なにか決め手があれば……質問があればお答えしますよ?……あ、ない?もう決める?そうですか」
萬谷は不思議とがっかりしたように言った。
まったくうるさい男だ。だが、仕事熱心なのは少し評価できる。一生懸命、真っ当に働くのはいいことだ。
わたしは少し羨ましくなりながら、リストから選んだ部屋を指で突いた。
「ね。意外と人気なんですよこの部屋。自暴自棄はおすすめしませんが……」
視界が暗転する。声だけが聞こえる。
「ご利用ありがとうございました。またのお越し……は難しいでしょうが、またご案内できる幸運をお祈りしております」
内見は終わった。
「三九一七番。立ちなさい」
わたしは我に返る。VRヘッドセットが外され、あまりの明るさに驚いて目を瞑った。
顔を覆おうとして、それが無理なことを思い出す。わたしの両手には手錠が付けられていて、自由には動かせない。
「それでは、選んだ部屋に移送します」
視力の戻った目に映ったのは、制服姿のいかつい男性二人の姿だった。灰色に統一された狭い部屋に、やはり灰色の事務机と車輪の付いた事務椅子。
VRら一気に現実に戻される。
けれども混乱するほどの時間は浸っていないし、わたしの自我はしっかりしている。
すべての覚悟は終わった後だ。
厳罰化が叫ばれ、この国に終身刑が導入されてから数年。今度は人権問題が叫ばれ、せめて自分が残りの一生を過ごす部屋を選ぶ権利を与えられたのがつい去年のこと。わたしの裁判と同じ時期だった。
こうしてわたしは内見を済ませ、自分が服役する部屋を決めた。
これからは償いの日々が始まる。
わたしは丸一日かけて移送され、地下牢へと籠もる。といっても、一日の大半はこの部屋ではなく軽作業をして暮らすのだから、メリハリがあってよいかもしれないと、少し思ったのは内緒の話だ。
不自由な内見 春成 源貴 @Yotarou2019
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