魔の森


 ルーベルトに助言を残し、アリイとセリーヌは依頼を受けて街を出る。


 街の人々にもセリーヌが聖女であることはバレていたが、やはりこの国は基本的に行儀の良い人が多いのか救いを求められることは無かった。


 欲に溺れ、聖女の権力によってこぼれ落ちる甘い汁を啜ろうとする者は少ないのだ。


 と言うよりも、その権力を啜ろうとするものですら関わらないでおこうと思い逃げ出すのが現実なのだか。


「ここが魔の森か。ふむ........普通の森だな」

「普通の森ですよ。一体何を想像していたのですか?」

「てっきり、邪気に覆い隠されて、その森に踏みいろうとする者達が顔を顰める程の場所かと思った。これではつまらないでは無いか」

「それは魔の森ではなく魔境というのですよ。それと、面白みを求めないでください。アリイ様がまだ見た事のない魔物が出てくるでしょうから、それを見て我慢してくださいね」

「フハハ。それも楽しみだがな」


 ヒールクの街から徒歩1時間。


 それなりに近い場所にある魔の森にやってきたアリイは、自分の想像よりも普通すぎた森にガッカリする。


 魔の森と言われるほどなのだから、人間の飲み込み瘴気を撒き散らすほどにおぞましい場所かと思ったが、そうでも無いらしい。


 セリーヌに魔物を見て満足しろと言われてしまい、アリイは少しだけしょんぼりした。


「早速行きましょうか。私達の目的はブラッドベアの討伐です。特徴は覚えていますか?」

「爪が血に染ったように赤い大きな熊だったな。首を切り飛ばせば良いのだろう?」

「はい。ここはダンジョンの中では無いので、間違っても一撃で消滅させるほどの威力を出すのはやめてください。それと、この森の中には数多くの冒険者もいるはずですから、間違っても殺すようなことだけはしないようにお願いします。腕を吹き飛ばす程度でしたら、治せますので」

「フハハ。分かっている。流石に我もそこら辺は弁えているのでな」


 サラッと欠損した腕を治せることを言うセリーヌに、アリイは“マジかよ”と思いつつ森の中に足を踏み入れる。


 森の中は至って普通。しかし、周囲に魔物の気配が多くある。


 これなら知らない魔物も沢山出てきてくれるだろう。アリイの機嫌はあっという間に戻り、ウキウキしながらセリーヌの横を歩いた。


(まるで子供ですね。私から言わせれば、こんなのが魔王なのかと言いたくなりますよ)


 セリーヌは機嫌よく歩くアリイを見ながら、そんなことを思う。


 この1ヶ月間アリイと共にすごして分かったが、やはりアリイは自分の想像する魔王とは言えない。


 セリーヌにとっては有難い話だが。


 しばらく歩くと、アリイとセリーヌの足が止まる。


 前方左に魔物の気配。そちらに視線を向ければ、お目当ての魔物がこちらに気がついて、その巨体を揺らしながら森の中を駆けている。


「フハハ。あれか?分かりやすいな」

「爪と牙と魔石が依頼内容です。肉や皮、骨も素材なりますのでできる限り綺麗に仕留めてください」

「任せるがいい」


 アリイはそう言うと、亜空間から1本のナイフを取り出す。


 そのナイフは大きな熊を相手にするにはあまりにも心許ないが、アリイからすればあまりにも過ぎたナイフだ。


 こんな熊公如きに、これほど丁寧で心の込められたナイフを使うのはもったいないぐらい。


 しかし、綺麗に首を跳ねるならば刃物を使った方がいいのは間違いない。


 アリイはナイフを手のひらの上でクルクルと回して遊びながら、迫り来るブラッドベアを見据えた。


「グヲォォォォォォォ!!」

「ふむ。軽く軽く。こんな感じに」


 ピッと、羽虫を軽く振り払うかのように振られたナイフ。


 その瞬間両手を大きく持ち上げてアリイを殺そうとしていたブラッドベアの動きが止まり、ゆっくりと首が落ちてゆく。


 首からは鮮血の噴水が巻き上がり、死したブラッドベアの体は地面に落ちた。


「そのナイフは........」

「フハハ。そうだ。聖都でセリーヌに買ってもらったナイフだ。中々いい切れ味をしているな。こんな弱い魔物を狩るには勿体なかったわ」

「てっきり武器は使わない主義なのか思いましたよ。基本的に魔力を飛ばして全部吹き飛ばすので」

「状況に応じて我も武器を使うさ。特に獲物を綺麗に殺したい時なんかは、このようにナイフや剣を使うこともある。魔力の反応を隠したいなら弓を使うしな」

「多彩ですね。魔法と鎌を振り回すだけの私とは違いますよ」

「フハハ。それだけで大抵のことが出来るのだから良いでは無いか。我だって半分趣味みたいな部分もあるしな」


 アリイはそう言うと、ナイフに着いた血を振り払って亜空間に収納する。


 この世界に来て初めてセリーヌから貰った贈り物にして、初めて買ったものだ。アリイはこういう記念品に愛着が湧いてしまうタイプなので、このナイフはかなり気に入っている。


 もちろん、その首に下げたペンダントも。


 リンという幼い少女から貰ったペンダントに関しては、絶対に壊れないようにガチガチに魔術を施してさらには盗難防止用の魔術まで仕込んでいる徹底ぶりだ。


 おそらく、ナイフで切るよりもそのペンダントで頭をぶっ叩いた方が威力が出る。


「次は弓を使ってみてくださいよ。私、アリイ様が弓を射る姿を見てみたいです」

「いや、弓がない。我の武器はどれも少々いわく付きで、城の底で厳重に保管していてな........魔術で様々な封印をしてあるのだよ」

「魔剣のようなものですか。使用者を狂わせたり、呪いを付与したりする........」

「そのようなものだ。ちなみに、それらもまだましな部類で、我が休みの日にサメたちと遊ぶために使っていた島の下には我ですら手に負えない本当なヤバいやつが眠っている。あれを使うことは、例え我が死んだとしてもないだろうな」

「そんなに凄まじいものが眠っているのですか?」


 アリイですら“やばい”と言わせるような武器がアリイの世界にはあるらしい。


 セリーヌはその事実に驚くと同時に、少しだけ見てみたいと思ってしまった。


「セリーヌよ。悪いことは言わぬから、あれを見たいと思うな。いや、世界が違うから見ようとしても見れぬのだが」

「アリイ様にそこまで言わせるとは........概要だけ聞いても?」

「分からん」

「へ?」


 概要を聞いて“分からん”とはこれ如何に。


 セリーヌは素で呆けてしまう。


「何もわからんのだ。確かにそこにはあるはずなのに、見ることも触れることもできぬ。だが、そこに存在している。不気味だろう?」

「確かにそれは不気味ですね。下手に触れたら絶対にヤバいやつですよ。この世界にも魔剣と呼ばれる呪われた剣や武器が幾つかありますが、話を聞く限りそれよりもやばい気がします」

「フハハ。我の友にも1度聞いたのだがな。“それには触れない方がいい”と真面目な顔で忠告されたわ。あれは、二度と見る気は無い」

「アリイ様の世界にも、摩訶不思議なものが存在するのですね」

「世界とは広いものよ。我の知らない世界がごまんと広がっている。この世界だって、そのひとつと言えるだろう?」


 セリーヌは勇者召喚の存在を知っていたため、この世界とは別の世界があるということは知っていたが、その世界がどのような文明を持ちどのような人々が暮らし、どのような発展を遂げてきたのかは知らない。


 別の世界が存在するとすら思っていなかったであろうアリイならば、尚更知らない世界が広がっていることだろう。


 アリイと住む世界とセリーヌの住む世界の他にも、別の世界がどこかにきっとあるはずなのだから。


「ふふっ、確かにそうですね」


 セリーヌは静かに微笑むと、血の池を作るブラッドベアの解体を始めるのであった。

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