魔王降臨


 セリーヌから逃げたアリイは、呑気に街の中を歩いていた。


 パーティーで受けた昇格試験。本来であればセリーヌと一緒に行動するべきなのだが、生憎セリーヌは男性冒険者への制裁で忙しい。


 どうせその内合流すると思い、異世界魔王は観光気分で街を巡る。


「ほう。中々に美味ではないか。悪くない」

「そうでしょう?この秘伝のタレは、俺の曾祖父さんが生み出したものなんだぜ。世界で一番美味いタレさ。あんたも気に入っただろ?」

「フハハ。歴史の味か。世界一かはさておき、我は中々に気に入ったぞ。もう5本貰うとしよう」

「まいど‼︎」


 アリイは、セリーヌに文句を言われた時のための賄賂を購入しておく。


 セリーヌは食べ物に弱い。多少のことならば、これを渡すだけで機嫌を治してくれることだろう。


 アリイは早くも、セリーヌの扱い方を理解していた。


「そういえば店主よ。時にこの国の聖女のことをどう思う?」

「聖女様って言えば、セリーヌちゃんの事かい?あの子は面白い子だよな。聖女様だとはとても思えん言動をする時もあるが、基本的には街の人々に優しくそして、慈悲のある人だよ。無償で人助けをしないところがいい」

「ほう?タダで助けられた方がいいのでは無いか?」

「アッハッハッハッハッ‼︎そんなと事をしたら、ほかの連中の商売が成り立たなくなっちまうよ!!傷を癒す教会の人達だって、生きるために対価を貰うんだぜ?聖女様が無償の愛を振りまいたら、そいつらが路頭に迷っちまう」

「なるほど。怪我人が皆、聖女の元へと集まるからか」

「そういうことだな。そこら辺をちゃんと考えている辺り、商売人としてはしっかりしてるなとは思うよ。どんな小さなことでもいいから対価を貰う。聖女様だって慈善団体じゃないんだからな」


 おそらく、セリーヌは単純にタダ働きが嫌なだけだ。しかし、それが図らずして人々を助ける事へと繋がっている。


 もちろん、法外な値段を吹っかけるような病院ならば話は違うが。


 無償にすることによって、被害を被る者もいるのだ。


(我はそこら辺のことは全部側近に任せていたからな。なるほど。そのような考え方もあるのか。我もまだまだ若いな)


 自分の知らない事情がある。アリイはこの世界に来て良かったと少しだけ思った。


 アリイが生まれた時には、既に人間と戦争が起きていた。人を知る事など1度もなかった彼は、初めて人という在り方を知っているのである。


「そんな訳で俺達は聖女様のことが好きなのさ。まぁ、人の弱みを握って揺さぶってくるのはどうかとは思うけど」

「フハハハハ!!それは確かに問題だな‼︎」


 バッカルに朝食を奢らせたことを思い出したアリイは、その言葉に深く同意する。


 施しを与える存在が、施されてどうする。ましてや、人の弱みを使って金を払わせるなど聖女の所業ではない。


 そこら辺のチンピラと何ら変わりないのだ。


「あ、やっと見つけましたよアリイ様。どうして逃げるのですか?」

「お、聖女様じゃないか。久しぶりだな。食ってくか?」

「つい先程朝食を食べたばかりなので遠慮しておきます。味はいいんですけど、値段が少し高いのですし。値下げしてくれるなら買いますよ?」

「な?聖女様が言うセリフじゃねぇだろ?」

「全くだ........ん?」


 サラッと“値下げしろ”と言ってくるセリーヌに苦笑いを浮かべる店主とアリイ。その直後、アリイの顔が一瞬にして険しくなる。


 セリーヌは気配が変わったアリイを見て、首を傾げた。


「どうかされましたか?」

「セリーヌ、戦闘準備を。今すぐに行くぞ」


 その声は小さく、そしてセリーヌの耳にしか入らない。


 セリーヌはこれ程までに真剣な顔をするアリイを見た事がなかったので、軽く目を見開きながらも首に下げていたペンダントを手に握った。


「店主よ。お代だ。また食べに来よう」

「まいど!!また来てくれよ」


 お金を払い、その場を後にするアリイ。


 そして、人目のつかない裏路地に入ると、アリイはセリーヌの首根っこを掴んだ。


 僅かに服がズレ、ヘソが見えそうになるのを必死に隠すセリーヌ。


「ちょ!!何をするんですか?!」

「苦情なら後で聞く。緊急事態だ。行くぞ。リンになにかあったようだ」


 アリイはそれだけ言うと、セリーヌを連れてフッとその場から消えた。




【オーク】

 大きな体と相撲取りのような太った体型が特徴的な下級魔物。力が強く、攻撃を喰らえばタダでは済まないが、知能がとにかく低いため直線的な攻撃しかできない。鉄級冒険者の登竜門と呼ばれ、チュートリアルボス的な扱いを受けている。尚、くっ殺みたいな人間を苗床にするオークでは無い。肉が美味い金になるということで、よく狩られるちょっと可哀想な魔物。




 漆黒の肌を持ち、地面に腹を付けながらもサキュバスを睨みつけるは、海の狂犬サメ。


 その姿は勇ましく、そして尋常ではない強者のオーラを纏っていた。


 大きさは僅か130cmほど。しかし、体の大きさが強さを決める訳では無い。


「ゴフー」

「クッ........なんなんだコイツは」


 サキュバスは何が起きたのか分からなかった。冒険者達を倒し、確かに油断していたとは言えど自分の腕が無くなる瞬間をまるで見ることは出来なかった。


 気づいた時には腕が消え、目の前には漆黒の化け物。


 海の中に住む魔物を見た事がなかったサキュバスは、この生物が何者なのかが分からない。


 唯一分かっているのは、この化け物は少女を守ろうとしているということである。


 ならばやることは一つ。少女を攻撃して、化け物に強制的な防衛戦を強いさせるのだ。


「やっちまえ‼︎」


 痛みに顔を歪めながら周囲の魔物たちに指示を出すサキュバス。その動きに合わせて、潜伏していたゴブリン兵士もリンを殺すために矢を放つ。


 が、あまりにも相手が悪すぎた。


 魔王の眷属にして友たるサメが、この程度の攻撃からリンを守れないわけが無い。


「ゴフー!!」


 バン‼︎とヒレを地面に叩きつけると、水のドームが出来上がる。


 あまりにも早すぎる魔法の行使。魔法陣を生成する過程をすっとばし、瞬きをした瞬間にはリンを守る防御が出来上がっていた。


 ゴブリンが放った矢は水の壁に阻まれ、魔物達の攻撃もいとも容易く弾かれる。


 魔力を含んだ水の結界は、この程度の攻撃をものともしない。


 そして、その中は静寂であった。


「ん、何が起きてるの?」

「ゴ?ゴフー!!」


 急に静かになったことに疑問を持ち、目隠しを外そうとするリン。


 しかし、人が死にサキュバスが血を流し、魔物が迫り来るこの様子を子供に見せれば確実に夢に出てきてしまうだろう。


 サメはこれはマズイと思ったのか、頑張って体を起こすとリンの手を抑えてる目隠しを外させないようにする。


「???誰?」

「ゴフーゴフー‼︎」

「ゴフー?何を言ってるのか分からないよ........」


 状況も分からず、急に出てきた“ゴフー”に困惑するしかないリン。


 しかし、この手に触れるヒレが自分を思っての事だと言うのは理解した。


 リンはとりあえず、目隠しを取るのを諦めるとサメとの意思疎通を試みる。


「ゴフーちゃん?は誰なの?助けてくれてるの?」

「ゴフ.......ゴフー」


 どうしたものかと困ったサメは、リンの胸の辺りをヒレでトントンと優しく突く。


 自分はペンダントから出てきたんだよ。と。


 リンも何となく今ので分かったのだろう。このゴフーと鳴く生物のことは分からないが、きっとアリイが勇者が力を貸してくれたのだと。


「ゆーしゃさまが助けてくれた?」

「ゴフー!!」


 そうそう‼︎そうだよ‼︎と言わんばかりに頷くサメ。しかし、リンにはその姿が見えていないので、あまり意味は無い。


「えへへ。ゆーしゃさまが守ってくれたんだ」

「フハハ。そういう事だリンよ」


 上から声が聞こえたその瞬間、周囲にいた魔物達が消え去る。


 何が起きたのか分からないサキュバスとゴブリンは思考が停止し、この声の主が誰なのか理解したリンは涙を浮かべた。


「ゆーしゃさま‼︎」

「フハハ。そのまま目は閉じているといい。子供が見るには、少々酷な世界だからな」

「........なるほど。確かにこれは緊急事態ですね」

「せーじょさま‼︎」


 魔王にして勇者たるアリイ。そして、聖女でありながら神への信仰心を持たぬセリーヌ。


 人類の希望が、魔王軍と対峙した瞬間であった。

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