2話 おいしい空気

 さっき端まで歩いた通路をもう一度進む。

 相変わらず、右の通路は未開拓のままだ。もう少し外が明るくなったら見に行ってみよう。そんな機会が来るのかは、わからないが。

 末端部の数メートルには自動販売機が密集する。ペットボトルや缶の飲料だけではなく、ドリップ・コーヒーがカップに注がれるものや、煙草が買えるもの、ホット・スナックが買える変わり種もあった。

 今は特に用事がない。無視して先へ進む。

 喫煙所というのは、大学でもファミレスでも、たいてい敷地の端にあるものだ。ここも例外ではない。だが幸運な事に、屋外ではなく、開かない透明なドアの左側、自動販売機の六台目のような配置で建物内にあった。

 電話ボックスみたいにコンパクトな直方体で、全面硝子張りだ。木製のドアハンドルがついている。鍵はかかっておらず、ハンドルをつかんで横に引くと中に入る事が出来た。

 テーブルはなく、壁際に黒いレザーのベンチが一台置かれている。灰皿は中央に立っていた。本来は、煙草を吸わない自分が入るべきではない場所だが、どこを見ても誰も通りがかりそうにないので、少しの間、ここを使わせてもらう事にする。



 もっときな臭いのを予想していたが、意外にも、キャンディみたいな甘いフレーバーが感じられた。

 史岐しきも兄もシガレット一辺倒だが、最近では非加熱式煙草を取扱う店もずいぶんと増えた。甘いにおいの元は、きっとそれだろう。

 どちらにせよ、煙草のにおいには慣れている。フードコートと断絶されているおかげで、さっきみたいに吐き気を催さずに済むのが心底ありがたかった。

 ラップトップを開く為にベンチに腰かけると、ちょうど目の高さに灰皿があった。新品ではない。所々に引っかき傷や、焦げたような染みがある。だが、外側はきれいに拭き上げられて、吸い殻も灰も残されていなかった。

 やはりここにも、人がいた痕跡はない。

 休みなく駆動する空調の音が、不必要な刺激を吸着するホワイト・ノイズのような役割を果たして、しばらく作業に集中出来た。

 レポートが八割ほど出来上がった所で、利玖はラップトップを閉じ、ぐーんと体を伸ばした。あとの二割を埋めるのに、数日かかる事が経験則でわかっている。

 まだ固形物を食べる気にはなれなかったが、空腹を感じた。喉も少しいがらっぽい。

 財布を持って喫煙所を出た。飲料の自動販売機の前に立ち、商品のサンプルを右上から順に目で追っていく。

 二段目に差しかかった所で、

「あの……」

とか細い声が聞こえた。

 二つ左隣の自動販売機の前に若い女性が立っていた。痩せていて、髪はあまり長くない。眼鏡をかけている。リクルートスーツを着ていたが、そういったものが必要になる年齢にしてはやや小柄だった。それでも、利玖より頭一つ分は背が高い。

「えっと……、すみません。急に声をかけて」

「構いませんよ」利玖は財布を閉めて彼女に向き直った。「こんばんは。何か、お困り事ですか?」

 彼女はこわばった顔で頷いた。

 うつむいて、顎のそばで両手をこすり合わせ、何か思い悩んでいたようだったが、やがて意を決したように顔を上げた。

「やっと人を見つけたから、どうしたらいいか、一緒に考えてほしくて……。このサービスエリアに二日間ぐらい閉じ込められているんです」

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