二を構成する膜と鱗粉 Isometric pieces

梅室しば

1話 特異な島

 中央道は上下線ともに問題なく流れているようだ。パネルの上に並んだランプがすべて緑色に点灯している事から、それがわかる。どこかで事故が起きたり、通行規制が始まったりしたら、その箇所がより直感的に危機意識を煽るような色、例えば、赤やオレンジに変わって、通行に注意が必要である事を示すのだろう。

 上りと下りでそれぞれ一本ずつ、並行な二本のラインとなって並んだランプ群は、所々で途切れ、そこに位置を特定する為の指標が挟み込まれている。主要なインタ・チェンジ、ジャンクション、そして、サービスエリアの名称。

 その中の一つに「潮蕊湖うしべこSAサービスエリア」という文字があった。

 黄色い紙をくり抜いて作った矢印がセロファンテープで留めてある。どうやら、これが現在地だと見て間違いなさそうだ。

 佐倉川さくらがわ利玖りくはパネルから顔を上げた。

 左右を見ると、両方向にほぼ均等な長さで直線の通路が伸びている。どちらも末端には透明なドアがあって、そこから外に出られそうだった。

 今立っている場所が建物のほぼ中心らしい。サービスエリアの役割として最たるものである道路情報の提供を行うにあたっては適切な選択だと言える。

 少し待ってみたが、誰も通りがからなかった。

 利玖は左の通路へ進んだ。

 右の通路の方が薄暗いから、という理由である。一人で向かうのは気が引けた。

 これといった目的地はない。さっきまで見ていたパネルは広域的な道路情報を提供する為の物で、フロアマップは別の場所にあるようだ。利玖は、まだそれを見つけられていない。

 天井にぶら下がったスピーカからずっと音楽が流れている。流行りの曲なのだろうが、テレビを見ない利玖にはぴんとこなかった。たまに曲が途切れると、土産品のプロモーションや、県内で開催されるイベントのアナウンスなどが流れた。

 しばらく歩いたが、途中で、背負っているリュックサックがやけに重い事に気がついて立ち止まった。

 背中に手を回して探ってみる。何か硬くて、角ばった大きなものが入っているようだ。

 通路の少し先にギモーヴみたいな立方体のソファがあったので、そこに下ろしてファスナを開けると、ラップトップが丸々一台入っていた。設計上は持ち運びが可能だが、ディスク・ドライブを内蔵しており、それなりの厚さと重量がある物だ。どうりで重いわけである。

 続いて、アパートの鍵と財布も見つかった。現金も入っている。とりあえず、食べ物が手に入らなくて困る事はなさそうだとわかって、ほっとした。

 しかし、見つかったのはそれで全部だった。ラップトップの充電ケーブルも、マウスも入っていない。

 本もないのか、と思った所で、ふとひらめいてスカートのポケットを調べると、左側にスマートフォンが入っていた。

 しかし、こちらはバッテリの残量が心許ない。この後、何か尋常ならざる事態が発生して、どこかに電話をかけて救助を求める場面になった時、その説明が満足に一度出来るかどうかといったレベルだった。履歴をたどる事もメールを書く事も躊躇われる。本を読むなんてご法度だ。

 バッテリの消費を抑える為に機内モードにして、ポケットに戻しておいた。

 所持品を一通り把握出来たので、サービスエリアの探索を再開する。

 通路の終わりまでやって来た。透明なドアには取っ手がついていない。鼻がくっつきそうな距離まで近づいて、体を左右に振ってみたが、何の反応もなかった。

 こじ開けるのはもう少し後にしておこう。

 ずり落ちてきたリュックサックを担ぎ直して、来た道を引き返した。



 ギモーヴのソファがある所で、通路を右に曲がるとフードコートだった。

 大学の食堂の半分くらいの広さだが、利用者は見当たらない。使われた形跡もなかった。テーブルはすべて綺麗に磨かれ、椅子はその下に等間隔で収まっている。

 厨房の中には明かりがついていた。人がいる気配はしないが、食べ物のにおいは漂ってくる。

 利玖はフードコートを横切り、窓際の席でラップトップを起動した。

 デスクトップにフォルダが一つ出ていたので、クリックして開いてみると、見る間に膨大な数の画像ファイルがディスプレイを埋め尽くした。

 ウィンドウの左下に表示されたカウンタは五十を超えている。ざっと見た所、どのファイルも、日付と時刻を表す八桁の数値が名前に使われているようだ。一文字目だけはアルファベットで、それによって、並び順がグループごとにまとまっている。アルファベットはすべて小文字で、a、b、c、dの四種類だった。

 普段は使わないタッチパッドで操作しなければならなかったので少し時間がかかったが、一番下までスクロールして、すべての画像を見た。

 どうやら、魚の受精卵の発生過程をスケッチした物のようだ。分化ぶんかが進んだ胚が、大きな球状の卵黄にくっついている様子が描かれている。最後まで見ても、アルファベットの意味はわからなかったが、フォルダの一番後ろに「概要」という名前のテキストファイルがあるのを見つけた。

 これもクリックして、中の文章に目を通す。

 メダカの初期胚に二種類の化合物を投与して、発生の変化を観察する実験の記録だった。化合物を投与するタイミングや、濃度の組み合わせによって、三つのパターンが用意されている。

 さっきのアルファベットはこれに対応していたのだ、とわかった。四種類あるのは、ここに記されている三つのパターンに加えて、化合物を投与していない無処理の受精卵の観察記録も含んでいるからだろう。正常な発生過程がどういったものか、あらかじめ理解しておかなければ、異常を見つける事も出来ない。

 記録によると、aグループが無処理の受精卵のスケッチのようだ。

 利玖はフォルダの中を一番上まで戻って、aのスケッチを一枚ずつ順番に、頭に焼きつけるように時間をかけて見ていった。

 それから新しいフォルダを三つ作り、b、c、dのスケッチを、グループごとに分けてフォルダに保存した。

 b以降のグループの胚には化合物の影響による奇形が生じ、孵化に至った個体の数はゼロだと記録されている。つまり、最終的にすべての卵が死滅したという事だ。後半に描かれたスケッチには、卵に生えたカビまでつぶさに記録が取られている物もあった。

 b、c、dのスケッチを確認する際には、考察に必要な要素を見落とさないように、テキストファイルに残った記録も参照した。

 循環系の形成に異常が見られる。眼球の数が正常ではない。奇形の程度が強く、発生段階を判別出来ない。

 そういった言葉を、頻繁に見かけた。

 レポートはまだ完成していない。残されたスケッチを様々な視点から眺め、投与した化合物が、どの段階の胚に対して、どのような影響を与えたか、複数の仮説を立てて検証する必要がある。

 息をつめて、クリックとスクロールをくり返し、ディスプレイに表示される様々な形の胚を──そう呼んでいいかもわからないものを、見続けた。

 しかし、やがてキッチンから漂ってくるにおいが耐えがたくなり、利玖は袖で口元を押さえながら、ラップトップのカバーを閉じて立ち上がった。

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