夢の我が家
高麗楼*鶏林書笈
第1話
漢陽の大通りを士人の青年が急ぎ足で歩いている。彼を先導するのはいかにも商人といった風体の中年男だった。
「若様、まもなく着きますよ」
商人は青年に話し掛ける。
「そうか」
青年は期待と不安が入り混じった声で応じた。
「こちらでございます」
立派な屋敷が並ぶ中、少し古びた門の前で男は立ち止まり、戸を開け「どうぞ」と青年に入るよう促した。
中に入った青年は目の前に広がる風景を見て「おお、」と思わず感嘆の声を上げた。
「如何でございますか?」
商人は愛想よく訊ねた。
「うん、いいな」
士人は笑顔で応じた。
今年の初め、彼は父親にかねてからの希望を告げた。
「自分の家が欲しいのですが」
現在、彼が両親等と暮らしている家は草葺きの古びた家屋で、趣のあるものとはいえなかった。彼は美しい庭のある家に住むことを望んでいた。朝晩に、四季それぞれの風景を見せてくれる庭を眺めながら暮らすのは何と楽しいことであろうか、彼は常々そんなことを考えていた。
父親は、さっそく近場にあるこじんまりとしたの家を何軒か勧めたが、いずれも彼の好みではなく全て断った。そして彼は、家屋仲介人に自身が求めている家を探させた。
仲介人は、すぐに何軒かの家を彼に紹介した。
その中で、図面を見て、気になった家を実際に見に行ったが、どれも今一つ気に沿わなかった。
初夏を迎えた頃、仲介人は漢陽の南側にある屋敷を彼に紹介した。
現地に行ってみると、造園がよく、家屋も広く整っていたので、この家にすることにした。
その夜、父親に家の件を話すと、価格があまりにも高いため、猛反対され、諦めざるを得なかった。後日知ったのだが、その家は彼が見た図面と実際の家屋が全く異なり、価格とも釣り合いが取れないものだった。
それから、十日ほど経った頃、仲介人が新たな図面を持って彼を訪ねてきた。
「このお屋敷は庭が実に見事なんですよ。とにかく、一度ご覧ください」
こうして、青年士人はこの屋敷にやって来たのであった。
商人に続いて屋敷内を歩きながら士人は、左右を見回す。
「如何ですか、木をもう少し増やしたり、草花を植えたりすれば、四季折々の風景を楽しめますよ」
商人は青年の心を擽るようなことを言う。
「そうだな」
士人の声は明るい。
中年男は手ごたえを感じた。
二人は主屋の前に来た。
家の作りもなかなか良かった。
「中に入ってみましょう」
商人が青年を屋内に上げた。
廊下を歩きながら部屋を覗く。
「書斎にございます」
室内に入り、窓辺に行くと青年は
「気に入った、購入しよう」
ときっぱりと言った。
窓からの風景が彼が望んでいたものと一致していたためであった。
今回も父親は猛反対した。数十年分もの生活費に相当する金額を家に払うなど馬鹿げているからであった。
青年は、父親の言葉を無視し、親戚中から金を借り、不足分は金貸しから借りた。
初秋頃、青年は妻子と共に新居に引っ越していった。
紅葉黄葉に色付いた庭は、趣きのあるものだった。
冬になると書斎から白銀の雪景色が見えた。
「そう、これが私が望んでいたものなのだ」
青年はご機嫌だった。
だが、この喜びも長くは続かなかった。
年が明け、春になるころ、彼の父親が失職してしまったのである。
彼自身は無職だったため、一家は生活に困窮した。
結局、彼は家を処分し、妻子と共に古びた何の趣もない親の家に戻ることになってしまったのだった。
夢の我が家 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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