第10話 懲りない女
「母さん、俺決めたー。卓球部にはいる」
「へぇあんたが運動部に入りたいなんて驚いた。いいじゃん、決めたからには頑張ってね」
雨が葉桜を濡らす頃、長男達は中学校へと入学した。中学校では3校の小学校が一緒になり、クラスの数は倍の4クラスに増えた。うちの子は1年3組。そして卓球部に入部。ゲームにしか興味のなかったやつだったが、小さな可能性が花開きメキメキと上達していった。
同じ1年生で卓球部に入部したのは5人。その中には栗原 空くんの名前があった。
運良くと言ったらいいのか、同じ小学校から卓球部に入部したのはうちの息子と空くんだけ。空くんが大好きだったサッカーを辞めてしまったことだけが何だか切なかった。
初めての卓球部保護者会の時、久しぶりに栗原さんに再会。彼女は柔らかい長い髪をバッサリと切り、小さな顔を際立たせていた。目が合うとお互い軽く会釈し席についた。
帰りにグラウンドを走るサッカー部の中に、牧さん家の祐也くんの姿を見つけホッとした。こうして少しだけ平和を取り戻し、中学生活が始まったのだ。
それから部活の試合で一緒になる栗原さんと少し距離は縮まったけれど、牧さんを裏切るような気持ちもあり仲良くはなれなかった。牧さん結局離婚してないのかな?あれから全く連絡もなくなったし、こちらから根掘り葉掘り聞くのは失礼だと思いできなかったのだ。
ママ友の話によると牧さんも時々サッカーの練習見学や学校行事にも参加するようになったらしい。ただご主人さんの姿を見た人はいない。こうしてどんな出来事も風化されてゆくものだと思っていた。
しかしそれから2年後の春それは突然のことだった。
長男たちは新3年生になり、6月には最後の中体連を控え練習に一層力が入っていた。長男が部長をすることになったため、私は会長を引き受け、副会長を岩崎さん、会計を栗原さんが引き受けていた。
卓球場にこだまするピンポンの音とみんなの声。3年生の保護者で子供達の応援になればと必勝うちわを手作りしたりして、中体連に向けひとつになっていた……はずだった。
そんな4月の初旬。夜の21時を回った頃に栗原さんからの着信アリ。
「はい田村です。栗原さん何かありましたか?」
「夜分に申し訳ありません。実は急ですが東京に引っ越すことになりまして。会計の帳簿書類などをお渡ししたくて」
「そうでしたか急なお話ですねぇ。いつ頃お引越しされるんですか?」
「あの……それが明日にはもう向こうに出発するんです」
「え!!」
すまなそうな言葉の反面、何だか明るい声のトーンが私の心に引っかかった。どう考えてもおかしな引っ越しの仕方。しかしとにかく書類は受け取らないとと思い、近くの公園で急ぎ待ち合わせをした。
「すみません、お待たせしました」
ピンク色のかわいい車から降りてきた栗原さんは珍しくスッピン姿。車の中には押し込めるだけの荷物が乗せられていた。私はとりあえず会計書類を受けとった。綺麗な文字でまとめられた書類に問題はなかった。
「本当にこれから向こうに出発されるんですね……」
「はい。まだ学校にも連絡できなかったので朝イチで連絡します」
え?てことは空くんの学校の転校手続きもまだってこと?一瞬夜逃げなのかと疑いそうになったけれど、栗原さんのご実家はそれなりの資産家と聞いているし。見る限りそんな感じはしなかった。
「空くんも一緒にですか?中体連まであと3か月足らずなのに。団体戦の登録も……」
「とにかく急ぎますので。本当に申し訳ありません」
そう言うと急いで車に乗り込み彼女は走り去った。なんだかイヤな予感がする。夜空に浮かぶ下弦の月を見ながら、私は小さくため息をついた。
次の日、気になって放課後の部活を覗きに中学校へ向かった。すると案の定、栗原さんの引っ越しの件で色々と問題が起きているようだった。いきなりの引っ越しだった為新しい住所もまだ未定。転校手続きができるまで空くんは新しい中学校へ転入できないだろう。学校側としても首を傾げている状況らしい。
彼女に何があったんだろう。
するとウォーミングアップを終えた長男がポツリと呟いた。
「空のやつ言ってたよ、東京でパパと暮らすんだって。お前卓球は?って言ったら、辞めなきゃ向こうにいけないだろって。もうどうすんだよ最後の中体連。団体戦だってあるのに」
ま、まさか!
でも恋多き栗原さんのことだ間違いない。私は確信した。空くんの本当のパパである人の離婚が成立したので、再婚することになったのではないだろうか。だとすれば、急いで彼のもとに行きたい気持ちもわからなくもない。後先考えずに恋愛に走る栗原さん。それに振り回される空くん。
このまま順調に再婚することができるのか、他人ごととはいえ漠然とした不安がよぎった。
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第10話を読んでいただきありがとうございます。
明日も15時更新予定です。
どうぞ暇つぶしにお読みください。
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