第5話 痛み
※牧清美 視点
私は車に戻り、手にしたふたりの写真を広げた。込みあげる感情は、怒りより嫉妬よりも不安だった。これからどうしよう。私や子供達向けられた主人の笑顔は偽りの姿なのだろうか。何をどうすればいいのかわからなくなり、車の中で2時間ほど過ごした。さっき見たふたりの動画が瞼に焼きついて離れない。
しかしすべてを知ってしまった以上、主人にどう接したらいいのかすらわからず、とりあえず実家に行き事情を話した。実父は怒り、主人のところに乗り込もうとしたけれどひとまず我慢させた。両親も子供達のことをまず優先に考えるべきだと言い、しばらく私と子供達は実家で生活することにしたのだ。
私がこうして悩んでる時間も、あのふたりは楽しげにイチャついてるのかと思うと次第に湧いてきた怒りの感情。
「許さない」
私はおもむろにスマホを取りだし、主人へメールを送った。
─しばらく子供達と一緒に実家に帰らせていただきます。理由はおわかりですよね。
するとすぐに返信がきた。
─どうしたんだ?何か怒ってるのか?
どこにいるんだよ?
主人の白々しい言葉に吐き気すらおぼえた。
─栗原さんとの不倫のことです。
すると焦っているのか2、3分の沈黙の後ようやくスマホが鳴った。ドラマで聞くような「あれは違うんだ」ってセリフでもぼやくつもりかしら。私は一切電話に出ることはなかった。
─声も聞きたくない。絶対会いに来ないで。
そうメールを送りスマホの電源を切った。こんなふうに私の心のスイッチも電源オフにできたらどんなに楽だろう。
それから実家に戻り3日がたった。何度か主人が実家まで押しかけてきたが、父の鬼のような剣幕に驚き帰っていったようだ。主人からの電話の着信は続いているが、まだ声を聞く気にもならない。
しかしこのまま放置して別居生活を続けても、子供達にも悪い影響がでるだろう。眠れない夜を終わらせるためにも、私は主人と話すことを決意した。
子供を寝かしつけ夜11時を過ぎた頃、主人のいる家に到着。現実と向き合うのが怖くて逃げ出したいけれど、もうこれ以上逃げるわけには行かない。
あんなに幸せだった家の入り口は、他人の家みたいに冷たい口を開いている。足音に気づき、慌てて玄関に向かってくる主人。彼はそのまま玄関で私に膝まずき土下座をした。実家での親の様子を見て、不倫の事実は隠せないと観念したのだろう。
「嫌な思いをさせて本当に申し訳なかった。あの……」
そんな主人を横目に私はリビングまで進みテーブルに座った。乱雑に投げ置いた家の鍵がテーブルから滑り落ちてゆく。
「本当にすまなかった。言い訳はしない。慰謝料も養育費もちゃんと払います。もちろん親権もいりません。この家も出ていきます。だから頼む俺と離婚してくれ。離婚さえしてくれるなら俺はなんだって……」
私は力の限りテーブルを叩きつけた。バシッという音が冷たい部屋に響き渡る。痛みすら感じない。
「すまない」
私はもう一度テーブルを叩き立ちあがって主人を睨みつけ言い放った。
「あなたは栗原さんと不倫してた事実を認めるのね?」
主人は目をつむり小さく頷いた。
「ねぇ楽しかった?不倫にも気づかずにヘラヘラしてる私のことをふたりで嘲笑ってたんでしょ?」
「違う。そんなことは絶対にしてない」
「は?何が離婚してくださいよ!あんた、私に何かお願い出来る立場だと思ってんの?人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ」
きっとあの時の私は般若のような顔をしていたと思うわ。だって主人は開き直って離婚してくれの一点張り。すまないなんて言葉で終わらせるつもりなのかと思ったら怒りでおかしくなりそうだった。
「あなた離婚してどうするの?」
主人は黙ってうつむいた。
「あぁ〜。ほとぼりが冷めたらあの女と一緒になろうと思ってるんじゃないの?甘いのよ。ねぇ今ここにあの女呼びなさいよ」
すると主人は突然うろたえだした。
「それだけは止めてくれ。全部僕が始めたことなんだ。彼女には何の責任もない」
「は?いい大人が不倫しといて僕だけの責任ですって。何度も私のことを騙して、何度もあの女とセックスして。あの女に責任がないとでもいうの?どういう意味なのか説明しなさいよ!」
私は興信所に頼んで調べてもらった時の写真をテーブルにばら撒いた。ふたりが周りを気にしながらもホテルに足繁く通う姿があった。中には車の中で熱いキスをする姿も。どう見ても、お互い背中に手をまわし求めあっているようにしか見えない。
私は再び右手で何度も何度もテーブルを叩いた。主人は怯えたように私を見ながら腕をつかんだ。
「やめてくれ。手を痛めてしまうから。もうやめてくれ……。叩くなら僕を叩けばいい」
「気持ち悪い手を離して。あの女を抱いた手で私に触れないで。あなたを叩いて気が済むのなら、とっくに殴ってるわよ」
私は泣き叫びながら主人の手を払い除けた。
「すまない、本当にすまない」
主人も涙を流していたが、そんなことどうでも良かった。後悔の涙なのか、恐怖からの涙なのかわからない。私は真っ暗な部屋で涙が枯れるまで泣きつづけた。時計を見たら夜中の3時を回っていた。私は静かに立ちあがり、咽び泣く主人をおいて実家に帰った。
スヤスヤと眠る子供達の寝顔と、右手の痛みを抱え私はひとり眠りについた。
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第5話を読んでいただきありがとうございます。
明日も15時更新予定です。
また引き続き読んでもらえたら嬉しいです。
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