第2話 無から生えてきた婚約者

「こん……にゃく……」

「婚約者、です」


 一瞬、聞き間違いを期待したが、そうではなかった。


 待て。

 待て待て。

 情報が多い。


 ダークエルフという推測が当たっていたことは、まあいい。よくもないけど。

 で、死霊術師ネクロマンサー

 死者を蘇らせたり操ったりする魔法使いの一種で?


 しかも――


 最後の、そう。

 婚約者だ。

 おれと、彼女が?


「まっっっったく記憶にないんですけど」

「ですから、忘れてしまったのでしょう」


 軽くいってくれる。


「そもそも、会ったことあるんですか?」

「ええ。キリヤ君が小学校にあがった頃から2年ほど」

「同級生だったとか」

「いえ、ダークエルフの成長は人間とはちがいますから、あの頃は近所のお姉さんといった感じでしょうか」


 事案!

 事案じゃないんですかねえ、それ!?


「で、でも、ダークエルフとか、ほんとにいるわけ……」

「まるで‟大合たいごう”以前の方々のような物言いですね。わかりました。一から説明いたしましょう」


 モルテの話によると、20年ほど前にふたつの世界――俺たちの住む人界と、モルテたちの住む幻界が突然繋がった。

 人々はこの事件を‟大合”と呼び、以後ふたつの世界の交流は続いている。

 幻界とは幻想世界――エルフやドワーフといった人型種族や魔獣、魔物の類が多数暮らす、いわゆるファンタジーの世界なのだそうだ。


「と、いうことは……あなたみたいなエルフやドラゴンなんかが、その辺を歩いてるっていうんですか?」


 モルテの助けを借りて窓に近づき、外を見た。

 するとたしかに、いる。いる。いる。

 普通とは明らかにちがう髪や肌の色をしていたり、見たこともないファッションに身を包んだ人の姿が、道行く人々の中にちょいちょい混じっている。

 空を見れば、箒に乗って飛行している魔女らしき姿もあった。


「さすがにドラゴンはいないですかね、すくなくとも元の姿では。ふたつの世界を繋ぐ《回廊》をくぐれませんから」

「ふ~ん……」


 上の空で答えながら目を凝らす。

 ……なんだろう。

 風景自体はよく知る現代日本のものなのに、そこにある強烈な違和感は――


「あ」


 たっぷり十秒ほどかかって、おれはようやく気づいた。


「みんな、マスクをしてない……」


 数年前に発生し、瞬く間に世界を覆った流行性感冒。

 その影響で、外出時にマスクを着用することは、いまやほとんど常識となった。

 それなのに、道行く人のうちマスクをしているのはせいぜい1割ちょっと。

 いまは5月なので、おそらく花粉症対策だろう。


「流行り病、ですか? さあ。こちらの世界では、大きなものはここ最近なかったはずですけど」

「いまは何年ですか?」

灼花暦しゃっかれき5554年――は、幻界の暦ですね。ええと、西暦はたしか」


 モルテの口にした数字は、おれの記憶とも一致した。

 脳内に、ひとつの仮説が浮かびあがる。

 ここは、おれのいた世界ではない。

 ただし、異世界というよりは、おれの知る世界とよく似た並行世界のようなものだ。

 いま流行りのマルチバースというやつかもしれない。

 まあ、正解がどれでも大して状況は変わらないが。

 とにかく、この世界にも存在していたであろうもうひとりのおれ、真名井霧矢の中に、おそらくは事故の衝撃で魂が転移してしまったと考えれば説明がつく。


 …………


 本当に説明ついてるか? これ。

 フィクションなら割とありそうではあるけれど、実際この身に起こったのだとすると、マジで? という感想しか出てこない。

 ……まあ、とにかく。

 おれはいま、別世界のおれになっている。

 その別世界のおれは、目の前にいるダークエルフさんと幼い日、結婚の約束を交わした。

 そこまでは受け容れよう。

 受け容れないことには話が進みそうもないし。


「小さい頃のキリヤ君、それはかわいかったんですよ。お姉ちゃんお姉ちゃんって、いっつもわたしの後をついてきて」

「そ、そうですか。懐いてたんですね……でも、あれでしょ? 結婚といっても、異性がなにかもよくわかってない子供特有のアレというか、知識も経験もない状態で口走ったたわごとの類で、正式な約束とは……」

「いえ、結婚を申し込んだのはわたしですよ」


 事案! 事案!

 やはり、こんな格好をしてる女は痴女ということですか!?


「いえ、たしかにキリヤ君からも『将来お姉ちゃんと結婚する!』なんていわれたことはありましたけど、わたしも本気にしていませんでした。でもあるとき、二十歳のキリヤ君の姿を見てみようという流れになって、未来視の魔法を使ったんです。そうしたら……」


 モルテは、ほわぁ、と夢見るような表情になった。


「盆に張った水鏡に映った20歳のキリヤ君の顔……それが、あまりにわたし好みだったもので……思わず、結婚しましょうと口にしてしまったんです」

「で……子供のおれは、OKしちゃったんですね?」

「はい」


 ぽっと頬を赤らめ、恥ずかしそうにうつむくモルテ。

 なんてこった。

 いや、たしかにモルテは美人で優しそうだけれども!

 数分前に会ったばかりの相手と結婚なんてできるか!?


「ですが、わたしはダークエルフでキリヤ君は人間。異種族であるということは、ふたりのあいだにそれはもう、分厚く高い壁となって立ち塞がってきます。習慣、価値観もそうですが、なにより生きる時間が違いすぎますから」


 幻界のエルフやダークエルフに肉体的な寿命はなく、精神の摩耗によって自然と一体になるのが実質的な死なのだと、モルテは語った。

 そんな種族からすれば、人間の一生など瞬きのあいだの出来事だろう。


「でも幸いにして、わたしは死霊術師ネクロマンサーです。あなたの時が一瞬にして過ぎ去るのなら、それを止めてしまえばいい」

「え?」


 人さし指を立て、モルテは得意げな顔をする。

 嫌な予感がした。

 この話の流れ――続くセリフは、絶対にろくでもないものだという確信があった。


「つまり、20歳になった時点でキリヤ君に死んでもらって、ゾンビとして蘇らせれば万事解決! 永遠にずっといっしょにいられます!」


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