アウレール
惣山沙樹
001 雨宿り
そのテナントは長い間借り手がいなかったことを私は知っていた。
なので、「Aurel」という緑色の看板がついており、灯りもついていたことに驚いた。いつの間に店になったのだ。
その日は弱い雨が降っており、一時間ほどすればやむことは天気予報でわかっていた。ならばちょいと雨宿りでもさせてもらおうではないか、と扉を開けたのだ。
「いらっしゃいませ」
中に居たのはメガネをかけた長身のバーテンダーが一人だけだった。真っ直ぐなカウンター席のみ。ダークブラウンでまとめられた落ち着いた内装。私は入口に近い席に腰掛けた。バーテンダーはおしぼりを渡してくれた。
「ジン・トニックを」
最初に入るバーではとりあえずそれを注文することにしている。シンプルなカクテルなだけに、店の実力がよくわかるのだ。飲み慣れた初老の男の意地悪ではあるが、まずはお手並み拝見といこうか。
「かしこまりました」
私はタバコをカウンターの上に乗せた。すかさずバーテンダーが灰皿を置いてきた。一服しながら、彼の次の動作を見守ることにした。
バーテンダーはレモンをグラスに絞り入れ、氷を入れてステア……かきまぜた。彼の年齢は三十代そこそこに見えるのだが、バー・スプーンを扱う手つきは実に手慣れたものだった。彼はアルバイトではなくマスターだと思っていいだろう。
ドライ・ジンとトニックウォーターを注ぎ、またステア。最後に切り込みを入れたレモンをグラスのふちに飾り、完成だ。
「お待たせいたしました」
タバコの火を消し、ちびりと一口、舐めるように味わった。まずは爽やかなレモンの香り。続いてジンの苦み。上手く調和していた。もう一口、今度はさっきよりも多めに口に含んで。
「……美味しい」
勝手にそう口走っていた。
「この店は……できたばかりだよね?」
マスターに尋ねると、ゆっくりと頷いてこう返してきた。
「ええ。昨日オープンしたところです」
「昨日? それにしてはひっそりとしているね」
開店したばかりなら、祝いの花くらい置かれていてもいいだろうに。ここにあるのは、天井まで積み上がったボトルのみで、装飾というものが一切なかったのである。
「ええ……賑やかなのが苦手なもので。それでこの立地を選んだんです」
正直、ここは繁華街のメインストリートから離れすぎていた。酔っ払いがひょっこりハシゴに、とはまず訪れないような場所だった。
「勿体ないよ。いい腕なのに」
「ありがとうございます」
無駄な謙遜もせず、素直に礼を述べる様子。気に入った。きっといい店になるだろう。
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