エターナル

不二原光菓

第1話

 学校から荒木がいなくなって数日経つ。


 土で隙間を塗り固められた粗末なバラック小屋の横で一旦足を止め、真一は祈るような気持ちで周りを見回した。

 いつもなら、このあたりで彼女が駆け寄ってくるはずなのに。


 立ちすくむ真一の頬を朝のひんやりした風が何事も無かったように撫でていく。


「エターナルだったみたいよ」


 昨日聞いた母親の言葉を打ち消すように、彼は何度も顔を振った。


 実際に自分がこういう状況に直面するとは思ってもいなかった彼は、心の中から湧き上がる疑問をいまだ処理できずにいた。


『エターナルはこの社会にいてはいけないものだ。

 無限に増えて、地球を食い尽くす』


 そう聞かされていた真一は、エターナルという生物をまるでモンスターのようなイメージで頭の中に焼き付けていた。いや、それは真一だけではない、彼の周りの小学生達も皆ほとんど同じ想像をしていたに違いない。学校で読まされる絵本にだってそう描いてあった。


 でも、荒木早苗はそんな化け物では無い。


 真一は彼女の白いふっくらとした頬と、伏し目がちな優しい表情を思い浮かべた。


 彼女が休んだその日から、席は当然のように取り払われ、誰もその話題には触れようとはしなかった。先生も、親友も、そして自分も。


 皆、親達からきつく言い渡されているのだ。荒木の事は学校の連絡網で各家庭に情報が回ったに違いない。


「荒木さんはどうなるの」


 その質問をした時、母は井戸端でジャガイモを剥いていた手をはたと止め、見たことも無いくらい激しい形相で真一をにらみつけた。


「他の人がいるところでそんなこと言っては駄目よ。子供が興味を持つことではないの」


 目をむいた母の顔は見たこともないくらい必死で、何か大きな暗い闇に自分が近づくのを守ろうとしているのだと感じた彼は、それ以上の言葉を出すことができなかった。

 気まずい沈黙の隙間を埋めるように、手押しポンプから吹き出る水音が響き続けた。








「秋の運動会で見た時、少し肌の色が白かったから変だとは思っていたのよ」


「本部に密告があって、毛髪検査で引っ掛かったらしいな」


「可愛い子だったのに、可哀相ね」


「まあ、奴らはガン細胞と同じだ。排除しないと宿主である地球のキャパなんてお構い無しに子供を作って増える。君だって、ガンがあったら治療に行くだろう」


「そうね、情けをかけると悪夢の一世紀がまた繰り返されるものね」


「奴らの大増殖さえなければ、資源も枯渇しないで、大戦も起らなかった。こんな退行した生活もせずにすんだんだからな」


 その晩眠れなくて起き出した真一が、戸の隙間から漏れ聞いた親達の声。


 荒木は、ガンじゃない。彼は拳を握りしめる。


 荒木は――。


 気の弱い真一は、よく同級生に悪戯をされた。意地悪をされても、彼はやり返す術を知らなかった。暴力や口での反撃は、感受性の強い彼にとってむしろ自分に跳ね返ってくる苦痛でしかなかったからだ。


 昔ならいじめとして先生も注意するところだが、子供同士の諍いに対する過度な指導は生き抜く力の無い弱い人間を作るという考え方に転換した現在、先生はわざと見て見ぬふりをしている。


『優しさ』は決して美徳ではないという考え方は、混乱期の後には一般的になっていた。どうしても人の苦痛を自分のものとして感じてしまう信一にとって、この荒々しい時代は生きづらい世の中でしかない。


 真一が、反撃してこないとわかるといじめもエスカレートした。


 朝、学校に来ると椅子がなくなっていたり、机の中が水浸しになっていたり。


 困惑する真一にいつもそっと救いの手を差し伸べるのは、一緒に登校して来る荒木だった。


 何処からか椅子を借りてきたり、かいがいしく何枚も雑巾を持ってきたり。


 真一の横をすり抜けるとき、彼女の柔らかい巻き毛が頬に触れる。


 そんな時、いじめられている事も忘れて、真一は胸の高まりとともに頭の芯が疼くような快感を感じた。


 だが、残念なのは彼女が優しいのは全ての人に対してだということ。


 そして、同級生の男子は、秀才の隆も、ガキ大将のキムも、ことごとく皆彼女を大好きだということ。


 抜け駆け禁止。それは男子全員、お互い暗黙の了解だった。


 真一が執拗にいじめられたのは、登下校の間少しだけ荒木を独占する時間があるということへの嫉妬だったのかも知れない。


 優しい、おとなしい、可愛い。


 真一が彼女を説明しようとすると良い言葉しか出てこない。


 なのに何故、エターナルというだけであんな良い子が狩られなければいけないのか。


「ええと、高村真一君?」


 いきなり覚えの無い声から名前を呼ばれ、真一はびっくりして振り向いた。


 背の高い若い男が真一の後ろに立っている。


 大きい金色のボタンの付いたカーキ色のがっちりとした上着、左胸には派手な色の略綬りゃくじゅをくっつけ、腰にはいかつい銃が下がっている。真一の顔が強張った。

 

 今どき、こんな立派な制服を着ることができるのは一握りの人間しかいない。


 ここに出没すると言うことは――すなわち公安だ。


「荒木早苗さんの事を知ってるかな?」


 優しい声音を出しているが、その男の鋭い目は探りを入れるように真一の頭からつま先までをねめ回した。


「荒木さんって子は、いない」


 誰に聞かれてもそう答えなさい。と母に言われたとおりの台詞を真一は口に出した。


「そうだ、その通りだ。君は良い子だね」


 男は無理して作ったことがありありとわかる笑顔を浮かべて頷いた。


「もし、いないはずの荒木さんを見たら、警察に言うんだよ」


 固まっている真一の頭を節くれ立った大きな手でぽんぽんと撫でると男は去っていった。


 男の後姿を見ながら、ふと真一の心に希望が沸きあがってきた。


 荒木は捕まっていないんじゃないか、生きて、逃げおおせてどこかで元気にいるのではないか。


 哀しげな眼をして家族とともに落ち延びる少女の姿が真一の脳裏に浮かび、彼の頭の中に美しい残像を残して消えた。

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