三月学生卒業闘争
秋雨みぞれ
部活動お別れ会
ネットのこちら側で跳ねるボールが、視界の端で見えた。
途端、試合終了を告げるタイマーが耳をつんざく。
「お疲れさま~」
私がねぎらうと、周りの部員が近寄ってきた。
――あんなの速すぎて防げない、ウチの部長は容赦というものを覚えるべきだ。
口々にそんなことを言いながら。
「教室ではふわふわした優しい女の子! って感じなのにね~。あんな子に育てた覚えは……」
――まさかおぬし、母親だったのか!
そんな軽口を叩いていると、噂の女子から集合がかかった。
ボールをかごに放り込む。
我らが女子バレーボール部のキャプテンは、その豪快なプレーとは真逆の、穏やかな雰囲気で言う。
――お別れ会のカードは書けた~?
部活動お別れ会。
引退した部活の先輩方に、感謝を伝える伝統行事だ。
我が校では3月――先輩方の卒業前に行われることが多い。
先輩に感謝を伝えられる公的な行事は、これが最後になる。
ほとんどの部は『大切な部活の先輩』にメッセージやプレゼントを贈る……らしい。
私には、よく分からない。
――来週の金曜日までに出せばいいから、じっくり考えてね~。
朗らかな声とは対照的に、私の気分は沈んでいく。
顧問の出張が理由で、今日は早めの解散となった。
手にシューズ袋の重みを感じながら廊下を走り抜ける。
昇降口にたどり着くと、数人の女子生徒が談笑していた。
紺地にピンクのラインが入った、通気性のよいユニフォーム。
――バスケ部員だ。
すぐにきびすを返し、階段を二段飛ばしで駆け上がる。
あっという間に最上階に着いて、ようやく足が止まった。
(…………あ~あ)
自嘲気味に笑う。
「なーにやってんだろ……私」
本当に、馬鹿らしい。
きっと彼女らはもう昇降口を出ているだろう。
私のことなど気付かずに。
けれど何となく、足が階段に向かなくて。
校舎のひんやりとした空気が、私を貼り付ける。
「………………」
私は、階段に背を向けた。
私の所属する2年C組は階段のすぐ横にあり、給食のワゴンも取りに行きやすい位置にある。
立地条件は最適だ。
開け放たれたドアをくぐる。
「…………うん?」
「………………ども」
そこには先客がいた。
黒縁メガネに黒の学ラン、眉毛にかかった長めの前髪。
手の中には表紙の厚い本が握られている。
このクラスの人間ではない。
なぜなら――。
「そこ、私の席なんだけど」
「そうか。ごめん」
少年がガタガタと立ち上がり、窓側の席に移動する。
出ていく気はないようだ。
「……………………」
私も席に座って、ファイルの奥からカードを取り出す。
シャーペンをくるくる回してみるが、言葉が何も思いつかない。
気まずい沈黙が流れた。
「…………部活サボって読書?」
――嫌なことをしている。
私は見ず知らずの人間に、八つ当たりしているのだから。
「僕は帰宅部だ」
「……あっそ。身軽なもんだ」
帰宅部は部活と言えるのか?
「そういうあんたは」
「バレー部。先輩にメッセージカード書かなきゃいけなくなってね。
はぁ――めんどくさ」
「そういやそんな季節か。大変だな」
「大変だよ。なにせ顔も知らないんだから。
……転部してんだ、私」
自分がバスケ部に歓迎されていない、という自覚はあった。
私が『勝ち』を追い求めたせいだということも。
昔から負けず嫌いだった。
どんな勝負にも、勝たなければ気が済まなかった。
「もっと部活の日と時間を増やして、メニューも変えるべきです」
そう顧問に頼んだとき、周りの部員がこそこそと話して……意を決したように、リーダー格の少女が進み出る。
――そんなの嫌です。わたしたちは楽しくバスケがしたい。勝ちばかりこだわるのは良くないと思います。
『楽しみたい』というのもまた、スポーツをする目的の1つだ。
けれど……だから、私はバスケ部を辞めた。
「ふぅん。途中入部とかできるんだ」
「まあ手続きが複雑だから、あんまり知られてないけどね」
嫌なことを思い出してしまった……。
ちらりと少年を見る。
――私の不安はどこ吹く風。
彼は吞気に本を読んでいた。
「ヒトの話聞いてた?」
「思い出もない上級生の卒業祝うのヤダって話?」
「そうだけどっ……」
身もふたもない言い方をする。
「私は、逃げたの。前の部活から。
――自分の部活を逃げ場にしてるの。
そんなヤツに、卒業なんて祝われたくないでしょ」
「――――3万人」
「……………………は?」
唐突。
ずっと黙っていた少年が、本をぱたんと閉じる。
机の上で突風が起きた。
残っていたのであろう消しカスが逃げまどう。
「人生で知り合う人間の数。結構有名な話だけど?」
「……知らない」
「で、それを知った日本大学の心理学者、
知り合う人数が3万……その内、年を取っても交流のある人間はいくつかってね」
「…………急に何の話?」
「知識のひけらかし」
あっけらかんとした口調で少年は続ける。
「久賀根氏には曾祖父母がいたから、電話でデータを取った。
指折り数えてった結果――曾祖父は27人。
曾祖母は24人だった」
「え、少なっ」
思わず声が出た。
どこからか吹く生ぬるい風が、濁った教室の空気をかき乱す。
「そう、結構少ないんだ。
そんな選ばれし30人に、数年ぽっち一緒にいただけの人間が入る隙間なんて――――ない。
だからお別れなんてあっさりしてる方が、相手にとってもいいと思うけど?」
そんなものは、ただの結果論で。
論点がズレている。
けれどその時、その言葉を聞いた私は、
なんとなく――心が軽くなった気がしたのだ。
「こんなのは結果論だけどね」
本人もその理論の穴には気づいているらしい。
「要は、重たい女は嫌われるぞってこと」
「……もしかして、励ましてくれてる?」
……沈黙。
少年のほうを見ると、また本に頭を突っ込んでいた。
「言いたいことだけ言って終わりか……」
私は荷物をカバンに詰め込んで、立ち上がる。
「あーあ、アホらしっ! 帰ろう!」
しかしながら……この少年。
「ずいぶんと人生達観してんね。おじいちゃんじゃん」
「あんたの1つ上」
――爆弾発言は、ほどほどにしてほしい。
「…………うそでしょ卒業生? 私より背、低いのに?」
「どうとでも言え」
数日後。
体育館への渡り廊下を歩いていると、バスケ部員と遭遇した。
ほんの一瞬、足が引き返そうとする。
――重い女は嫌われる、か。
「こんちはっ」
私は笑顔でそう言い、相手の横を通り過ぎた。
そのままシューズを履き替える。
――あれ、なんか機嫌いいね?
体育館に入るなり部長にそう言われて、私は微笑んで見せた。
「…………そうだ、カード書けたから渡すね~」
カバンからクリアファイルを引っぱり出す。
カードに刻まれた言葉がどれも同じことは、ここだけの秘密だ。
【今までありがとうございました!
卒業おめでとうございます!】
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