時空超常奇譚7其ノ弐. 敷衍泡話/颯爽たる男

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚7其ノ弐. 敷衍泡話/颯爽たる男

敷衍泡話ふえんほうわ颯爽さっそうたる男


 一人の男がPCの前でVRを装着して何かを操作していた。


「社長、お時間です」

「もうそんな時間かね」

「はい、下に車が待っております」

 銀座英國屋のオーダースーツに身を包み、腕にはさり気なくアイスブルーのロレックスデイトナを付ける背の高い俳優のような顔立ちの男。そんなセレブ感満載な社長と呼ばれる男を秘書の美しい女が優しく促す。その品性のある声が今日も男のやる気を奮い立たせる。男の姿は知性を感じさせる

 ここは新橋1丁目133番地に聳える100階建のビル。東京都内を一望する新橋スカイタワービル、その最上階にオフィスを構える株式会社新橋電気商事の代表取締役社長の男は、今日も意気揚々と得意先の営業に出掛けた。

 男の会社は従業員数3000人を抱える優良企業ではあるものの、トップ自らが営業の最前線に立つ事「率先躬行そっせんきゅうこう」を会社の基本理念としている。男はこれから誰もが知る一部上場企業PCメーカーA社へ単身で向かう。役員も社員達もそんな社長を尊敬しその姿勢に感動すら覚えている。

 100階から快速エレベーターで一階に降りたそこには新橋スカイビルの総合受付があり、受付嬢達が満面の笑みで男を見送っている。「いってらっしゃいませ」の清々しい声にモチベーションは当然の如く高まる。

 会社前には社用車が既に止められている。あらゆる点で妥協なく洗練された男に相応しい超高級車ロールスロイスの観音開きの後部ドアが開くと、男は乗り込んで悠然と新宿方面へと向かった。


 PCメーカーのA社は西新宿超高層ビル群の中に立つ何故か平屋建てのビルにある。地下駐車場に車を止めて、男は颯爽とエレベーターに乗り54階のボタンを押す。平屋建てでありながらボタンは54まであり、そこがこのビルの最上階である事を示している。

 54階でエレベーターを降りてA社受付で担当を呼ぶと、別室に通される。54階から見下ろす新宿の街は見慣れた100階から見る東京の景色とはまた違った感慨があるなと独り悦に入る。


 暫くして部長と課長の男が親し気にやって来た。いつもの挨拶の後、商談に入る。

「それでは1年型落ちのLTラップトップ20台で8掛と言う事で」

「もう少し何とかなりませんかね。これだけ大きな商談なのですから」

 商談は佳境に入り、男の真剣な眼差しに部長の男が折れる。

「うぅん、では30台で7掛でいかがですか」

「それで結構です」

「承知しました。では、いつもの通りお振込が確認出来次第、御社宛に商品発送させていただきます」

 商談は成立し、待っている運転手に商談の終了を告げた男は、満足げな顔でA社を後にする。仕入れたPCの卸先は既に決定しているから、これで今期の売上と利益は確保出来た。その嬉しさに、つい54階にいるのを忘れてしまった男はエレベーター横のエントランスから外に出てしまった。


 エントランスの扉が開いて外に出ると、青い空と白い雲が視界に入る。前面道路の向こうに波の打ち寄せる砂浜の海岸があり、更にその遥かに地平線を行く貨物船が見える。右手には緑と赤と黄色に彩られた山々が連なっている。左手には道路が彼方まで続きその向こうにひなびた街並みが見える。確かここは西新宿のビル街ではなかったか……。

 一瞬自分がどこにいるのかわからない空漠たる思いが男を包み込む。理解を超えるその情景に立ち竦む男は「しまった。またやってしまった」と独り言を呟きながら踵を返し、背後の平屋建てビルに戻った。


 エレベーターに乗って心を落ち着かせて1階のボタンを押す。扉が閉まった途端にエレベーターが下降し始める。再び扉が開きA社前で待っている社用車に乗り込むと、運転手が不思議そうに男に声を掛けた。

「社長、随分時間が掛かったようですが、どうかされました?」

「いや大した事はない。実はね、このビルは平屋建てに見えるが、商談先の会社は54階にあるんだ。その54階からうっかりして外に出てしまったんだよ」

 運転手は首を傾げた。そのビルは目の前にあり、平屋建てにしか見えない。両隣のビルがそれぞれ54階55階という天をするような超高層建築物である事を考えれば平屋建てである事の方が奇態ではあるのだが、目の眩むような建物はそこにはなく平屋のビルが厳然と異彩を放っている。

「これで二度目なんだが、54階から外に出てしまってね。そうすると、そこに海岸線があって、ずっと向こうまで海が続いているんだよ」

「へぇ、不思議ですねぇ」

「そうなんだ。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなってしまうのだよ。まぁ尤も、ここはVCヴァーチャル・シティだから、何があっても不思議じゃないけどな」

「そうですね」

「さぁ、帰ろうか」

 運転手は頷き、車は首都高方面へと走り去った。


 A社のオフィスでは、パソコンにVRを付けた二人の社員が首を傾げながら言い合っていた。

「先輩、いつも思うんですけど、こんな商談まとめちゃっていいんですかね?」

「どうして?」

「だって先輩、そもそもあの人って何者ですか。大きな商談とか言っちゃって、型落ちPCを30台買いに来るだけの変な人じゃないですか」

「まぁそうだな」

「それに、名刺には「新橋スカイタワービル100階」とか書いてありますけど、新橋に100階のビルなんかありませんよね。詐欺師みたいだ」

「いいんだよ、彼の会社がバーチャルだろうが、ウチが儲るなら何の問題もないよ。それに入社二年目の俺や新入社員のお前が勝手にバーチャル名刺に部長だの課長だのと書いているのだって詐欺みたいなものじゃないか」

「まぁ、そうですけど……」

「それよりも、VCのウチの会社が平屋建てにバグっているらしいから、運営に連絡して即刻対応するように言っておけよ。そんなの部長に知れたら、ドヤされるぞ」

「はぁい」

 新入社員が不満そうな顔で仕事に戻った。

         

 西暦2030年、メタバース仮想空間にあるVCヴァーチャル・シティは本物と偽物がごちゃ混ぜに存在しているカオスであり、リアルである事などに何の意味も価値もない虚言うそ衒気みせびらかし虚栄みえ妄想ゆめが渦巻く世界だが、商業市場規模は100兆円を超えている。


 男はPCの前でVRを外し呟いた。

「さて、今日はこれで帰るか」


 新橋1丁目133番地に崩れ掛けた二階建ての廃墟ビルが立っている。1階は錆び付いたシャッターが降り、階段を上がった2階フロアも閑散としていて人気ひとけはない。その最奥、古びた「株式会社新橋電気商事」の看板が掛かった203号室の鍵を締めた男は、蹌踉とした足取りで新橋駅へと歩いて行った。


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