第二部 歪な魔法少女『変生』

第48話 『魔法少女』の黒アリス

「ねえ、今日のテストの手応えどうだった?」

「いやー。厳しいかったかな……。あの問題ってどの選択肢を――」

「お母さん、あのおもちゃ買ってよー」

「はいはい、誕生日が近いから、その時にね」

「誠に申し訳ございません……。その件についてですが――」



 日本のとある都市。発展具合は日本の中でも平均的なものであった。往来を歩く人々は足を止めることなく、行き来している。そこには、人の数だけの日常があった。

 間違いなく、平和そのものだ。残念ながら、一部の人間の顔に浮かぶのは、笑顔だけではないけれど。



 しかしその日常を壊そうとする存在は、いつの世にもいる。上空からパリン、と。硝子が割れるような音が響く。何もない空間にはヒビ割れのようなものが確認でき、奥に広がる暗闇の中から、一体の異形が現れた。



「Gaaaa!」



 異形の鳴き声が上がり、それを聞いた人間達の本能的恐怖を刺激した。



 その異形の名は、魔獣。今から約六十年前に、世界各地に姿を現した怪物達の総称であった。

 通常兵器が通用しない魔獣に、人類はただ蹂躙されるしかなかった。



「きゃあああ!」

「――魔獣が出たぞ! 逃げろ! 急げ!」



 巨大な蛇に似た見た目をした魔獣。上空から落下してきたその魔獣は、周囲の建物に被害を出しつつ地面に降り立った。

 魔獣の姿を視認した人々は、一目散に逃げ出し始めた。悲鳴と怒号。人間の不の感情に由来するものが辺りに満ちていく。



 と言っても、逃げる選択肢をとれたのは、魔獣の落下に巻き込まれず無事な人間のみだけであった。



「お母さん……一緒に逃げようよ……」

「私はもう無理そうだから……あんただけでも、早く逃げて!?」

「嫌だよ……」



 魔獣の落下地点の近く。崩れた瓦礫の一部に下半身を巻き込まれてしまった女性に、それを何とか助け出そうとしている五歳程度の少年。

 親子なのだろう。母親の必死な頼みも息子らしき少年は聞き入れず、涙を流しながら母親の体に乗る瓦礫をどけようとする。

 しかし非力な子どもでは、自分の倍以上の重さを持つ瓦礫をどかすことは到底不可能だ。



「Guuuu……!」



 蛇型の魔獣が鎌首をもたげる。細い、冷たく獲物を吟味する視線が親子に注がれる。一瞬の考えるような素振りをした魔獣は、大きく口を開き哀れな母子を飲み込まんとしようとした瞬間。



「Gaaaa!?」



 横から襲いかかってきた不意の衝撃によって、魔獣は数十メートル先のビルの壁に叩きつけられた。粉塵が舞い上がり、魔獣の姿が一時的に隠される。

 突然の事態の変化に、避難が完了していない人々は更に混乱の声を大きくする。周りの騒音が届かない程呆然としていた親子は、魔獣を吹っ飛ばした乱入者に視線が釘付けになった。



 その乱入者の正体は、一人の少女であった。黒色のドレスに、白色のエプロン姿の彼女は油断なく魔獣が吹っ飛ばされた方向を見据えていた。

 そして少女に見覚えのあった少年は、大きな声でその名前を叫んだ。



「黒アリス!?」



 『魔法少女』の黒アリス。『連盟』に所属しておらず、未登録でありながら、『魔女』ではない唯一の魔法少女。見返りを求めずに魔獣を倒す彼女には、かなりの数のファンが存在している。



「大丈夫? もう安心してね?」



 黒色のドレスのスカートを風に揺らしながら、黒アリスは頭だけを動かして振り向いた。できるだけ安心させるように、優しい声をかけてくる。



「う、うん……だけど、お母さんが……!?」

「私のことはいいですから! 息子だけでも……!」

「大丈夫です。お二人とも助けますから。絶対に。トランプ兵達、この人達を安全な場所にまで運んで」



 黒アリスの言葉が終わると同時に、どこからともなく等身大のトランプに手足がついた『何か』が無数に現れる。トランプ兵だ。

 黒アリスの指示に従って、瓦礫をどけて親子を担ぎ上げて退避していく。



 その様子を見届けると、黒アリスは視線を正面に向き直った。舞い上がった砂埃が晴れ、怒り狂った魔獣が鳴き声を上げて突進してくる。



「Gaaaa!」

「――『■■の■の■■・チェシャ猫』」



 物凄い勢いで迫る魔獣に対して、冷静に黒アリスは魔法を行使した。間髪を入れずに、彼女の影から一体の異形が産声を上げる。巨大な猫のぬいぐるみを模した使い魔であった。



「Nyaaaa!」

「Gaaaa!?」



 決着がつくのには、さほど時間はかからなかった。チェシャ猫と呼ばれた使い魔は、重量を活かして魔獣の上に跨り拘束。空いた前足の鉤爪による、連続の切り裂き攻撃に、魔獣は抵抗虚しく絶命した。



「お疲れ様なんだな、アリス。周辺の人達の避難も概ね解決したみたいなんだな」

「黒兎も、お疲れ様。『連盟』の魔法少女が来る前に退散しようか。いつもの奴お願いね」

「了解なんだな」



 戦闘が終わった黒アリスに声をかけるのは、洒落た紳士服に、右目にかけたモノクルが特徴的な喋る兎――黒兎であった。

 黒アリスの契約妖精である黒兎が、いつもの奴――転移魔法を発動すると、傍に人一人が通れる程度の黒い渦が形成される。いわゆる『門』だ。



 『門』を潜り抜けた先は、黒アリスの自室であった。他に人目がないことを念の為に確認した後、彼女は変身を解除した。

 そこにいたのは少女ではなく、中学生程度の少年。彼こそが、世間を賑わせている『魔法少女』黒アリスの正体であるのだ。



 一息をついた黒アリス――ではなく、有栖川悟は部屋の隅に置いてあるパソコンの方に向かい、先ほどの魔獣による被害状況を調べ始めた。

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