第17話 父親
「嘘……」
恵梨香の口から、受け入れ難い現実を忌避する言葉が溢れる。自分の命の恩人が、一日も経たない内に指名手配の犯罪者になったような気分に陥る。
事実『指名手配』という表現は間違いではない。『魔女』という称号は、『連盟』に所属していない上に、私欲で魔法を使う魔法少女に与えられるものだ。
一度『魔女』の烙印を押された彼女達は、『連盟』に追われる身になり、捕らえた際は『連盟』の管理下に置かれる。
その後の処遇は本当に様々だが、今彼女――『黒アリス』が『魔女』として『連盟』の捕縛対象になったのは間違いない。
「何か私に力になれることがないのかな……。有栖川君なら……でも……」
肝心の悟に魔法少女の話題をするのは酷であろう。しかし今日の反応を見れば、思いの外大丈夫なのかもしれない。
「メールだけ送ってみよう……」
簡単に内容をまとめたメールを作成して、悟へと送った。時間帯が遅い為、返事は返ってくることはないだろうが。
メールを送り終えた恵梨香は、そのまま部屋の灯りを消して就寝をした。
■
こうして多くの人間にとって、激動の一日は終わりを告げた。
■
「ん……もう朝か」
悟の起床の合図となったのは、普段と同じく無機質な電子音。寝ぼけ眼で枕元を探り、音がなるスマホを三十秒程の時間をかけて手に取る。
アラームを切る頃には、すっかりと言える程ではないにしても、悟の眠気は覚めていた。
「悟、起きたんだな」
「黒兎か。おはよう」
「おはようなんだな」
それまでの日常と違い、起きた直後に挨拶をかけてくれる者がいた。黒兎だ。彼の存在が、昨日の出来事が現実であったことを悟に教えてくれる。
「学校に行かないと――いや、今日は臨時休校だったか」
悟達が通う中学校は二日間の臨時休校を設けた。その原因はズバリ魚人型の魔獣のせいであった。それだけではなく、近隣で出現したもう一体の魔獣と二人の『魔女』――内一人は悟自身であるのだが――の存在が大いに影響している。
ようするに悟は二日分の自由な時間を得たことになる。この偶然手に入った時間をどう活用するべきか。悟はその使い道を相談する為に、黒兎に話しかけた。
「うむ……そういうのであれば丁度いい協力者がいるんだな! 魔法少女としての先輩で、『連盟』に所属していない吾輩の知り合いがいるから、紹介したいんだな!」
「ねえ……その人って、『魔女』じゃないの……?」
悟の口から出た疑問は当然のことであった。このご時世に『連盟』に所属していない魔法少女と言われて連想されるのは、『魔女』しかいない。
黒兎の知り合いである為、一口に『魔女』と言っても危険人物である可能性は低い。例を挙げるとしたら、昨日『連盟』の支部に襲撃をしかけたような『魔女』であるはずはないだろう。
「安心するんだな。彼女は吾輩と一年程前から付き合いがあるが、決して悟に危害を加えるような性格じゃないんだな」
黒兎もこう言っているのだ。大船に乗ったつもりで行こう。そう心の中で結論づけた悟は、黒兎に断りを入れて着替えを行った。
身支度を整えた悟が手元にスマホを取り寄せて、時刻を確認する。午前六時過ぎだ。普段通りの起床時間である。
悟は体をストレッチの要領で、簡単に動かす。体にまだ昨日の疲労が僅かに残っていたが、学校に登校する必要がなければ、許容範囲の内だ。
朝食の準備をして、黒兎のいう協力者に会おうと思い行動をしようとした所、疲れ切った表情の中年男性に出くわした。
「……おはよう、父さん」
「ああ……悟か。おはよう」
もちろんその中年男性は見知らぬ他人ではなく、悟の実の父親だ。いつもであれば朝早くに出勤する父親に、悟が顔を合わすことはほぼない。
食事も外食かコンビニ弁当で済ませているのか、過去に「食事は不要だ」と言われたことがあって以降、悟が父親の食事の準備をしたことは全くない。
今日もこれから出勤しようしていたのだろうか。スーツは皺一つなく、きっちりと着こなされていた。それでいて草臥れた印象が強い。
(父さん……こんなに随分と老けたように感じるな……)
父親と面と向かい合うのも、悟にとって久しぶりだ。そのせいだろう。実の父親にも関わらず、年齢の変化を突然突きつけられた。
それもそのはず。悟が父親と挨拶を交わすら、実に数年振りであった。久々に見た父親の顔は、悟には実年齢以上に老いて感じられた。
娘――久留美の喪失はやはり相当な影響を与えてしまっているようだ。鬱病になってしまった母親よりも症状はず軽いとはいえ、精神的な傷が未だに癒えていないことは、全身の雰囲気から察することができる。
「悟……最近変わったことはないのか」
「――いや、特にないよ」
「……そうか」
実の親子のものとは思えない程の淡白な会話。気まずい静寂が二人の間を支配する。どちらも最初の挨拶以降、会話が発展していない。
先手を打ったのは父親の方であった。
「悟……本当に困ったことがあるんだったら、遠慮なく言えよ。一応これでも、お前の父親だからな」
「父さんに相談できることがあったら、そうするよ。お仕事いってらっしゃい」
「ああ、行ってくるよ」
そう告げて、父親は玄関に向かって行った。父親の後ろ姿を、悟は見えなくなるまでずっと見つめていた。
短い会話ながらも、父親が自分のことを気にかけてくれていることを悟は実感できた。だからこそ、彼の口は何ともないと嘯いてしまう。父親にこれ以上余計な心配をかけたくない為に。
その後自分と母親の分の朝食を簡単に済ませた悟は、自室に戻る。部屋には黒兎がいる。どうやら今日は悟のパソコンは触っていないらしい。空中で漂いつつ、悟が戻って来るのを待っていたようだ。
「お待たせ、黒兎」
「別に急いでないんだな。それで準備は大丈夫なんだな?」
「うん、それなら――あ、そういえば佐々木さんからメールが来てたな……」
昨晩恵梨香から届いていたメール。疲労感を解消するのを優先してしまい、読むことを後回しにしていたものだ。
悟はスマホを慌てて確認する。
『有栖川君へ。夜遅くにごめんね! ニュース見た? 昼間の時に私を魔獣から助けてくれた魔法少女のことなんだけど、どういう訳か『魔女』になってたんだ。有栖川君に、こんなこと聞くの変かもしれないけど、その子のことどう思う?』
どうやら急ぎの用事ではなかったらしい。それでも悟にとっては何とも言い難い話題であった。
恵梨香が言う、彼女を助けた魔法少女――『魔女』は悟自身なのだ。どのように返答をするのが正解か。非常に難しい問題である。
思考をまわすこと約三分間程。悟は無難にこう返事をすることにした。
『佐々木さんへ。おはよう。昨日は返事ができなくてごめんね。僕の方も色々とあったから。佐々木さんの相談についてだけど、今は上手く答えられそうにないから、学校で会った時にでも』
悟が出した答えは先延ばしであった。幸いなことに考える時間だけは沢山ある。
熟考した割には曖昧な返事のメールを手早く打ち込み、送信をした。
「お待たせ、黒兎。準備はいいよ」
「了解だな。でもその前に変身を済ませておくんだな」
「分かったよ」
黒兎の言う通りに魔力を操作して、魔法少女の姿に変身した。ふわりとエプロンドレスのスカートが広がる。
「では行こうなんだな」
黒兎はそう言うと転移魔法を発動して、二人は『渦』の中に入っていった。
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