第10話 vs魔獣 豚男

 転移『門』を通った先は、人気のない路地裏であった。

 まだ昼過ぎであるというのに、人々が織り成す営みの合唱が聞こえる表通りとは全く異なる世界のようだ。



 悟の足元を何かが駆け抜けていく。張り詰めていた神経が脳に瞬時に情報を伝達して、狩るべき標的と判断を下そうとした。



「……何だ、ただの鼠か……」



 小さな気配の正体は、何の変哲もない鼠であった。恐らく近場の店のゴミ箱で、残飯でも漁っていたのだろう。

 そう思考を巡らしていた悟の視線は、無意識の内にその鼠の群れを追いかけていた。



 路地裏のさらに奥。日常から少し離れた場所に隣接する迷宮。

 そこに悟の目当てがいた。



 一体の魔獣が悠然と佇んでいた。その見た目は常人の数倍以上膨張したような体格。ぼってりと出た腹。

 両手で握りしめられた巨大なチェーンソー。人間の首であれば、簡単に切断してしまうだろう。

 悟の脳内で、宙を舞う自分の頭が一瞬幻視された。



 そして何より目をひいたのが、人型の上に相反する豚の頭部。血走った目がむき出しの殺意を周囲に撒き散らしている。



「恐らく、あれが反応にあった魔獣なんだな。行けるんだな?」

「うん、大丈夫」



 悟は不思議と恐怖を感じていなかった。

 一切の動揺も見せず、魔獣を見据える。

 恐怖が感じられないのは、目の前の魔獣がB級ホラー映画に登場するような、現実味が感じられない見た目だったせいか。

 それとも今日一日だけでも怒涛の展開の数々。それらのせいで、悟の感情が一部麻痺していたのかもしれない。



 魔獣の殺意に満ちた目が悟を捉えた。

 チェーンソーのスイッチが入れられた。鈍い、腹にまで響く重低音が路地裏に木霊する。

 機能性を重視された刃は高速で回転をして、目の前に現れた獲物――悟の首を切ろうとしている。



「■■■■――!」

「――くるんだな!」

「――『■■の■の■■・ジャバウォック』!」



 腹部と同じように肉が弛んでいる足に力を込めて、魔獣は悟目がけて疾走してきた。

 チェーンソーが唸り声を上げて、悟の首元に迫ろうとする。



 黒兎からの忠告を受けると同時に、悟は魔法を起動した。己の影に潜む『何か』を呼び出す為に。



 ドプン。水底から這い上がってくるように、『何か』――紫色の『腕』は現れた。



「■■■■――ッ!?」



 『腕』はいとも容易く魔獣のチェーンソーの刃を受け止めた。歪な回転音と共に、『腕』から体色と同様の血が僅かに流れる。が、それ以上刃が進むことはない。



 魔獣は驚愕による鳴き声を上げて、チェーンソーを『腕』から引き抜こうとして、その弛んだ腕に力を込めた。



「■■■■――ッ!?」

「どう? 醜い豚さん。僕のジャバウォックは。自慢の得物もこれじゃ型なしだね」



 しかしどれ程魔獣が力んでも、一度食い込んだ刃は引き抜けそうにない。

 魔獣が敗北濃厚な綱引きに夢中になっている間に、悟は『腕』にさらなる命令を下してみた。



(動きそうにないな……。今は『腕』の一部くらいしか貸してくれそうにないのかな)



 けれど悟の影に潜む『何か』は現時点では『腕』の一本以外に、命令権を与えてくれないようだ。

 そう思っていた時。悟は魔法の『枷』が一つ外れる感覚を覚えた。



(なるほど……ちょっとぐらいは認めてくれたのかな)



 魔法が完全に使えるようになるのがいつ頃になるのかは不明だが、早速新しく使えるようになった魔法を、悟は行使した。



「――『■■の■の■■・トランプ兵』」



 既に『腕』が伸びている悟の影から、新たな異物が飛び出してきた。



 その異物の外見は、これまた奇妙なものであった。

 通常のサイズより大きな――現在の悟の半分程――トランプ。それに人間の手足が生えており、手には槍が握られている。

 まさにトランプ兵としか形容できない珍妙さである。

 しかもそれが複数体。悟の足元の影から出現した。

 よく見てみれば、中には剣を持つ個体もいる。



 そしてトランプ兵らの武器の切っ先は、豚顔の魔獣に向いていた。

 そんなことはつゆ知らず、魔獣は未だにチェーンソーを引き抜こうとしている。

 それが無駄な行為だと知らずに。



「――全軍、突撃」



 突然現れたトランプ兵達に対して、悟は違和感なく指示を下す。まるで己の手足のように。

 トランプ兵達は隊列を組み、槍や剣を持って魔獣に襲いかかる。



「■■■■――ッ!?」



 意識外の痛みにチェーンソーから手を離し、地面に跨る魔獣。乱雑に腕を振り回して、トランプ兵達を追い払おうと試みているようだ。

 あの見た目同様の愚鈍そうな頭にそれだけの知能が詰まっているかは、悟には分からないが。



 攻めの勢いを強めたトランプ兵の何体かは、魔獣の背に登り、そこへ各々の武器を突き立てる。



「■■■■――ッ!?」



 刺す。引き抜く。刺す。引き抜く。単純作業のように繰り返される行為に、魔獣は外見通りの醜い悲鳴を上げ続けた。



「さと――アリス。大丈夫なんだな?」

「ん? 僕は全く問題ないけど……。魔獣もトランプ兵達が相手してくれているし。でも黒兎やったよ、魔法が少しでもレベルが上が――」

「何で笑ってるんだな?」

「――――え?」



 黒兎の発言に、悟は反射的に右手を頬に添える。

 柔らかい餅のような感触の後に、表情筋が微かにだが上がっているのを確認できた。



(――僕、何で笑っているんだ?)



 異常な光景を前にして、自分の感情を整理できない悟。

 上手く言語化できない、黒い感情の淀みに困惑を覚えた少年/少女は、悲鳴を上げ続ける魔獣を前にして立ち尽くすだけであった。



「……」



 契約妖精である黒兎はそれ以上何も言うことができず、主人と同じように無言で見守ることしかできなかった。





「■■■■……」



 トランプ兵達による殺戮ショーも、五分程で終わりを迎えようとしていた。悟の想像以上に体力のあった魔獣は、会合当初に比べて、蚊が鳴く程度のうめき声すら満足に上げられないようだ。



「■■■■……」



 一度魔獣の体がぴくりと痙攣した後、完全に動きを止めた。二回目における勝負も、悟の勝利に終わる。



「……」

「終わったんだな、アリス」

「……うん、そうだね。その前に、この『腕』とトランプ兵達って、どうやったら帰ってくれるのかな?」

「これらはアリスの魔法で呼び出したもの。アリス自身が命令を与えれば、元に戻ると思うんだな」

「やってみるよ……戻れ」



 死体であるのにも構わず、剣や槍を機械的に延々と抜き刺す作業を繰り返すトランプ兵達。

 彼らは悟の一声によってその手を止めて整列し直し、現れた時同様に、影の中へ沈んでいった。

 また『腕』の方もチェーンソーを振り落とすと、影に戻っていく。

 後に残されたのは、無惨な魔獣の肉塊のみである。



「まあ、過程はどうあれ、結果は上々だな。アリスの魔法は『召喚すること』に特化している。それが分かった上に、呼び出せるものも増えた。うん、やはりアリスを見込んだ吾輩の目に狂いはなかったんだな」



 二人の間に流れる暗い雰囲気をどこかへ吹っ飛ばすように、黒兎はわざとらしく明るい声で悟に話しかける。



「うん、ありがとう。気遣ってくれて。今日は色々とあったから、もう帰――」

「見つけたー。あんた未登録の魔法少女だろ? そうだよな サラマンダー?」

「ああ、間違いないよ。彼女は未登録だ。だけどまだ『魔女』ではないね。格好から見て、昼間の中学校で魔獣を倒した魔法少女に違いないよ」



 悟の発言を遮るように、少女と少年のような声が路地裏に木霊した。

 突然の第三者の声に、警戒した面持ちで悟と黒兎はそちらを振り返る。



 そこにいたのは、赤色のドレスに身を包んだ少女と、それに寄り添う小型の人の形をした炎であった。



 その組み合わせに悟は見覚えがあった。昼間の時、悟達の中学校に現れた二人組の魔法少女の片割れである。



 赤色のドレスの魔法少女――フレイムは、悟とその後ろにある魔獣の死体を見て、興味深そうに口を開く。



「へえー、これが噂の……面白そうじゃん。アクアが近隣の支部の応援に行っててラッキー。遊びがいがありそうじゃん」

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