第3話 僕が魔法少女に!?②

 ピピピ、ピピピ。

 枕元で鼓膜を揺らす不快な電子音。その発生源を手探りで見つけ、何とか黙らせる。

 悪戦苦闘すること三分間。寝起きの悟の脳内はすっかり覚めていた。



「昨日のあれ……。夢だったのかな……」



 悟の口からポツリと言葉が溢れる。

 思い起こされるのは、昨日学校からの帰り道に出会った、自称妖精の存在であった。





『それで魔法少女になりまかな!?』

『――僕、男ですよ?』



 何故か男である自分に魔法少女としての誘いがくるとは、予想していなかった悟。

 悟の返答を聞いた目の前の妖精は、しばし硬直した後、小さな瞳にかかったモノクルを片手でいじりながら、悟を凝視した。

 そしてしばらくして。妖精は大きく叫び声をあげた。



『――本当ではないか!? 吾輩の目が狂ったというのか……!? いや、この潜在魔力量は……』

『あの……用がないんでしたら、帰らせてほしいんですけど……』



 妖精はぶつぶつと独り言に集中し始めた。悟が言葉をかけるが、反応が返ってこない。

 思わずため息を吐いた。



 まさかこうして妖精と再び会うことがあるとは思わず、悟は脳内で妖精に関する知識を反芻した。



 ――妖精。魔獣と同時期に現れた超常的な存在。

 魔獣が徒に人類に厄災を与える存在であれば、妖精は人類に救済を齎す存在である。

 魔獣同様、姿形は千種万様。しかし魔獣の外見が恐怖を煽るようなものが多いのに反して、妖精の見た目は可愛らしいものが大半を占める。



 魔獣の脅威に脅かされていた人類に対抗手段を授けてくれたが、その奇跡には大きな制限が設けられていた。

 妖精から与えられた力を奮えるのは、年頃の少女のみ。

 その結果誕生したのが、魔法少女となる。



 彼女達が行使する魔法はどれも強力であり、近代兵器を用いても抵抗がやっとであった魔獣を簡単に駆除できるようになった。



 もちろんそんな強大な力を使うのが、精神的にも発達途中の年齢の少女達だ。

 そこで各国政府は共同で、魔法少女達を保護するという名目で、『世界魔法少女連盟』を設立し、妖精を通じて彼女達の登録を促した。



 その裏には、大きすぎる力を管理するという意図もあるだろうが。



 要するに、妖精とは少女と契約することで魔法少女を生み出す存在だ。



 悟は過去の出来事がきっかけで、妖精や『世界魔法少女連盟』自体に良い印象をもっていない。



『――お兄ちゃん』



 今朝聞こえたばかりの幻聴。それが再び聞こえてくる。

 一瞬立ち眩みを覚えて、妖精に再度話しかけた。



『今日は調子が悪いから、失礼するね……』

『吾輩の感覚では確かにこの反応は……。あ、ああ。失礼したですな。今回は吾輩の手違いのようであったが、こうして会ったのも、何かの縁。もしもどうしようもない事態に陥ったら、吾輩のことを呼ぶといいですぞ』



 自分の世界から戻ってきた妖精は、そこで会話を打ち切り、姿を消していった。



『何だったんだ……』



 悟はしばらく呆然としていたが、歩いて自宅へと帰っていった。



 その後は夕食を摂る気力さえ湧かず、シャワーだけを浴びて、布団に潜り込んだ。

 眠りに落ちるまで、時間はそう必要なかった。





 以上の出来事が、昨日妖精と出会った後の事柄である。



 体調こそ一晩寝たことで持ち直したが、あの妖精が悟に接触してきたのかは不明だった。

 どのような手段で素質のある少女を見分けているのも分からないが、男である悟を間違えるのもおかしな話だ。

 何やら色々と呟いていたが内容はさっぱりであり、思い返してみても、手がかりになりそうなものはない。



「まあ……考えても仕方がないか」



 結論、思考放棄だ。

 このまま考えに耽っていても、学校に遅れてしまう。

 そう考えをまとめ終わった悟は、簡単に準備を整えて玄関に向かう。

 朝食は摂っていない。どうしても気分が優れなかったからだ。



「行ってきます……」



 学校指定の鞄を片手に持った状態で、自宅の玄関で挨拶を告げる。

 悟の挨拶に応える人間はいない。それに悟は残念がる様子は見せずに、無表情かつ無言のまま、扉を閉めて家の外へ踏み出した。





 通学路の様子は普段と変わりない。

 出勤途中であろうスーツを着た男性や、子どもの手を引く母親に、同じ中学校の生徒達。

 すれ違う顔ぶれは日によって微妙に異なるが、何ら異常はないようだ。

 男を魔法少女に誘うような、気狂いの妖精は影も形もない。



 登校中、あの妖精に出くわす可能性に怯えつつも、何事もなく学校へ到着した。

 昇降口で運動靴を上履きに履き替えて、悟は自分の教室――2-B組に入る。



「おはよう、有栖川君!」

「ああ、おはよう。佐々木さん」



 入口付近にいたクラスメイト達に挨拶をして、悟は自分の席へ向かう。

 先に登校していた恵梨香と挨拶を交わす。

 昨日別れた時よりも、気分が悪そうな悟を見て、心配した口調で、恵梨香が声をかける。



「昨日よりも具合良くなさそうだけど……今からでも休んだ方がいいんじゃないの?」

「……授業を受けるぐらいだったら問題ないよ。朝のホームルームまで時間があるから仮眠でもさせてもらうよ。昨晩はあまり寝れなくてね」

「ねえ……ちょっと!?」



 恵梨香との会話を早々に切り上げて、悟は自分の腕を枕代わりに、束の間の夢の世界へ旅立っていった。



「もうっ……!」



 己を無視するような形で眠った幼馴染に対して、喉元まで出かかった不満の言葉を、何とかして呑み込む。

 恵梨香でなくても、悟が不調であることは明らかであった。

 労るのも、幼馴染としての努めの一つだろう。

 そう納得した恵梨香は、中断していた荷物の整理を再開することにした。





 三限目の授業、体育。場所は校庭。男女共通デザインの体操服に着用し、男女別で授業に臨んでいた。

 種目はそれぞれ違っており、男子がサッカー、女子がフットサル。



 中学生がプレイヤーということもあり、各競技の経験者は殆どいないに等しい。けれど技術的に未熟ながらも、互いに競い合うスポーツは、男女関係なく人気であり、中々の盛り上がりを見せている。



 体育担当の男性教諭は、成績評価をつけるためか、各生徒の動きに目を配っていた。

 それには怪我をした生徒が出た場合、いち早く対応ができるようにする意味も込められていた。



 悟も周りの雰囲気を壊さない程度には動くようにしていた。



 男女区別なく、応援側にまわっている生徒達の声援。選手として参加している生徒達の、得点を決めた際の熱狂的な雄叫び。



 この瞬間、誰もが日常が崩れることはないと錯覚していた。そんな保証など、どこにも有りはしないのに。



「Gaaaa!」

「ま、魔獣だ!?」

「逃げないと!?」



 生徒達が年相応に体育の授業ではしゃいでいる中、一体の魔獣が出現した。



 その魔獣は巨大な魚の頭部を持ち、首より下の部分は人間に近い造りとなっていた。

 端的に言えば、魚人の如きフォルム。

 当然のように服は身につけておらず、ヌメヌメとした液体が分泌している魔獣の肌は、鱗で覆われている。

 右手には長さ二メートルほどにも及ぶ、一本の槍。

 それが武器であることは想像するまでもない。



 魚人の姿をした魔獣が槍を持ち、人間には理解できない唸り声をあげる。



「Gaaaaa!」



 一気に混乱と叫声に満ちる空間。男性教諭ができる限り冷静になるように呼びかけるが、生徒達はそれを無視して我先に逃走を開始した。

 どちらの判断が正しいのか、悪いのか。

 それ自体は分からかったが、結果は出た。



 逃げ出した生徒達の大声に反応した魔獣が、槍を持ったまま、大きく跳躍。一人の生徒の正面に躍り出た。



「Gaaaaa!」

「えっ……?」



 その生徒は一瞬の困惑の後、感覚全てが痛覚に支配される。

 魔獣が持つ槍に、腹部を一刺しされたのだ。



 一連の凶行に、ますます不安と恐怖が伝染していく。

 校庭での異常を感じ取ったのか、校舎の方でも悲鳴が上がり始めている。



 本能に従い、逃走を選ぼうとした悟は、ある光景を見て足を止めてしまった。



「あ、あ……」



 日常からあまりにもかけ離れた状況に腰が抜けたのか、一人の女子生徒が立ち上がることができずにいた。

 そんな彼女を魔獣は次の標的に選ぶ。生徒の腹部に刺さった槍を引き抜き、近づいていく。



 不謹慎ではあるが、その女子生徒がただのクラスメイトであれば、悟は罪悪感に苛まれながらも、無視して逃げていただろう。

 しかし魔獣に狙われているのは、女子生徒は幼馴染の恵梨香であった。



『――お兄ちゃん』



 この状況だというのに、悟の脳内には少女の幻聴が響く。

 一秒が永遠に感じられて、何度も何度も。



『――お兄ちゃん。助けて』



 あの時のように、知り合いが死ぬのは御免だ。

 無力な自分ではいたくない。



 悟は錆びつていた喉を震わせて、大声で叫ぶ。



「来てくれ! 妖精!」

「――呼びましたかな!?」



 悟の呼びかけに応えて、昨日出会った妖精がどこからともなく現れる。



「――僕と契約してくれ!」

「――なっ!?」



 大事な者を守るために、男としての尊厳を捨てることになってしても。

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