第5話 票擬 Piào nǐ と 批紅 Pī hóng

 宣徳帝は永楽帝が残した問題にじっくり向き合い、また自身の時間を確保するためか、側近宦官に大きな権限を与えた。のちに私も大いに利用した権限ゆえ、ここは丁寧に説明しておくべきだろう。


 連日、皇帝当てに膨大な奏上書が送られてくる。全国から、また外国から。内容は実に多様だ。文武官任免罷免の許可。法整備。財政報告書に地方行政官の報告書。宮中行事や外交日程の確認。科挙や文化事業に関するもの。インフラ整備に関するもの。皇帝直属の諜報機関・東廠とうしょうの報告とそれに付随する刑罰に関するもの。陳情や弾劾もある。


 表紙に表題が書かれた上奏文は盆に乗せられ、まず文淵閣の「内閣」へ回される。内閣大学士が数人と相談役がいる。全員が尚書(官僚最高位)クラスの人物で、諸事に精通した政治家だ。目から鼻に抜ける才覚、一を聞いて十を知る知見、これぞ鬼に金棒。位は正二品。紫禁城内ですれ違うさいは、宦官も宮女も壁に退いて礼をする。


 彼らは上奏文を精読し、陛下が裁可しやすいよう参考メモを作る。メモを票擬ピァォニと呼ぶ。「返答はこのようになさいませ」という例文だ。これが永楽帝が設けた「票擬制」だ。


 表紙に票擬を張った上奏書は再び盆に乗せられ、司礼監文書坊の宦官によって内廷、すなわち後宮に運ばれる。内廷の皇帝はたいてい乾清宮の寝所に近い執務室か、御書房でそれらに目を通す。あらかじめ提案されたメモに異が無ければ、皇帝は朱墨で「OK」と一筆入れるだけ。

 正式に裁可された奏上は再び盆に乗って、司礼監の監督の下、各官庁やしかるべき相手に戻っていく。ちなみに皇帝の朱墨が入ることを「批紅ぴーほん」と言う。


 その「批紅ぴーほん」を司礼監の太監たちに大量代筆させたのが宣徳帝だ。彼は勅旨で側近宦官にこの大権をゆだねた。永楽帝が遺した戦後処理と国家財政向上のため、事務処理はさらに膨大になっていた。


 当時は司礼監掌印太監一名と秉筆随道太監へいひつずいどうたいかん数名が、票擬ピャオニ付き奏上の内容を全て把握し、整理し直した。さらに秉筆随道太監の中で陛下のお気に入りが東廠長官を兼ねるため、機密情報を元に協議し、別案を票擬ピァオニに添えることもあった。それ専用の協恭堂という部屋まであった。時には太監が出す別案が採用された。こうして司礼監はもう一つの「内閣」になり、堂々とまつりごとに参与していた。


 金英も興安も奏上文の最後に朱墨の筆を入れたのだ。彼らと宣徳帝の距離は、朝臣たちより近かった。そう、朱祁鎮と私のように。


 この制度には落とし穴、いや、応用範囲の広さがあった。私はそれに気付いた。

 宣徳帝が自ら批紅ぴーほんするのは、一日に十通前後で、あとは秉筆随道太監たちが朝から晩まで皇帝代筆を行う。

 総監督は掌印太監一人のみ。ゆえに陛下に出す十通の奏上を恣意的に選ぶことも、残りの批紅ぴーほんを自在に裁可することも出来る。

 金英たちは考えもしなかっただろうが、この王振は気付いてしまったのだ。

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