朝八時の通学路
「……あっつ」
七月の空は、憎たらしいほど澄んでいた。通学路の路側帯から、おれは濃い青をした空を睨みつける。あんなにデカい入道雲があって、なんでこんなに日差しが強いのかわからない。監督の体調不良で朝練が休みだったのは不幸中の幸いだろうか。
夏服のYシャツで覆われた背中に汗が伝わるのがわかる。気休めにと、右肩を覆うようにしてスクールバッグを担ぐ。
「こんな日でも登校しろとかさぁ──……死ねって言ってるよーなもんじゃない?」
気だるげに隣を歩く幼馴染が、可愛くない声でそう呟いた。こいつはいつも変わらない。自分より頭ひとつ低い顔に目をやると、普段から悪い目つきが更に凶悪性を帯びていた。苛立ちが足取りに出てんのか、普段より大袈裟にツインテールが揺れる。
「
「持ってたとしても
遠回しに不所持を伝えると、内村はあっっそ、と無駄に溜めたのち吐き捨てて、視線を前に戻した。
……汗拭きタオルなら持ってるけど、拭いた後のタオルをおれに押し付けてくるのが目に見えているので黙っておく。
夏は光が強いから、何もかも眩しく見える。通学路沿いにあるデカい家の白い壁も、電柱に巻き付いた歯医者の看板も、脳ミソ溶けそうとぼやくこいつの首筋も。塀際に立てられたカーブミラーが嫌がらせかってぐらい太陽光を反射して、おれは反射的に目を伏せる。
「あーもう無理! アレ買っちゃお」
突然内村が天を仰いだかと思えば、我慢の限界だーって感じの声色でそう叫んだ。おれが視線を向けるが早く、数メートル先にある自動販売機まで走り出す。考えるまでもなく内村がしようとしていることを察したおれは、遠ざかっていく背中に呆れ半分で呼びかけた。
「まぁたかよー。金欠なんじゃねーのー?」
うっさい、と声を荒げながら、内村は慣れた手つきでスクールバックから財布を取り出す。この間ゲーセンで「超かわいい、絶対カバンに付ける」とか何とか言いながら掴み取ったぬいぐるみキーホルダーが恐ろしく乱雑に引っ張られてるさまを、おれは哀れみの目で見ていた。
そうこうしている間に、自動販売機からゴトン、という音がして、土埃で汚れた取り出し口からレモンソーダが現れる。
「はーっこれこれ! もーこれがないと生きていけないわぁ」
水色と黄色が特徴的なパッケージを施されたペットボトルを取り出して、内村が顔を綻ばせる。そうこうしてるうちに追いついたおれの隣に並んで、また歩き出した。
満足気な内村を横目で眺める。細っこくて生白い指がキャップに絡みついて、ほどなくして
プシッと鋭い音と一緒にボトルの中で泡が込み上げて、すぐに立ち消える。海みたいだなぁ、と思ったけど、きっと共感されないから何も言わなかった。
「っはぁ〜! サイコー! 学校の蛇口から水の代わりにこれ出さない?」
「ははは、小学生か」
そう嫌味を言ってみたが、炎天下の炭酸に酔いしれるのに忙しいのか無視された。ちょっと面白くないのでちょっかいを出してみる。ずいと手を突き出すと、冷たいペットボトルに頬ずりしていた内村がこちらを向いた。
「おれにも一口」
「はぁ? 飲みたいなら自分で買ってよね」
内村は眉を非対称に歪めて、突き出された掌を避けるようにペットボトルを遠ざけた。言ってるうちに本当に飲みたくなってきたから、背後を親指で差しつつ食い下がる。
「自販機通り過ぎたし。一口以上はいらないんだよ」
「じゃあ金払いなさいよ」
「……前ジャージ貸してやったじゃん」
「うっ」
「おまえの部屋のゴキブリ逃がしてやったし」
「う……」
「あ、先週ゲーセンで建て替えてやった」
「うぅ………!!」
心底嫌そうな顔をした内村がレモンサイダーを突き出してきた。してやったりという顔で「さんきゅ」と呟きながら、レモンサイダーを口に運ぶ。
縁へ口をつけた瞬間に感じた、レモンでもサイダーでもない味をなるべく意識しないようにして、口内へ流れてきた弾ける液体をごくりと飲み込む。炭酸の刺激が引いて、喉に甘ったるさがへばりついた。
「っは。……ん、相変わらず腐った廃油の味がするな」
「ンじゃあ廃油飲んどけばぁ!?」
そう叫んだ内村がおれの手元からレモンサイダーをひったくった。てか腐った廃油飲んだことあんのかよ、と悪態をつく内村の隣を、一台のチャリが通過した。
「犬飼おはよー!」
「ん、おはよ」
自転車に跨ったクラスメイトが、おれ達を抜き去っていく。角を曲がって見えなくなったあたりで、いつのまにか唖然としていた内村が口を開いた。
「……何あのイケメン!?」
袖を掴まれて詰問されたおれはしばらくキョトンとして、そういやこいつが試合見に来たのはアイツが怪我した直後だったな、と思い出した。
「誰って、サッカー部の吉田……あふっつーに彼女いるからな? 残念なことに」
「チッ……」
彼女持ちであることを知るや否や秒速で悪態をついた内村を愉快に思いつつ、言葉を続ける。
「ちなみに彼女はお前と同じ一組の松村サンね」
「はぁ!? 何それ聞いてないんだけど!?」
聞いてないからじゃね? という雑な返答は無視された。ぶわっと空を仰いた内村が、柄にもなく甲高い声をあげた。
「いいな~あたしも早くイケメンの彼氏作りた~い」
「ははは、声きも。誰だよ」
ディズニープリンセスでも気取ってんのか、両腕を広げてくるくる回る内村。
「それでこんなのと登校しなくてもいいようになりた~い」
「はっ、一生無理だな。明日世界が滅亡するってほうが現実味あんじゃね」
低く作った声でせせら笑うと、内村は上向けた顔をおれの方へと倒した。あまりに聞き慣れた軽い声が、おれの横顔へ向けられる。
「あ、わかった。嫉妬してんでしょ」
喉に針が刺さったような感覚がした。喉元に溜めていた息がぜひゅ、と不格好な音を立てて抜けていった。返そうと思った言葉がぜんぶ吹っ飛んで、危うく足が止まりそうになる。
「あたしの方が先に
「――――っは、あはははは!! 言っとけおまえ!」
努めてデカくした声で笑い飛ばしながら、急に熱を帯びた首の血管をそれとなく掌で冷やす。
「言っとっけどおれ告られたことあるんだわ!」
「はぁッ!? ……どうせサッカー部って肩書しか見てないからソイツ! きっとその女チンパンジーでも惚れる」
「サッカーできるチンパンジーはまた別個の魅力があるくね?」
心底苦々しそうな声でまくしたてた内村に率直な感想を告げたが、聞いちゃいないらしくフンっと腕を組んだ。まるで自分が優れていることでも誇示するように、すたたと俺の前へ躍り出て、小さな胸を張る。
「……まっ、せいぜい油断しないことね。すぐその喉元噛みつきに行くから」
やたら凶暴性な物言いに犬か、とツッこもうとしたが、ふと悪戯心が浮かんで口を閉じる。中指についた汗をそれとなく拭いて準備を整えたあと、おれの前を歩く小さな背中に呼びかけた。
「
「──んー?」
油断しきって無防備に振り向いた内村の額を、おれのデコピンが直撃した。
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