第23話

若菜は詰問するタイプではない。ある程度、男の付き合いというものを重視してくれている。

いつもより段違いに空いている車内。

椅子に座り、窓の外を眺めた。

曇り空だ。

やはり、連絡の一つでも入れておくんだった。きっと、心配している。

多少、辻褄の合わないところがあっても、若菜は見逃してくれるだろう。鷹揚な女だ。

いつもと変わらない佇まいの我が家。

エントランスを通り、鍵を開けた。足を忍ばせ、リビングへ向かう。自分の家なのに、自分の家ではないような緊張感。

リビングに若菜の姿はなかった。風呂場や庭、二階の寝室をのぞき込む。

誰もいない。

もしかしたら、若菜も外泊をと都合主義な妄想が浮かぶ。

「あなたー?」

玄関から声がした。

木野は急いで階段を降りた。若菜の顔を見た瞬間、謝罪の言葉がこぼれ落ちる。

「すまん。連絡をしようと思ったんだが、充電が切れてしまって」

「あら、そうだったの」

若菜の手に青空市場の袋が掲げられていた。ネギの青い葉が袋から飛び出ている。

しまった。

「ご飯は?」

「食べるよ。その前にシャワーを浴びてくる」

「ん」

木野は脱衣所の鍵をかけると、脱いだスーツの匂いを嗅いだ。

舞衣の、女の匂いがしないか確認する。

スーツを小さく丸め込み、クリーニングへ出す袋に放り込む。

シャンプーやボディソープの量をいつもより多く手にのせた。舞衣の気配を消すために。

その一方で、舞衣のことを心配している自分もいる。早く風邪がなおるようにと。

「こんなに大きな生姜があったのよ」

キッチンに立つ若菜は掌サイズの生姜を木野に見せた。

「本当に大きな生姜だ」

普段なら、ただの会話だが今日は違う。

若菜は昨夜の外泊を本当に何とも思っていないのだろうか。いつもと変わらない様子だが、その顔を鵜呑みにしても良いのだろうか。

携帯の電源を入れたら、大量のラインや着信が届いているかもしれない。

「次は一緒に行こうな」

青空市場は月2回。各週の土曜日に催される。約束をしているわけではないが、市場のある日は二人で食材を買い込むのが流れとなっていた。

「うん。そうね」

食卓には生姜をふんだんに使った朝食が並べられていた。

若菜は料理が美味い。

結婚の決め手となった理由の一つだ。

朝食を取っているなか、若菜に昨夜のことを聞かれることはなかった。

舞衣と出逢ってから、俺は変わった。平日の帰りは遅くなり、無断外泊をするようになった。だが、若菜は変わらない。何も変わらず接してくれる。

自室に戻り、携帯の電源を入れた。

若菜からの連絡は皆無。

何もきていなかった。

全て杞憂。

がらにもなく、寂しく思う自分がいる。

なんて身勝手なのだろう。

木野は一人、苦笑した。

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木野は会社を出ると、コンビニへ向かった。栄養剤と軽食を買い、足早にタクシーを拾う。腕時計を確認し、せわしない振りをした。誰に見られているわけでもないのに、妙に芝居がかる。

舞衣は体調不良で会社を休んだ。だが、舞衣が居ないからといって、誰にも負担は掛からない。部署は、普段通りに動いていた。

木野はプルミエール御影の前でタクシーを降りた。中に入り、903を押す。

すぐに扉が開き、上へ向かった。

9階の景色は見慣れたが、簡素な柵に慣れることはないだろう。木野は柵と一定の距離を取りながら、舞衣の部屋についた。

「秋吉様、今日も来てくれるなんて嬉しいです」

扉が開くやいなや、舞衣が木野に飛びつく。

「本当は昨日も来たかったんだが」

謝罪の言葉は出てこない。主が奴隷に謝ることに抵抗がある。舞衣も望んではいないだろう。

「大丈夫ですよ。ありがとうございます」

木野は舞衣の首元に触れた。

微かに熱いが大分よくなっている。

木野は部屋に入ると、舞衣に上着と土産を渡した。舞衣は礼を言いながら冷蔵庫に向かう。木野はその姿を見ながらネクタイを緩め、ソファに腰をおろした。舞衣が落ち尽きなく木野の足下に座る。

「秋吉様」

物欲しげな上目遣い。

「なんだ?」

舞衣は立て膝になり木野の腰に手を回した。

「合コン、行ってきてもいいですか?」

腰に巻き付く手が一瞬にして、煩わしくなった。

反射的に怒りがこみ上げる。

俺がどれだけ心配していたか。

自由な奴だ。

こいつの思考回路は理解に苦しむ。

木野は足を組み、下に座る舞衣をどかした。

「お前の正装はそれか?」

上下スウェットの舞衣が困惑している。風邪だったのだからしょうがない。俺のことを気にする余裕もないのだろう。

なのに、合コンに行こうという気力はある。

自分の態度に憤怒が表れているのがわかった。隠す気はないし、隠す必要もない。

木野は触れようとする舞衣の手を強く振り払った。

「合コン、行きません」

舞衣が俯きながら呟いた。

だが、もう遅い。

舞衣はスウェットを脱ぎ、裸になった。治りかけといっても風邪だ。かわいそうに。馬鹿な女だ。

舞衣は床に正座をしなおした。自発的に腕を後ろに回している。主人の機嫌を損ねた代償は大きい。

「全部持ってこい。遊んでやるから」

「はい」

舞衣が越してきてから、玩具置き場であるレンタルスペースは解約した。鞭や枷、猿ぐつわ、首輪、リードなどは今、全て舞衣の部屋にある。

舞衣はクローゼットの一番上にある白い箱を取り出した。収まりきらない鞭が飛び出している。袋から出たネギが連想されたが、裸で両手を掲げる舞衣の後ろ姿を見て、忘我の境に浸る。襲いたい衝動に駆られた。両手を縛り上げられた下半身は無防備だ。

あの尻を叩き、掴み、噛みちぎりたい。

手に力が入り、奥歯が軋む。

あの尻も奥にあるアナルや膣も全て俺の物だ。湧き出る情動を抑えるため、深く呼吸をした。

すぐに終わっては楽しめない。

少しずつ、少しずつ奴隷に教えていく。

木野は箱から首輪を手に取った。

「秋吉様」

不安げな声が耳に心地良い。

「なんだ?」

「引っ越して来てから、秋吉様と頻繁に逢えるようになりましたよね」

木野が「あぁ」と相づちをうつ。

「秋吉様への気持ちがすごく大きくなってしまって」

木野は舞衣の首に輪を回した。

「だから辛いんです。奥様のいる家に秋吉様が帰っていくのが。耐えられなくなってるんです」

「だから、他の男が必要か?」

きつめの穴に金具を通す。

「俺は妻と奴隷を比べたことはない。お前だって彼氏と俺は違うだろう?」

「そうですけど。でも、やっぱり嫉妬はしちゃうんです。嫌なんです。家に帰る秋吉様を気持ちよく見送れないんです。悲しくなるんです。寂しいんです」

「舞衣」

名前を呼ばれ、振り向く舞衣の顔を殴った。体勢がくずれ、床に倒れこむ。後ろ毛を掴み、強引に体勢を正す。もう、一度殴った。

舞衣が震えている。

平手じゃないのは初めてだった。

行為はエスカレートするもの。

いつまでも同じでは芸が無い。

熱のせいか、怯えているのか。殴った方の目に涙が浮かんでいた。

この顔を見ると、どうも加虐心が抑えられない。

木野は鞭を手に取った。その場に立ち、床に座る奴隷との差を見せつける。

鞭の痛みを思い出したのだろう。舞衣は木野の足に縋り付いた。太ももで足を挟みこみ、股間を擦りつける。盛りの付いた犬のように。

「汚れるからやめろ」

首を振りながら「それだけは」と泣きつく背中に鞭を与える。振り降ろされた鞭は風を切り、刹那的な音を鳴らした。

叫びながら、背中が反りあがる。

「声、でかすぎだろ」

涙が舞衣の頬につたう。

「まだ一回だぞ」

「わからないけど、でちゃうんです」

でちゃうという言葉が性的だった。こういう一言が俺をかき立てることをこいつは知っているのだろうか。

「じゃぁ、もっと出してやるな」

寄り添うように言いながら、鞭を振り上げる。

「本当に痛いんです。許してください」

舞衣は床に頭を擦りつけた。

「本当に嫌がっているのは十二分に伝わってる」

舞衣は顔を上げなかった。この後の台詞が自分に取って都合の悪いものとわかっているのだろう。大分、俺の事をわかっている。余計な優しさは必要ないし、持ち合わせていない。

「両手を前に出せ」

舞衣は伏せながら、指示に従った。微弱に震える手を見て木野が口角を上げる。

「煽ってるのはお前だよ」

木野は足で両手を踏み、床に這う舞衣に鞭を打ち込んだ。

連続で10打ぐらいしただろうか。ばたばたと下品に動く裸体は小さくなったまま動かなくなった。

木野は足を退けた。

「そんなに痛かったか?」

舞衣が力なく頷く。

「デンマと鞭、どっちが苦手だ?」

どうしたら逃れられるのか。どうこたえても、既にこたえは決まっている。

「どっちも…どっちもこわいです」

「じゃぁ、両方だな」

絶望を叩きつける。

舞衣は床に仰向けになり、両足を開いた。剥き出しのクリトリスに自ら、デンマを当てさせる。電源を入れた瞬間、舞衣の身体にもスイッチが入った。喘ぐ声が既に絶頂。頭の先から爪の先までピンと張り、全身に力が入っているのがわかる。

手マンじゃ、こうはいかない。

「お前の声、隣にも聞こえるんじゃないか?」

木野は窓を開けた。

「だめっ…ほんっとに…」

「声を出さなければ良いだけだろ」

木野は床に落ちているパンツを舞衣の口に押し込んだ。さっきまで舞衣が履いていたものだ。

「落とすなよ」

舞衣が頷く。

まだ、余裕がある。木野はデンマを握る舞衣の手を押さえつけ、さらに圧を加えた。身体に響く振動がさらに強くなる。

「少しでもずらしたら殴ってやるからな」

喘ぐので精一杯なのだろう。返事をすることができなくなっている。

木野は舞衣に馬乗りになった。両腕を足で押さえ込み、快楽に耐える舞衣を上から見下ろす。

相変わらず舞衣は横を向く。汗を掻いているのだろう。額や顔、首筋に髪が張りついている。首筋の血管が浮き出て、それはそれで見応えがある。

理不尽に制圧された舞衣は奴隷そのもの。

奴隷は今、この瞬間にも刺激に押しつぶされている。

一分、一秒が長く、耐えがたいものだろう。苦悶の表情。快楽を通り越し、拷問の域に達しているのではと思う。

しばらくして、舞衣の口からパンツが外れた。同時に、デンマを離したが見過ごすことにした。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」

永遠に繰り返される謝罪。

壊れたロボットに謝られても嬉しくない。謝ればこっちが興奮すると思っているのだろうか。

木野は舞衣を殴った。

「お前は誰の物だ?」

「秋吉様のです!秋吉様の物です!!」

いきなりの声量。

本当にバグった機械。

「お前の喜びはなんだ?」

「秋吉様に喜んで貰えることです!!」

まるで軍隊だなと笑いがこみ上げる。

壊れた振りか?

それとも、追い詰められたがゆえの回避か。

木野は舞衣から降りた。

「舞衣」

舞衣は身体を起こし、木野を見据えた。ぼんやりとした目は焦点があっているのか、わからない。

「俺はこうすることでしか愛せない」

「はい」

舞衣がゆっくりと頷いた。

「こうすることでしか、お前を安心させられない」

舞衣のピントが少しずつ、戻っていく。

表情に水が与えられていく。

全てを悟ったように舞衣が微笑んだ。

「秋吉様」

「なんだ?」

「私、こんな風にしてくれる人をずっと探してたんです」

意思を持った目が木野を見つめた。

「自分の考えなんか、いらない。頭の中も秋吉様と同じになりたい」

言葉に強みが増してくる。

「調教されるほど安心できるようになります。だから、もっとたくさん酷いことしてください」

木野は舞衣を抱き寄せた。

「お前は俺の言うことだけを聞いていればいい」

「はい」

舞衣の手が木野の背中に触れる。

「秋吉様」

「なんだ?」

「私達、身体以上の関係がありますよね」

愛しい。

俺は、こいつが愛しくて堪らない。

舞衣はどんな顔をしているんだろう。

きっと、満ち足りた顔をしているに違いない。俺と同じように。

「携帯、持ってこい」

「えっ」

舞衣は木野の腕に絡ませていた手を放した。

この命令をすると舞衣は必ず驚く。正直、気に入らない。常に俺を意識していれば携帯なんて、すぐに渡せるだろう。

舞衣はソファから手を伸ばし、バッグから携帯を取りだした。

「実はケースを買い換えたばかりなんです」

言われてみれば確かに違う。水色のケース。

「引越祝に小さなケーキ買ってきてくれたじゃないですか。そのときの包装紙の色に似てるなって思って、かえちゃいました」

握りつぶしたケーキを舐める舞衣を連想した。

「美味かったか?」

「はい、とっても」

木野は手帳型のケースを開いた。携帯にロックはかかっていない。なくしたときのことを考えていないのだろうか。俺とのやりとりも露出する可能性があるというのに。

木野は苛立ちを感じながらラインを開いた。

携帯越しに不安な表情の舞衣と目が合う。

「なんだ?」

「何を見ているのかなって思って」

何もこたえず、一番上にあった犬のアイコン女とのトークを見る。くだらない会話が繰り広げられていた。よくわからないところで、盛り上がっている。世代だろうか。意味がわからない。合コンの話が出てきた。確かに、舞衣から誘ったわけではなさそうだ。

まぁ、いい。

「ロック掛けとくな」

「私、そういうの忘れちゃいそうで」

「19760209」

「あっ…えっ…」

舞衣の目が泳ぐ。

「俺の生年月日。覚えておけ」

「わかりました。すぐに覚えます」

舞衣が姿勢を正した。

「十回言っとけば覚えるだろ」

「はい。えっと…何でしたっけ?」

本当に馬鹿だ。すぐに覚えられなくても無理はないが、なんというか受け答えが馬鹿だと思う。

「1976年2月9日。目を瞑って、繰り返しとけ」

舞衣は言われたとおり目を閉じた。

「1976年2月9日、1976年2月9日、1976年2月9…」

なぜか指も動いている。

思ったよりも遅い10回だった。

目を開けたところで、舞衣に携帯を返す。

「GPSも入れといたから」

「えっ」

舞衣が画面を見る。マップの上に〝舞衣〟の文字が浮いていた。場所はプルミエール御影。舞衣の現在位置だ。

木野は自身の携帯を舞衣に見せた。まったく同じ画面が表示されている。

「これからは、いつでもお前を監視できるな」

「監視ですか?」

「あぁ、嬉しいだろ」

動揺している。さすがに拒まれるか。

「やっぱり、合コンのことが気に入らなかったですよね」

「それは関係ない。GPSは前から考えていたことだ」

「そうなんですか?」

「あぁ」

「嬉しいです。秋吉様」

普段は対等に扱ってほしいというマゾには辟易してきた。ベッドの上だけ虐めて欲しいなんて意味がない。心底、俺を敬い、忠誠し、身も心も俺に支配される女。そして、それを喜びとする女。宮内舞衣は俺が探し求めていた女だ。

「監視されたいよな」

「はい、ずっと見てて欲しいです。食事もトイレも寝るときも。あとお風呂も。なんだったら、監視カメラもつけて」

予想を上回る回答に笑いがこみ上げる。

木野は顔を伏せた。

「えっ…どうしたんですか?」

「なんでもない」

「それならいいんですけど」

「合コンには行っとけよ」

「私の中では行かないことに決めたんですけど」

「お前の意見は関係ない。彼氏ぐらいはつくっておけ」

「だけど」

「俺には妻がいる」

一瞬で、舞衣の表情が曇った。

「いきなり、そんなこと言わなくても」

今にも泣き出しそうだ。

「奥様としたりしてるんですか?」

「しない」

舞衣の顔が綻ぶ。

「お前に彼氏が出来ても、貸出してるぐらいにしか思わないから安心しろ」

「貸出ですか?」

「あぁ」

木野は頬杖をついた。舞衣の視線が木野の左手に向かう。

「まだ残ってる。日焼け跡」

木野が自身の手を見る。掌と甲を交互に見比べた。

「だいぶ、薄くなっただろ」

舞衣が木野に抱きつく。隙間がなくなるほど身体を密着させてくる。舞衣の髪が顔に触れた。

「大好き」

舞衣は木野の左手を持ち、満足そうに見つめた。

「そういえば、お前の誕生日はいつだ?」

「誕生日ですか…?」

しぶる舞衣を見て、木野は鞭を手に取った。だが、余力は残っていない。見せかけの鞭。

「実は先週だったんです」

「どうして、言わなかった?」

鞭で舞衣の頬を軽く叩く。ペチペチと気の抜ける音が鳴った。舞衣の腰がくねくねと物欲しげに動く。

「プレゼントをねだっていると思われそうで。秋吉様って、自分から誕生日を言う女って嫌いそうじゃないですか。だから、言えませんでした」

「まぁ、一理あるな」

「やっぱり、そうですよね。言わなくてよかったです」

奴隷は本当によく主を見ている。

「欲しい物はあるか?」

「欲しい物ですか?」

「あぁ」

少し間をあけて、舞衣がこたえた。

「あえていうなら、檻ですかね」

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