甘美な蜜は私を堕とす
西門いちほ
第1話 愛奴隷求む
愛奴隷求む
時雨 都内在住 四十五 独身 男
身体の関係よりも、主従関係を重視します。主を尊敬し慕い、服従することで幸せを感じられる方。(未経験の方でも大丈夫です。そうなるように導きます)
奴隷を最初に飼ったのは二十二歳。四年続きました。以降、短期間で終わっております。もう、探すのは疲れました。一生、可愛がれる奴隷。最後の愛奴隷を求めます。
24時間365日休みなしで放送し続けている通販番組ShoppingTV。独自のチャンネルを持つSTVは食料品・衣類・清掃用品などの生活必需品はもちろんスポーツ用品・ペット用品・バラエティグッズまで家から出ることなく全ての品を電話一本で注文できる。
テレビ番組を軸に販売を行ってきたSTVだが、インターネットやスマートフォンの普及に伴い、ウェブサイトやアプリなど媒体方法も多岐に渡るようになった。時代の波に乗ったSTVは都内に在る本社を筆頭に、支社は全国に広がった。社員への手当ては厚く、STVに入社したと言えば、親は手を叩いて喜び、友人は羨望のまなざしをおくった。そして、女は目の色を変えた。
湾岸沿いの埋め立て地にある全面ガラス張りの低層ビル。昨年、建てられたばかりの自社ビルは、正面玄関の頭上にSTVの文字が大きく掲げられている。
1階は撮影スタジオと演者の楽屋。旬のゲストが来たときは窓の外に人が集まることも少なくない。2階はオペレーターが24時間待機。昼夜問わず注文を受けている。3階は社員食堂と会議室。4階は紙媒体である週刊STVの制作部。5階と6階は関東エリアのWeb制作を中心に動いている。
木野秋吉は太陽に照らされた海を背に、コーヒーを飲んだ。
読み終えた書類をデスクに置き、目頭を押さえる。老眼が進んでいた。実年齢よりも若く見られる容姿だが、身体は間違いなく老いている。
三十半ばからジムに行くようになった。週末は必ず。平日でも早く帰れたときは寄るようにしている。高身長で痩せ形。昔は、スタイルが良いとよく言われた。足や腕の細さは変わっていないが、最近、腹に脂肪がつく。食事量も運動量も何一つ変わっていないのに。ベルトの穴が一つ増えたのは刺激が足りないせいだろうか。
月に一度のペースで髪を切りに行き、週末はパックを使用する。服は値が張っても気に入れば購入。靴は毎日磨き、少しの汚れも許さない。服が整っていても靴が汚ければ、そうゆう人だと思われるからだ。
面長の顔に存在感のある鼻。控えめな目は歳をとると共に目尻が下がってきた。笑い皺は濃くなり、垂れ目の印象が強い。近頃は怒ることもなくなり、しゃべり方も柔らかくなった。総じて、木野秋吉の印象は〝小綺麗で優しい上司〟となっている。木野はまんざらでもなく、他者からの評価を気に入っていた。
時計は一時を指していた。
木野は「もう、こんな時間か」と独り言を吐き、外へ出た。
立っているだけで汗が滲む真夏日。折り目のしっかりとしたハンカチをポケットから取り出し、額の汗を抑えた。海から流れてくる潮風がじんわりと身体にまとわりつく。嫌な暑さだ。木野は蕎麦屋の前で立ち止まった。いつも行列ができているのに、今日はできていない。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
人の良さそうな中年のおばちゃん店員は4人掛けのテーブルに木野を案内した。席には木野しかいない。まだまだ昼時だ。こんな時間にいいのかと少し気まずく思った。
今では珍しい奥行きのあるテレビが店の角に置いてある。何人かいる客の視線は全員テレビに向けられていた。
「夜、寝ているときでも熱中症になります。エアコンをつけて、寝ることをお勧めします」天気予報士の男が話し終わったとき、速報が流れた。
―俳優の柏木利久が小学校に侵入し、下半身を露出しているところ、教師に取り押さえられ、現行犯逮捕―
「うわぁ…マジ?」
隣のテーブルに座っていた若い女が呟いた。思わず出たであろう独り言に「ほんとね」と店員が返す。
「今、やってるドラマどうするんですかね?」
若い女が聞いた。
「ほんとにどうするのかしらね。私、楽しみにしてたのに」
「私も!」と女のテンションは上がったが
「まぁ、でも、仕方ないですよね。これは、気持ち悪すぎ」と自らすぐに落とした。
「そうねぇ」と店員は同調し、嘆息した。
「でも、捕まってよかったですよね。こうゆう奴は刑務所から出てこなくていいですよ。小学生が可哀想すぎません?ってか、ロリコン?」
再び熱くなる客の対応に困ったのか、おばちゃんは周囲を見渡した。あっと思ったときには遅かった。木野と目が合う。
「お客さんも、そう思いますか?」
木野は戸惑いながら頷いた。
終わりよければ全て好しとは言ったものの、その逆もしかり。最後が駄目だと全てが駄目になる。蕎麦は美味しかった。行列が出来るのもうなずける。それだけでよかったのに。女の台詞が木野にわだかまりを残した。
「小学生の被害者が可哀想すぎません?」
女の言う通りだ。
でも、可哀想なのは被害者だけか?
忘れられない心の傷になる子もいるだろう。でも、最近の女は強い。何年後かには笑い話になり、あれは私の学校だったと武勇伝のように話す奴がほとんどじゃないだろうか。
逮捕された俳優は子供が性の対象なのだろう。だとすれば、今後、彼の欲が満たされることは許されない。この先ずっと。これは地獄じゃないのか。可哀想ではないのか。
第一線で活躍していた俳優人生を天秤にかけても、やめられなかった性癖。やめたくてもやめられない。己の癖に生涯苦しめられ、振り回される人生。満たされれば最後、警察は彼を追う。これは、地獄以外の何ものでも無いだろう。
木野は携帯を開いた。新しく作ったフリーアドレスのメールを確認する。新着が一件届いていた。
―初めまして。亞矢です。時雨さんの文章に惹かれて、返信しちゃいました。興味はあるんだけど、なかなか行動にうつせずにいます。でも、時雨さんなら優しく教えてくれそうって思いました。仲良くなれたら嬉しいです―
―――――――――――――――――――――
昼休み、社員は空いている会議室を利用してもよいことになっている。中野知美は壁に掛けてあるホワイトボードを見た。6部屋あるうち3部屋が使用中になっている。知美はマジックを取り、〝3ーC〟に使用中と書いた。
「海側じゃないけど、いいですよね」
「全然いい。ありがとう」
宮内舞衣は礼を言い、知美の後に続いた。
「前から思ってたんですけど、会議室って3階にしかないですよね。だったら、この3ーAとか3ーBの3ていらなくないですか?」
「わかる。わかる」と舞衣は頷きながら笑った。
知美と舞衣は半年前に派遣社員として制作部に配属された。知美は舞衣よりも2歳年下だが、歳がちかいこともあってすぐに打ち解けるようになった。
知美は目鼻立ちのはっきりとした顔をしている。ある人は綺麗といい、ある人は恐いといった。ストレートの長い黒髪と抜群のスタイルが相俟って、美人に拍車がかかっていた。一方、舞衣は耳に掛けられないほど短いショートカットで、Tシャツにジーパンを愛用していた。朝、身支度よりも朝食に重きを置くタイプで、効率を重視した結果今の風貌に収まった。
3ーCのドアを空けると、籠もった空気が二人を出迎えた。知美はすぐにエアコンをつけた。「あっつう」と言いながら椅子に座り、携帯をチェックする。
「舞衣さん!柏木利久が!」
知美は前のめりになり、対面に座る舞衣に顔を近づけた。
「柏木利久がどうしたの?」
「逮捕だって!小学校に侵入して、下半身を露出してたところ教師に見つかって現行犯逮捕!」
弁当を広げる舞衣の手が止まった。
「すごいね、それは」
「私、ドラマ見てるのに。代役とか萎えるんですけど」
知美は悲しい表情を見せながら、コンビニの袋からざる蕎麦を出した。
「CMも結構出てるよね。違約金すごそう」
「なんか凹むんですけど」
「好きだったの?」
舞衣が聞いた。
「みんな好きじゃないですか?嫌いな人、聞いたことないですもん。演技も上手いし、話も歌も上手だし。そして、この笑顔。完璧でしたよね」
知美は携帯の画面を舞衣に見せた。微笑む柏木利久がうつっている。誰もがとりこになる天真爛漫な笑顔。だけど、今となっては素直に見ることが出来ない。
「完璧じゃなかったね」
舞衣が言うと、知美は溜め息をついた。
「完璧を演じてて、おかしくなっちゃったんですかね?」
「どうなんだろう。もともとじゃない?」
「もともと変態ってことですか?」
舞衣が頷いた。
―――――――――――――――――――――
―トイレでしろ。写真も送れよ―
愛は便器の上で虚を突かれた。ここは会社。外からは話し声が聞こえてくる。こんな状況で出来るはず無い。
―今、外に人がいて無理―
すぐに返信が届いた。
―出来ないならいいよ―
そんなこと1ミリも思っていないくせに。
愛は嘆息した。命令を聞くしかない自分の立場を実感し、高揚していく。
ズボンとパンツを脱いだ。便器の蓋に脱いだばかりの服を置き、その上に右足を乗せる。性器が露わになった。右手の人差し指を舐める。奉仕している自分を思い浮かべながら、指を喉奥へと入れた。細くて物足りないのが本音。指を一本から三本に増やす。
一気に存在感が増した。
こうなると駄目だ。何も考えられなくなる。
リョウが気持ちよくなるのを想像して、懸命に吸う。
全てはご主人様のために。
もう片方の手は下へ。人差し指と中指で割れ目を開いた。喉奥の指を抜き、開いた穴へ入れていく。第一関節から第二。入れた指は円を描き、自ら刺激を与えた。
板一枚隔てて聞こえる話し声。拒む理由だったのに。今は羞恥心を煽る潤滑剤となっている。
いけないことをしている。
見つかったら洒落になんない。
わかってるのに。
それでも命令に背くことができない。
愛は声が出ないよう下唇を噛んだ。
首に掛けた携帯を取り、カメラを立ち上げる。中に入れた指が見える角度でシャッターを切る。
カシャ
音が出た。瞬間、血の気が引く。外の声が止まったような気がした。
でも、大丈夫。会話は続いている。
便器に座り、画像を確認した。
よかった。ちゃんと撮れている。すぐに送った。
―よくやった―
嬉しさよりも安堵の方が強い。虚無感に近いものもある。
下を履き、外に出た。そして、何食わぬ顔で、席に座った。
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