第10話 セレクション(第1週 各種素養試験)
境は自分でも難しい表情になっているのが分かった。
しかし、あいつが意味のないことを進んで行うとは思えない……今後も情報を集めるしかないだろう。
「……そうだな」
「それと、あんたの教育方針だが、数カ月も経てば大半が消えるのに、随分と丁寧な対応をしているらしいな」
境はテーブルに書類を広げながら、「リアリズムで考えてみろ」と緩く息を吐く。
「なるべく丁寧な対応を心掛けなければ、悪評が立つ。悪評は憶測を呼び、不信感を抱いた人間は教育に参加しない。公益通報があった日には、監査機関の立ち入りによる課目の見直しや、教育の存続が危うくなる」
「お客様扱いで勘違いされて困るのはこっちだし、本人のためにならないけどな」
苛立たしさを隠しもせずにペーパーを揃える新渡戸に対し、境は涼しい態度で書類を眺めた。
「優しさにかまけて受け身になる訓練達は、『意志薄弱』としてふるい落とす」
「それはそうとして、何で幹部まで面接に参加しないとならなくなったんだ?」
「クラスの担当官だけだと、評価に偏りが生まれるらしい。自分のクラスから修了者を出しても人事評価には繋がらないが、組織内で自慢するオフィサーもいるようだからな」
「ふん、つまらないプライドだな。俺達や今の期の修了価値は理解できるが、上になっている連中は肩書きだけの腐った教育時代しか知らないじゃないか」
「質より量の時代で、指導や課目も確立されていなかったからな。本人達もある意味、被害者だ。こうして陰口を言われるのだから」
五歳下の同期は、「このふざけた仮装はいつ外せるんだ?」と黒いフェイスマスクを忌々しく摘まみ、今にも剥がそうとしていた。
「『PM訓練』が終わってからだ——実家、帰ってるのか?」
「帰る時間なんてないよ。独り身だし……別に良いだろ」
ぶっきらぼうな捨て台詞に混じる、疲労の声音。
「俺が幹部になって変えてやる」——その言葉を聞いたのは、もう三〇年近く前になるだろうか……
妙な空気を払拭するために、境は「面接の時は隣に座っていれば良い。もうすぐ来るだろうから、採点だけしてくれ」と、採点用紙を新渡戸に渡す。新渡戸は腕組みの姿勢を解除し、ボールペンの頭を押して、用紙に目を通し始めた。
「——弾くのは、『大アジア主義者』か『ルサンチマン』だけで良いんだろ?」
「ああ。簡単に言えば、パターナル(権威主義)か右翼か、リベラル(自由主義)か左翼かを見抜くリトマス試験紙だ。戦前の地政学的失敗から逃げる大アジア主義者か、知識人に見えて不平不満で現場を混乱させるルサンチマンかを見抜け。モラトリアムにも満たない幼子ならともかく、成人後に中道など有り得ないというのがこのテストの見解だ。国益を追い求めるリアリストがなるべく欲しい」
「仮にやばい奴だとしても、これだけで原隊復帰する奴なんているのか?」
「周囲に悪影響を与えるほど、極端に思想が先鋭化していればな。よほどの人格破綻者か悪性のサイコパスでも無い限り、通常は金曜日までは保留にする」
「一人目は防衛大学校卒で、陸軍の精鋭部隊第1空挺団出身か、あんたと篠さんの古巣——いや、何でもない、悪かった」
「……もう時間だ、来るぞ」
境は腕時計を外し、表示面を自身に向けて、テーブルの上に置く。部屋に元々並べてあったテーブルと椅子は奥に寄せている。外の景色も覗けなければ、掛け時計もない。床を覆った灰色のカーペットにはいくつかの染みが作られている。それ以外は人的痕跡のない、殺風景な空間。白壁が室内灯に照らされ、じっと座っていたら眠くなりそうな環境だった。
一〇秒にも満たない沈黙の後、ドアが外側からノックされた。
「どうぞ、お入りください」
ドアレバーが動き、それなりに日焼けした青年が入室。青年は肘掛けの無いオフィスチェアの横まで前進するも、座ろうか迷っているようだった。
「どうぞ、掛けてください」
「はい、失礼します!」
若干、その場にそぐわない声量。着席後、クラスA4番鈴木訓練生は、両膝の上で拳を綺麗に握った。隣で書類を眺めている新渡戸からは、溜め息が聞こえてきそうだった。
この時点で、彼はこの教育の意図を見抜いて参加した人種ではない可能性はあるが……
境は面接用紙の採点項目にちらりと目を向ける。
各項目にはフローチャート方式で「主要質問」と「副次質問」がある。それらの下の段には「思想傾向」の欄が設けられていた。そこには左から順番に、
(ルサンチマン・リベラル・パターナル・大アジア主義者)
という単語が並んでいる。
中道はない。傾いていない人間など存在しないからだ。
国民の物言わぬ大衆(サイレント・マジョリティー)であるノンポリ層は例外かもしれないが、政治に無関心なスパイを育成するつもりはなかった。
これは、「健全な愛国心」を持っているか見抜く面接だ。
「——では、志望動機は送付して頂いた書類にも記載されていますが、この場でも簡単に『自身の言葉』で説明をお願いします」
「はい、自分は現代では情報戦が重要だと考えており、それを学ぶため、この課程教育に参加致しました。自分は、陸の——訂正します、陸軍の第1空挺団という部隊で、空挺レンジャー課程を修了して、部隊の中では小隊長の役職にも就いているため、そう言った意味でも、自分を試すためにも参加を希望しました」
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