第13話・捨て猫

 温め直したクリームシチューに、白身魚のムニエルとブロッコリーのサラダ。少し作り過ぎてしまったシチューは、明日にはドリアへと見た目を変えているはずだ。味噌汁以外の汁物は二人分だけを作るのが難しい。そもそも市販のルーのほとんどが四人分を想定しているのだから、作ろうと思った時点で翌日のリメイクの心積もりはできている。


 夫婦で関西へ赴任中の両親から数日前に送られて来た、地域限定のお菓子の詰め合わせ。それが入っていた段ボールの中で、子猫は「みーみー」と鳴きながら箱に爪を立てている。底に敷いてあげた古タオルは一瞬で皺くちゃにされた。かなり元気だ。


 白黒の八割れ猫みたいだが、捨てられた時の箱に新聞紙が敷かれていたせいで、白毛に印刷インクが付いたのか黒ずんでいる。汚れてはいるが嫌な臭いはしないから、きっと飼い猫が産んだ子なのだろう。長い尻尾はまだ毛が生え揃ってないみたいでヒョロヒョロしている。


 塾用のリュックをソファーの上に放り出し、佳奈は片時も子猫の傍から離れようとしない。帰ってからずっと箱の中を覗き込んでいた。リビングに佳奈の姿があるのはものすごく珍しい光景だ。


「飼っちゃダメって言われるかなぁ……?」

「どうだろうね」


 とりあえず、ご飯を食べようよと声を掛けると、名残惜しそうにしながらもテーブルにつく。食べ始めても、猫が鳴く度にチラチラと箱の方を気にして、いつもよりも落ち着かない。


「塾の帰りに見つけたの?」

「授業が始まる前に、同じクラスの男子が公園に子猫が居たって話してたの。三匹って言ってたのに、帰りに見に行ったら一匹しかいなかったけど」


 他の二匹は入れられていた箱から抜け出してしまったのだろうか。駅近くには飲食店のゴミを狙ったカラスも多い上、小さな公園で車道もすぐ目の前だから、チビ猫にとっては箱の外の世界は危険だらけ。非力で箱をよじ登ることが出来なかったあの子だけが、奇跡的に無事だったのかもしれない。


「多分、お父さんは大丈夫だと思うよ。昔、猫を飼ってたことあるから」

「そうなの?」

「うん、うちのお母さんが生きてた頃にね。白いオス猫だったんだけど、散歩に出ていったきり帰って来なくなっちゃった」


 近所のボス的な存在だった大きな白猫。外に出る度に喧嘩ばかりしていたらしく、血だらけの赤猫になって帰ってくるようなヤンチャ猫だった。喧嘩の末に野垂れ死にしてしまった可能性は高そうだけれど、問い合わせた保健所からも連絡はなかったから、真相は分からないままだ。


「お母さんは、ダメって言うかなぁ……今まで何も飼ったことないし」


 以前はペット不可の賃貸住まいだったから、母親の反応が全く予測できない。反対されたらどうしようと、佳奈はしょんぼりと落ち込む。


「猫が嫌いとかじゃなくて、アレルギーってこともあるからね。もしダメだった場合は、明日連れてく病院で相談しよ」


 佳奈もそこまで駄々をこねるつもりはなく、黙って頷いている。もし他に貰い手を探すにしても、ちゃんと獣医に診せる必要がある。近所の動物病院の場所を思い返しながら、愛華は鰆のムニエルを頬張った。


「あなたって子は! また、愛華ちゃんに迷惑かけることばっかり!」


 夕食後、ビデオ通話中の柚月の怒り声がスマホのスピーカーから響いた。キッチンで食洗機が稼働する音なんて物ともしない。あまりの剣幕に、おとなしく抱っこされていた子猫はビックリして爪を立て、佳奈の洋服に必死でしがみ付く。


 柚月の隣で「まぁまぁ」と落ち着くように宥めている修司は、愛華の予想した通りに反対する気は最初からないらしい。


「愛華ちゃんだって大学もあるんだし、本来なら佳奈の面倒なんか見てる場合じゃないのよっ。それなのに、今度は猫を拾ってくるだなんて……」

「ちゃんとお世話はするから――」

「当たり前でしょっ‼」


 娘の台詞へ被せるように、柚月が声を張り上げる。怒ったようなキツイ言い方に、やっぱりダメだったと落ち込みかけた佳奈は、一瞬目をぱちくりさせる。そして、母親の言葉を頭の中で反芻し、ぱぁっと顔を明るくした。


「え、いいの⁉」

「いいも何も、こうやって電話してきてるってことは、そっちではもう飼うつもりになってるんでしょ?」

「……うん」

「ちゃんと病院に連れて行って、予防接種と去勢手術は必ず受けさせるのよ。あと、室内飼いにして、絶対に外へは出さないこと」


 他にも猫飼いに必要なルールをツラツラと話し始める妻のことを、隣できょとんと眺めている修司の姿が画面の隅でチラついていた。


「柚月さん、猫は飼ったことあるんだ?」

「ええ、実家で。あら、言ったことなかったかしら?」

「なかったね。初耳」


 ビデオ通話越しの柚月の見解では、子猫は生後一か月半くらいだろうということだ。それくらいなら離乳も終わりかけているはずだし、飼うには問題ない。獣医に相談して必要な物を買い揃えなさいという母の言葉を、佳奈は子猫を撫でながら嬉しそうに聞いていた。


 妹達が電話を切った後、愛華はバイト先のコンビニへと向かう。子猫用のキャットフードのパウチとペットシーツも種類に限りはあるが店によっては販売している。それらが並べられた棚の前でしゃがみ込んでいると、夜勤バイトの北川優斗が「お疲れっす」と声を掛けてくる。


 夕方のバイトの時に交代で顔を合わせる程度だったから、先月までは全く知らなかったのだが、北川は学部は違うが愛華と同じ大学に通っている。学年は北川の方が一つ上だ。間食用のお菓子を買いに行った学内生協で偶然に会い、以降はバイトでも会ったら雑談するようになった。


「子猫っすか?」

「あ、お疲れ様です。チキンとまぐろ、どっちの方がいいと思います?」

「在庫いっぱいあるんで、まぐろで」

「なるほど。売れ筋はチキンか……」


 お勧めされたのとは真逆の商品を手に取る愛華に、北川が「なんでやねん」と突っ込んでくる。彼の出身が関西ということと、愛華の両親が今は大阪に赴任中だというのも親しみ易い理由なのかもしれない。ただし、彼の実家は大阪ではなく兵庫だけれど。


「妹がさっき拾ってきたばかりで、何を食べてくれるか分かんないんですよね」

「さっき拾ってきた⁉ それは急なことで……」


 北川の言う通り、本当に急にバタバタだ。一時間前には佳奈が塾から帰って来ないとハラハラしていたのに、今は子猫のフードを買いにコンビニに駆け込んでいるのだから。


 買い物からの帰り道、愛華は子猫が捨てられていた児童公園の周りで耳を澄ませてみた。一緒にいたという兄弟猫がまだどこかにいて、鳴いてないかと声を探ったが、見つけることはできなかった。

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