第12話・夢

 夢を見た。フワフワしていて白い夢。後で思い返せば不思議な夢だったが、なぜか既視感があるから、これまでも似たようなのを何度も見ているのかもしれない。


 そこには性別のはっきりしない存在がいて、愛華はそれが誰だかを知っていた。短い髪に細くて小さな手足。色白のその子よりも自分の方がとっくに大きくなっているのに、愛華はそれがお兄ちゃんかお姉ちゃんだと認識している。

 真っ白な空間はとても明るくて、眩し過ぎて。すぐ目の前にいるその子の顔はよく見えない。


「あの子はよその子。血が繋がってないから、妹なんかじゃないんだよ」


 その天使のような小さな子が、悪魔のような意地悪な声で囁いてくる。愛華が一番イヤな、冷たい言葉を。


「愛華はこれからもずっと一人ぼっち」


 咄嗟に言い返そうと口を開いてみるが、何の声も出て来ない。今、自分が何を言うつもりでいたのか、思い出すことができない。



 お隣の家の駐車場から聞こえてきた、車のドアを勢いよく閉めるドンという音に、愛華は身体をビクつかせた。ソファーに埋もれていた半身を起き上げると、伸びをしながらテレビ台の上に置かれたデジタル時計へ目をやる。


 時刻はもうすぐ二十時になろうとしていた。夕ご飯の支度が終わり、少し仮眠を取るだけのつもりだったが、ガッツリ寝過ごしてしまったようだ。とっくに佳奈も塾から帰ってきている時間。なのに、愛華がリビングで爆睡していたせいで、佳奈まで夜ご飯が食べられず、今頃は部屋でお腹を鳴らして我慢してくれているに違いない。


「佳奈ちゃん、寝ちゃってて、ごめんね。ご飯にしよー」


 いつものように階段下から声を掛ける。そして、佳奈が自室を出てくるのをシチューが入った鍋を温め直しながら待った。けれど、鍋が沸騰直前まで温まっても、天井からは何の物音も聞こえてはこない。


「もしかして、佳奈ちゃんも寝ちゃってる?」


 ここ最近は学校行事やテストが重なっていたから、佳奈も疲れが出てしまったのかもしれない。寝てるだけだったらいいけれど、もし体調を崩していたらと心配になり、愛華は二階にある妹の部屋をノックして、そっとドアを開いた。


 電気も点いていない真っ暗な部屋。窓際に置かれた学習机の横にはランドセルが引っ掛けられていて、壁のラックにはハンガーに掛けて制服が吊るされている。窓から入ってくる外灯の光を頼りに壁際のベッドへと視線を動かし、愛華は一気に焦り始める。

 朝に起きた時のまま、半分に捲られた掛布団の中に佳奈の姿は見当たらない。慌てて電気を点けて部屋の中を確かめてみるが、狭い五畳の洋室は無人だった。


「まだ帰って来てないの? え、今、何時⁉」


 机の上に置かれた佳奈の目覚まし時計は、とうに二十時を越えている。以前の校舎なら当たり前だったけれど、今は徒歩で行けるところに転校している。塾が終わる時刻と駅前からの距離を考えても、あまりに時間が掛かり過ぎている。


 勿論、授業後に講師に質問していたり、友達とお喋りしていたりして毎日きっかりに帰って来ている訳じゃない。でも、今までここまで遅くなったことは一度もないのだ。

 何かあったと考えるのが普通。嫌な予感が脳裏を横切っていく。


 佳奈の部屋を出て、バタバタと階段を駆け下りていくと、愛華はリビングのソファーの上に放置していた自分のスマホを手に取った。そして、事前に柚月から教えて貰っていた位置情報確認サービスのサイトを開く。

 佳奈は学校や塾へ行く時用にジュニア携帯を持たされている。そのGPSを追ってみれば今どこにいるかが分かるし、もしまだ塾に居るだけなのなら変に大騒ぎする必要なんてない。


「……ん?」


 スマホに表示された地図を見ながら、愛華は首を傾げた。今、妹がいるのは駅前にある塾ではなかった。地図上で佳奈の現在地として印がついているのは、駅前の大通りを抜けて、しばらく行った先の狭い児童公園。自宅への帰路でもあるし、今たまたまその横を通過しているところがGPSの精度のせいで公園内にいるように表示されているだけなのか……


 確認の為、愛華は繰り返し何度も位置情報を更新し直してみる。佳奈が移動していれば、地図上の印も動くはずなのだ。が、数十秒置きに表示させても佳奈のジュニア携帯が公園内から出ることはなかった。


 佳奈本人ではなく、携帯だけが公園に取り残されている可能性もある。なぜそんな状態になっているのかは、地図を見ているだけでは何も分からない。

 愛華は迷わず佳奈の携帯へと電話を掛けてみる。


「もしもし……」


 愛華の心配をよそに、四コール目で佳奈本人が電話口に出てくれた。怒らないよう、平静を装いながら話しかける。


「佳奈ちゃん、もう八時過ぎてるよ、何してるの?」

「……うん、あとちょっと」

「ねえ、今、一人でいるの?」

「うん」


 電話の向こうに人の気配は感じられない。本当に一人で夜の公園にいるみたいだ。でも、どうして?


 児童公園までは歩いて十分もかからない。迎えに行くべきか、それとも「もう帰る」という佳奈の言葉を信じて待つべきか。ソファーの周りをウロウロ徘徊しながら愛華が悩み続けている内に、玄関のカギを開ける音が耳に届いた。慌てて廊下へと飛び出し、玄関で靴を脱いでいる佳奈を出迎える。


「おかえりなさい」

「……ただいま」


 いつもよりもさらに小さな声で返事してから、佳奈は愛華と目を合わさないように俯いてしまう。遅くなったことを気にしているのかと思ったが、否、どうも様子がおかしい。出る時には被っていたはずのキャップを、なぜか大事そうに抱えているのだ。

 お気に入りなのか、よく被っているのを見かける空色のメッシュキャップ。佳奈が両腕で抱えているそれの中から、か細い鳴き声が聞こえているような気がするのは、一体どういうことだろうか?


「佳奈ちゃん?」

「公園で、箱の中で鳴いてたの」

「……捨て猫、かぁ」


 妹の腕の中を覗き込み、その小ささに驚く。まだ両手ほどのサイズしかない、薄汚れた白黒の子猫。目は開いているしバタバタと暴れているところを見ると、かなり元気そうには見えるけれど。

 佳奈の帰宅が遅くなった原因は、間違いなくこれだ。


「飼ったらダメかな。やっぱり……」

「んー……まず、佳奈ちゃんはご飯食べよ。お腹すいたでしょ? で、その子のことはお母さん達に相談してからね。とりあえず明日、学校から帰ったら動物病院に連れていこっか」


 とにかく佳奈が無事に帰って来たことで安心したからか、愛華のお腹がぐーっと大きな音を出す。それを笑って誤魔化しながら、バイト先で子猫用のフードも扱っていたことを思い出した。後で買いに行ってくるねと告げると、佳奈が嬉しそうな笑顔になる。


 新しい妹が猫好きだということは、今日初めて知った。さて、どうしたものか。

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