第31話 バアルのエスコート・覇

「……まさかこんなものが。ええ、とても美味しいです。魔界にはこんなものがまだ隠れていたんですねぇ」


 あれから古物商を巡り気に入った器なんかを買ったり、街のベンチで二人で座って静かに楽しく時を過ごしたり……そんな感じで一日を過ごした後、レストランに招待されました。


 ディナーですね。

 お昼は有名なパン屋のサンドウィッチを買ってベンチで二人で食べました。


 それもとても楽しいひと時でしたが……いまバアルから勧められた料理は尋常でなく美味しかったんですよ。

 なんというか、『新しい』んですよね。


 この世界は料理のレベル自体は現代日本と比べてもまったく劣るものではないんですけど、目新しいものがないんですよ。

 ですが、この料理は新しい味過ぎてびっくりしました。


「喜んでくれたか。嬉しいぞ。これは妾の時代にもあった料理なのじゃが、姫様は食べたことがないようじゃったからの。それでいて好みにも合いそうだから、この料理を提供しているレストランを選んだのじゃ。……良かったわ」


「バアルの時代から続いている料理ですか……ふふ、生まれた時代が異なる二人が、新たな時代において同じ気持ちを共有できるというのはとっても素敵ですね」


「そうじゃな。美しいことじゃな……むふふ」


 心地よい雰囲気が場に流れました。


 沈黙が場を満たします。自分でもポエマーだったかなと少し恥ずかしくなってしまいましたが、この空気は嫌じゃない。


 しかし、そこで爆弾発言が放り込まれました。


「そういえば、姫様はアーリデと恋仲になったのだよな。……それも、妾とデートの約束をしている間に割り込む形で。そこらへんはどうなっているのだ?」


 バアルは怒っているような表情を浮かべていますが、腹の底で笑いをこらえているようです。

 しかし、ここで安心してはいけませんね。怒り自体は嘘ではなく本物でもあるようですから。


 ……たしかに、かなりひどいことをしてしまったのでは?

 同化したときは俺の思考を深い領域まで読める以上、帰ってきたときにアーリデ殿を抱きしめようとしていることはわかっていたはずです。

 その後に場合によっては実際たどったルートのように恋仲になることも考えていました。それも知っているはず。


 俺がいろんな女の子に手を出そうとしていることも口で話して納得してもらいました。


 ですが、この件に関しては口に出して約束したのはバアルのほうが先です。


 ……理解者だからと甘えていたのかもしれません。

 怖い。足元からすべてが崩れ去るような感覚が止まりません。

 こんな簡単な間違いをしてしまったんですか、俺は……。


 心臓が千切れそうなくらいに早鐘を打っています。どうすれば良いんでしょうか。どれくらい怒っているんでしょうか。……もしかして、本気で嫌われてしまった?


 どうしよう、どうしよう……。


 あの場でアーリデ殿をキープするなんて言う選択肢は最初からありませんでしたが、それでも思考してしまいます。どうすればこれを回避できたんだろうかと。


 ……頭が回りません。ああ、どうすれば……。 

 まずは謝らないと。……でも、なんて言えば?普段なら出てくるはずなのに、今だけは出てきません。

 ……どうすれば。


 


「……おい、おーい!まったく、急に暗い表情を浮かべたと思ったら死にそうなくらい蒼白な表情になってしばらくそのままだったのじゃぞ。一体どうしたのだ。いや、わかってはおるのじゃがな。流石にびっくりしてしまったぞ」


 俺を呼ぶ綺麗な声で目が覚めました。

 そこにいたのは冷や汗をかきながら心底安堵しているバアルでした。

 ……良かった。嫌われてはいないみたいです。


「えへへ、すみません。醜態をさらしてしまったようです」


 己の心が意外と脆いというのは少し前には既にわかっていたことです。

 ですが、ここまで取り乱すとは自分でも思っていませんでした。

 どこまでも自分本意な悩みに酔っていた……というわけではありませんが、振り回されていたのは確かです。


「良い。妾に嫌われるのがそこまで嫌だというのなら、それは素晴らしく嬉しいことじゃからな。くくく、あれは九割九部九厘以上の割合で冗談じゃから安心してくれ。思うところがまったくなかったとは言わぬが、姫様の性生活についてはわかっていたことじゃし、そもそも割り込んだのは妾のほうじゃからなっ」


 ……本当のようです。やっと安心できました。


「そもそも、姫様が誰と寝ようがいつ誰と恋人になろうがなんでもいいのじゃ。妾と友人だったり恋人だったり、なにかしらの関係を持ち続けてくれる限りはな。これは……そのな?ちょっとした喧嘩というか、そういうのをしてみたかっただけじゃから」


 俺が誰とどう関係を持とうがどうでもいい、それはそれでちょっと複雑ですね。ただラッキーだと歓迎するだけではいけません。

 ですが、喧嘩をしてみたかったんですか。

 それはそれでなにかおかしいですね。


「今までも多少の喧嘩はしていた気がするんですけどね。……ああ、なるほど」


「……うむ、そういうことじゃ」


 ただの喧嘩ではなくて痴話喧嘩をしたかったということですね。可愛いなぁ。愛しくて仕方がないです。


「ああ、じゃがな、まだ答えは出さんでいいぞ」


「……」


「両思いだというのもわかっておる。頼めば今すぐにでも恋人になれるのもわかっている。じゃがな、こんな一瞬で関係が移り変わるというのはなかなかに怖いのだ。……ああもう、ニコニコするなっ!」


 ふふ、心が弱いのは俺だけじゃなくてバアルもですよね。

 肝心なところでヘタレました。


 やっぱりこういうところは似ているみたいです。

 でも、俺の尻込みとは違ってこういうところすらも愛らしい。


 ああ、今日一日とても楽しかった。

 終わってほしくないとさえ思ってしまいました。

 思い描いていたものとは若干違いましたが、実に素晴らしい体験でしたよ。


 ……ですが明日以降、ふとした時にこの会話を思い出して互いに赤面しそうですね。

 この会話は告白も同義ですから。

 オーケーを確実に貰えるとわかっているのにも関わらず、わざわざ告白までした。でもまだ恋人という関係にはなるのが怖い。だからまだまだ相棒としての関係は続く、と。


 この世界の創生とともにあった存在らしいですから、どれくらい長い尺度なのか。

 もしかしたら、全ての問題が片付いて数千年後かもしれません。

 あはは、寿命は神にならずとも余裕で持つでしょうけど、流石にそれは待ってられませんね。いつか半ば強引にでも関係を変えなくては。


 これはこれで中々に楽しくなりそうです。

 自分のことを棚に上げてバアルを弄ぶのも面白そうですしね。……ふふふ。

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