第38話 武士道子分

 結界を手が真っ赤になるほどノックして、断崖絶壁直角の壁を素手でよじ登っていた獣娘が俺の姿を見て感激の涙を流している。

 


「エルセ殿ぉお! いや、親分! 虎人族が流浪の剣士、プシィにございまする! 今日より親分の片腕としてお仕えしとうございまするでござる!」


「……あ~?」


 

 昼間に出会ったかなり凄腕の剣士。

 俺の風林火山の「林」の受け流しの技にひどく感銘を受けていたのは覚えている。

 しかし、それがどうして急にこうなった?


「なんなんだよお前は急に……」

「ふむ、婿殿。こやつは一体? そこそこ腕が立つのは分かるが……まぁ、頭の方は……」


 この状況、俺も分からないんだ。こいつを知らねえザンディレなんてもっと分からねえだろう。


「なんだと申されましても、拙者はただ親分の子分になりに来たでござる!」

「だから、何で子分なんだよ!」

「ナンデとな?! 何を仰られる! 拙者、元服迎えて里から飛び出してきて、これまで自分が最強と思っていた己惚れを容易く受け流し、あまつさえ拙者に対して一切の反撃もせず、その上で荒々しい王都の民たちの攻撃すらも全て受けきるという、その豪気! 拙者、惚れてしまいましたでござる!」


 と、俺の問いにむしろ「当然」というような様子で、プシィは鼻息荒くして正座しながら熱弁してきた。

 いや、惚れたって……


「我ら戦闘武士族は、敬愛すべき主を見つけて仕え、戦場で主と共に駆け抜けるが天命ゆえ、拙者もまた同じ! 拙者が惚れた親分の片腕として、共に乱世を駆け抜けたいと思いましたでござる!」


 本当に真っすぐな目でキラキラと輝かせる女。

 正直、これには何の裏もなく、本当にただのバカなんだと思う。

 とはいえ、だからこそ真剣で、本心なんだと感じさせられ、逆に俺を動揺させた。



「仕えるって……いや、お前……分かってんのか?」


「はい?」


「俺は……俺は人間なんだぞ!」



 そう、そもそも俺は魔族ではない。

 現在、魔界と魔族が総力を挙げて全面戦争をしている、魔族の宿敵たる人間なんだ。

 人間と魔族という壁が一体どれほどの……


「え、いや、それは分かりますでござるが……な、何かそれが問題でも?」

「……は?」


 と、プシィは本当に分かっていないのか、キョトンとした顔で首を傾げた。

 な、なにが問題って……



「いや、ほら、人間と魔族は戦争中で……つか、見ただろ、昼間のアレ! アレが魔族の抱くイメージだよ! 俺は人間。お前は魔族! その壁は――――」


「コホン、婿殿」


「ッ、ザンディレ、なに……あ……」



 何が問題なのか、そんなものをイチイチ口にしないと分からないのかと俺は少し苛立ってプシィに言おうとしたが、それを意外にもザンディレが止めた。

 一瞬俺は「なんだよ」と思ったが、真剣に俺を見つめるザンディレの目を見て、俺はハッとさせられた。



「婿殿。姫様も魔族ですぞ?」


「……ッ……」



 そうだった。クローナはそんな俺を、そしてジェニを心から受け入れてくれた。

 抱きしめてくれた。

 俺たちを、好きになってくれた。


 つまり、俺が言おうとしたことは、クローナの好意のすべてを否定しちまうようなこと。


 それは違う。

 クローナは本当に魔族とか人間とか、そういうのを関係なく俺とジェニを……


「……あの……申し訳ありませぬ。拙者、ずっと里にいましたが故、そもそもあまり戦争がどうとか人間がどうとかが分かっていないのでござる……ただ……まあ、昼間のアレは確かに過激とは思ったでござるが、それすらも親分は受け止めたでござる! そんな親分のデカさに拙者は惚れたでござる!」


 そんな俺の戸惑いにさらに首を傾げながらも、ただそれでも自分の気持ちを伝えようと、プシィは一度姿勢を正して頭を下げる。



「どうか、どうか拙者を親分の子分にして欲しいでござる! 厠の掃除でもパシリでも何でもするでござる! どうかぁ~!」



 それは人類にも共通する、頭を下げる最上級の行為。土下座だった。



「え、うぇ、ちょ、え、いや、い、いきなり子分とか言われても……」


「ふっ、これは驚きだ。魔界きっての戦闘武士族。一人でも配下に加えれば、その国やチームは多大なる戦力となると言われている虎人族が、まさか自ら頭を下げて子分になりに来るとはな……さすがは、姫様が惚れた婿殿ということか」


「いやいや、ザンディレも感心しないでくれよ! つーか、その、アレだ……あ~、子分って……」



 正直、俺はどうすりゃいいのか戸惑ったが、やはりこれはありえなかった。

 これまでの人生、自分に子分ができるとかそういうことが一度もなかった。

 扱い方も分からないし、そんな手下のようなものは俺のガラじゃない。



「お前が真剣なのは分かったけど……でも、俺はいいよ」


「ッ!? お、親分! な、なぜ……」


「な、何故って、単純に……俺、そういうの必要ねーし……」



 とりあえず、何となくだけど俺はそこまでえらい奴じゃねーし、断ることにした。


「勿体ないな、婿殿。普通、虎人族を配下にしようと、あらゆる貴族や豪族が金品を差し出すというのに……」

「だってよぉ~」


 ザンディレは俺の答えに「もったいない」と言うが、そんなこと言われてもなって感じだ。

 すると……



「こ、これだけ……これだけお願いしてもダメでござるか、親分!」


「ああ。ワリーけど、そういうのは俺のガラじゃねーしな。だから帰ってくれ」


「そう……で、ござるか」



 頭の耳が力なくシュンと倒れ、プシィも目に涙をためて哀しそうというか、かわい……いや、そうじゃなくて、とにかくダメなものはダメだと俺は拒絶した。

 だが、俺がそう答えるとプシィは……



「そうでござるか……では、拙者のような存在理由もない無価値なゴミなど、これ以上の生き恥を晒せぬでござる!」


「は?」


「では、この首を今すぐ――――」


「ッ!? ちょ、お――――」



 まさかの行動。まさか、プシィが懐にしまっていた短刀を取り出して、それで自分の首を――――


「待て待て待て待て、何してんだお前はぁああ!」

「あいや、止めないで欲しいでござる! 拙者のような誰からも必要とされぬゴミは虎人族の恥! ゆえにこれ以上は―――」

「だからやめろってぇ! こんな人の家の庭で、おま、お前はいきなり何をやろうとしてんだよぉ! つか、子分になれないぐらいで死ぬんじゃねえよぉ!」

「何を仰られるかぁ! 虎人族にとって、仕えたいと思った御方から拒絶される、それは股を開いた生娘が殿方からまぐわいを拒絶されるという、据え膳食われぬ恥と同等でございまする!」

「んな、オーバーな……」

「大げさではござらん! では、さらばでござ―――――」

「わーーーーー、やめろやめろぉ! 分かった! 分かったからぁ!」

「……はい?」


 本気だ。

 こいつ、俺が止めなければ本気で首を斬るつもりだったようだ。

 俺に拒絶されたから自殺するとか、そんな馬鹿な話があってたまるかよ。



「分かったとは……?」


「子分にするからぁ! 分かったっての! だから、自殺なんてすんなってことだよ!」


「ッ!?」



 と、俺がもう折れた。するとプシィは……



「あうう~~~~! あ、ありがとうございまする、親分ぅぅぅぅん!!!!」


「わ、ば、泣くな、抱き着くな、鼻水ぅ!?」



 大粒の涙を流しながら俺に抱き着いてきた。

 なんか、自分の命を使って脅迫されたような気もするが……



「では、今日より拙者は親分の片腕! 生涯この身は親分と共に!」


「は、はぁ……」


「では、早速親分の家の庭の掃除でもしますでござる~! あ、親分、肩は凝ってないでござるか? マッサージするでござるよ? 厠の掃除もお任せあれでござる! あと、抗争中の相手がいるのであれば、先陣は拙者にお任せくださいでござる!」



 と、泣いてたくせにもう目をキラキラ輝かせて色々とやる気満々な様子のプシィ。

 なんか、クローナに相談もせずに勝手に決まってしまったが……どうしよう……



「ふふふふ……色々と面白いな、婿殿は。まぁ、虎人族は武士道精神に生きる者たちゆえ、身元や内情はあまり調べる必要はない……が、婿殿の子分ということは、同時に姫様の配下にもなるわけだから、私が色々と躾てやらねばな」



 と、一部始終を見ていたザンディレは特に文句を言わずに笑った。

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