赤坂さんの娘さん

LeeArgent

第1話

 私達夫婦は、家を探していた。

 稼ぎがいいわけではないから、予算は二千万円程度。猫を飼っているため、ペット可の物件を。というのが、私達の条件。

 値段とペット可の条件が釣り合わず、ちょうどいい物件はなかなか見つからない。かなり困った案件だったろうに、不動産会社の営業マン、美浦さんは、親身になって探してくれた。


 ある日、旦那である和樹かずきさんのスマホに、三浦さんから着信があった。


「条件に合う物件、見つかりましたよ!」


 そうしてやってきたのが、F県某市の住宅地にあるマンション。

 閑静な雰囲気で、スーパーがかなり近い。マンションの向かい側にある公園では、日曜日だからか、親子連れが何組か遊んでいる。


「いいところじゃない」


「ああ、俺の会社も近いしな。麗華れいか、お前はパート大丈夫そうか?」


「大丈夫よ。パート先、そう遠くないし」


 私達は話しながらマンションのエントランスに入る。


「車の中でご案内しました通り、先住の方がまだ住んでおられます」


「あ、はい、大丈夫ですよ」


 美浦さんから言われ、和樹さんは朗らかに返事した。今回内見する部屋は、売りに出した先住の方がまだ住んでいるらしい。他人が住んでいるところを見学するなんて、何だか緊張してしまう。


 エレベーターで上がった先。五階の角部屋。そこが、今回内見する予定のお宅。

 美浦さんがインターホンを鳴らす。ややあって、白髪混じりの男性が出てきた。おそらく四十代だろうか。


「失礼します。高佐不動産の美浦です」


「ああ、お世話になっております」


「こちらが、内見希望されている黒岩様ご夫婦です。そしてこちらが、売主の赤坂様」


 私達夫婦は、美浦さんを間に挟んで、赤坂さんのご主人と簡単に挨拶を交わした。


「今から、よろしいでしょうか?」


「はい、どうぞ」


 ご主人に誘われて美浦さんが部屋に入り、続いて和樹さん、最後が私。


「よろしくお願いします」


 私はご主人とすれ違い様に会釈する。

 その時、ご主人は困ったように笑っていた。


 あっ……と。私は声をもらした。

 ご主人はやつれた顔をしていたのだ。

 下瞼に、くっきりとした青黒い隈。下瞼は痙攣している。まるで、徹夜明けのような顔だ。


「あ、すみません。失礼します」


 ご主人の顔を凝視してしまった。私は慌てて顔を反らす。ご主人は「どうぞ」と言って、部屋の奥へと案内してくれた。

 私は和樹さんの背中についていく。


「こちらがリビング、キッチンもこちらです。ああ、奥様、失礼しております」


 美浦さんが言う。

 リビングに入ると、赤坂さんの奥様がいた。ぼんやりとした表情に、くっきりとした隈。美浦さんの笑顔に、曖昧に笑って会釈する。


「今は赤坂様のお持ち物がございますが、こちらをリビングに使って頂いて、お隣の和室と、こう、繋がっておりますので」


 予め、リビングの隣には、四畳ほどの小さな和室があると聞いていた。床がフローリングのリビングと、畳の和室は繋がっていて、必要であれば襖で仕切ることもできるようだ。


「へえ。いいな、ここ。ミィ子はフローリングより畳が好きだし」


「そうね。ミィちゃんとくつろぐのにちょうど良さそう……」


 ふと、その子が目に入った。


 肩の高さで切り揃えられた、ストレートの黒髪。白い肌に、真っ黒な瞳。そして、真っ赤な唇。

 年は、おそらく小学生……一年生くらいだろうか。ボルドー色のワンピースを着て、和室の隅にちょこんと正座していた。


 赤坂さんの娘さんだろう。私はそう思って笑いかけた。口を開けて「こんにちは」なんて声をかけようとしたのだが。


麗華れいか、風呂場も見せてもらおう」


 和樹さんに声をかけられた。私は女の子に声をかける機会を失ってしまう。和樹さんを振り返って「えぇ、そうね」と言ってから、女の子に会釈した。


「どうした?」


「え? 何が?」


「いや、さっきの」


 和樹さんは女の子を指差して私に問いかける。私、何か変なことでもしてしまっただろうか。


「こちらがお風呂です」


 赤坂さんのご主人が、お風呂まで案内してくれる。

 その途中、閉ざされた部屋があった。ちょうど、洗面室の向かい側にある部屋。間取り図を見ると、六畳ほどの洋室のはず。


「あ、すみません。こっちのお部屋も見させていただきたいです」


 私は、赤坂さんに直接言うのは少しばかり恥ずかしく、美浦さんに小声でお願いしてみた。


「赤坂様、かまいませんか?」


 美浦さんが尋ねる。赤坂さんは変な顔をした。迷ってるみたいな。見られたくないんだろうか。

 でも、私達は内見に来たわけで。全部の部屋に納得できないと、購入するかどうかの判断さえできないわけで。

 それは赤坂さんも理解してるみたいだ。ややあって頷いた。


「どうぞ」


 部屋が開かれる。

 そこは子供部屋だった。


 壁紙は生成色。床はフローリング。敷かれているのは、流行りのキャラクターが描かれたラグ。

 部屋の中央には、折り畳みができる子供用のローテーブル。隅には、箱から溢れんばかりのオモチャが積まれていた。


「すみません。妻には片付けるようにと言っておいたのですが……」


 ご主人の言葉に、私は違和感を覚えた。

 この部屋は随分と片付いている。確かに、溢れそうな程にオモチャが積まれてはいるが、部屋の隅に置かれているだけだし、オモチャ箱の中に一応入ってはいる。他に散らかっているものなんてないし、綺麗に片付いているではないか、と。


「あの、ここ、娘さんのお部屋ですよね。綺麗じゃないですか、ねえ?」


 赤坂さんに、私は尋ねる。そして、同意を求めるために和樹さんの顔を見上げた。

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