第55話 フィナーレ



 祝辞が終わった披露宴は、チーム・サレ妻のサポートメンバーによる余興に沸いていた。


「……あんなに笑うんだな」


 力無い直樹の呟きに、大地は思わず振り返った。あれだけ苛立ちと敵意をむき出しにしていた直樹が、気がついたらすっかり大人しくなっていた。突撃して花嫁を攫おうとしてた朝とは、別人のよう。

 その落差に呆気に取られながら画面に向き直ると、直樹の落ち込みがわかるような気がした。時折照れたり涙ぐみながらも、弥生はずっと幸福そうな笑みを浮かべている。不倫をし始めた時の直樹の愚痴がふと蘇った。


『いつも俺の機嫌を伺ってる、卑屈なとこにうんざりするんだよなー。家事もできて、飯もうまいけど俺をイラつかせる天才だ。頼みこまれて結婚したけど、美人なだけでハズレだったかもな』


 得意げに語ってた直樹に大地もその時は同調していた。好みなのは多少わがままでも、明るくノリのいい子。常に顔色を伺ってくる相手では、うんざりするだろうと理解した。


(ただ、幸せじゃなかっただけだったんだ……)


 今ならそれがわかる。あんな態度と暴言が日常だったなら、機嫌を常に伺っていたのも無理はないと。きっと今の弥生は、直樹の妻だった頃より何倍も美しいのだろう。溢れ出る幸福が浮かばせている笑顔は見惚れるほどだ。


(それに……)


 大地は弥生の隣に立つ健人に視線を移した。弥生を宝物のように見つめては、健人は幸せそうに瞳を潤ませている。弥生が隣にいることが、幸せでたまらない。隠すことなくこちらが気恥ずかしくなるほど、堂々と全身で表現する健人は妙に微笑ましく見えた。勝手に応援したい気持ちにさせる健人は、弥生に選ばれたのを納得させる魅力があった。


(正反対だもんな)


 あの不倫旅行から三年後、弥生が再婚相手に選んだのは直樹とは正反対の健人だった。もうそれが答えだと流石の直樹もようやく理解したのかもしれない。余興が終わって祝電が読み上げられるのを、直樹は肩を落として聞いている。


「それでは新郎新婦様より、感謝のご挨拶に移らせていただきます」


 披露宴の最大の見せ場の開始に、大地はハッと顔を上げた。健人と弥生が立ち上がり、連れ立ってマイクの前に移動する。マイクの前にたった健人は、なんかもうすでにボロボロに泣いていた。


「……本日は……グスッ……本当にありがとうございます……グスッ……俺、本当に幸せで……信じられないくらい幸せで……グスッ……今やっと実感が湧いてきて……もう、ほんと……今まで、父さんと母さんにずっと心配かけたけど……グスッ……」


 何を言っているのか聞き取れないくらいボロ泣きの健人と、同じくらいボロ泣きしている健人の父。二人の盛大な嗚咽の大合唱のなんとか聞き取れる言葉は「幸せ」と「感謝」だった。

 大地は鼻の奥がツンとして、熱くなった目頭を誤魔化すように俯いた。懸命に誰かを愛する姿は、こんなにも心を揺さぶのだと思った。ただ一心にみのりを見つめ、フラフラとバカなことをしでかさなければ、今頃はこんな結婚式を挙げられていたのかもしれない。

 オンオンと泣く健人を慰めて、弥生がハンカチを差し出している。その瞳は涙で潤んでいた。ほとんど聞き取れなかったのに、やけに胸を打つ健人のスピーチの後に弥生が進み出る。


「……本日は私たちの結婚のために、ご足労いただきありがとうございました。ご存知かと思いますが、私は最初の結婚を失敗しております」


 キッパリと切り込んだ弥生の言葉に、しんみりとした感動に包まれていた会場が凍りついたように静まり返った。直樹との結婚を失敗と言い切った弥生は、穏やかな口調のまま続けた。


「父や母にも大変心配をかけました。離婚歴があり歳の差もある私たちの結婚を、よく思わない方も中にはいらっしゃるかもしれません。その気持ちはとてもよくわかります。私自身、もう一度結婚することは全く考えていませんでした」


 弥生の言葉に健人が不安そうな表情を振り向け、それに弥生が安心させるよう小さく微笑む。


「それでも結婚を決意したのは、健人さんが誰よりも私を愛してくれたからです。不安に思っていることが馬鹿らしく思えるほど、真っ直ぐに言葉だけでなく、態度でも愛を伝え続けてくれたからです。同じだけの気持ちを返したいと、幸せにしてあげたいし、幸せにしてほしいといつの間にか思うまでに。この先の人生でこの気持ちを持ち続けられる相手は、お互いだと信じられたから結婚を決意しました」

「弥生さん……!」


 感激して泣き出した健人を慰める時間を挟んで、弥生は真っ直ぐに顔を上げて自信に満ちた笑みを浮かべた。


「私たちの結婚に不安を抱かれている方達にお約束します。健人さんに誰よりも愛され、健人さんを誰よりも愛することで、この結婚への不安は杞憂だったことを証明して見せます。いつか心からの祝福をいただけるように。本日は私たちのために駆けつけてくださり、本当にありがとうございました」


 すっと丁寧に頭を下げた弥生を、健人が感激したように弥生に飛びつき泣き出した。優しい微笑みで慰める弥生の瞳にも涙が光っている。


(そっか……御曹司だから……)

 

 あんまり幸せそうだから見逃していた。きっといくつもあった障害を、二人で乗り越えて今日という日を迎えたのだ。

 堂々と正面から覚悟を示して見せた弥生の勇姿に、湧き出るように拍手が巻き起こっている。この二人なら大丈夫。祝福と激励の拍手の渦は、そう伝えているように聞こえた。

 思わず一緒に拍手をしそうになった大地が、ガタンと鳴った椅子の音にハッとなって振り返る。


「……直樹さん?」


 振り返った大地に涙で潤んだ目元を隠すように、直樹が顔を逸らした。悄然とした静かな声で一言だけ返ってくる。

 

「帰るわ……」

「や、でも……この後……」


 戸惑ったように止めだてする大地に、直樹は画面に視線を向けた。全身で幸せと愛を伝えるような弥生の輝く笑顔。その隣で健人も惜しげなく、全身から歓喜と愛を発散している。対照的に直樹は俯いて拳を握った。


(俺は……)


 弥生に心から愛されていた。何度も試し確認したくなるほど、本当は愛されていることが嬉しかった。でも自分のものだと、愛されているのだと、周りに見せびらかすことだけに懸命だった。嬉しいと素直に返す発想も、その勇気もなかった。愛してると伝えなかった。伝えてしまったらそこが行き止まりになるような気がして。魔法が解けるような気がして。弥生の愛の上限がくるのが怖かった。

 

「弥生に……」


 伝言をと口に出しかけて、直樹は思いとどまった。

 もう何もかも手遅れだ。愛していることよりも、弥生に愛されている事実が何よりも大事だった。その事実をよりたくさん得ようとした結果、取り返しのつかないことをしでかした。もう顔も見たくないと思われるほどに。画面の向こうで笑顔を浮かべている弥生は、もう直樹の隣にいた弥生ではない。全てを知って支配していたはずの弥生ではない。

 出会った頃も手の届かない芸術品のような美女だった。でも三年経った今、弥生はあの頃よりもずっと美しく、中身も伴った本当の高嶺の花になった。それを今やっと理解した。


「いや……なんでもない……」


 魔法は解けたのだ。奇跡を信じきれずに間違った方向に進み続けた結果、跡形もなく幸福は消え失せた。大切にしなければならないものを間違えて、二度とは起きない奇跡を自分で壊した。

 弥生の人生から消えること。きっともうそれだけが今の直樹が弥生にしてやれる、たったひとつのことになってしまった。惨めでたまらない気持ちを噛み締めがら、直樹は無言で監禁部屋を開けた。警備が警戒をあらわに、歩き出した直樹を追ってきた。

 無言のまま直樹は会場のホテルから一歩踏み出した。途端に抜けるような青空が目に染みて、せめて泣き崩れたりしないよう踏みとどまっていた瞳に涙が滲んだ。


(弥生、悪かったな。もう二度と顔は見せないさ……)


 この期に及んで幸せを願うこともできない自分に嗤いが込み上げた。もう思うことさえ許されなくなる前に、伝えるべきだった言葉を飲み込んで、直樹は静かに会場から遠ざかっていった。


※※※※※


 呆然と直樹を見送った大地は、困ったように哲也を振り返り息を呑んだ。壮絶な怒りの形相に、何があったかと哲也が凝視する画面を見遣る。

 鳴り止まない拍手に囲まれた弥生と健人を、瞳を潤ませて見守る絢子に上条が歩み寄っている。上条に気づいたみのりが、ニヤリと笑みを浮かべると、絢子の隣から一歩後ろに下がった。

 目尻を拭いながら拍手をする絢子に、上条が弥生から受け取ったブーケを差し出す。驚いた絢子に上条が何かを言ったのが見えたが、拍手にかき消されて聞こえなかった。


(ああ、そっか……)

 

 驚いたように目を見張って、上条を見上げる絢子に大地に少しだけ切なく俯いた。


(過去にしがみついてるのは俺らだけなんだな……)


 さらに何かを伝えた上条に、絢子はゆっくりと頬を染めてブーケを受け取った。見守っていたみのりが満面の笑みを浮かべて、勢いよく絢子に抱きつき上条に何かを伝えている。上条がみのりに頷いて見せた。


(もう、新しく始められるんだな……)


 深く深く傷つけた。簡単には治らないような傷をつけてしまった。でもまた誰かの手を取り、新しく始めようと思えるほどの時間が流れていたようだ。必死に取り戻したい過去にしがみつく、自分達だけを置き去りにして。

 哲也が奥歯を噛み締める隣で、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、祝福の中心にいる弥生に両手を振って合図を送るみのりを見つめる。弥生がみのりに気づいて絢子のブーケに小さく笑みを浮かべ、そっと弥生の肩に顔を埋めている健人に短く囁いた。顔を上げた健人が上条に、満面の笑みを浮かべて見せる。

 この幸福そうな祝福の渦が、サレ妻たちが勝ち取って今だった。過去に置き去りにされた自分達の居場所は、もうどこにもないないような気がした。

 主役たちを囲む輪の隅で絢子と上条の小さな一幕を最後に、弥生と健人の披露宴は盛大なうちにフィナーレを迎えた。

 


 

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