第44話 魔王達の鉄槌


 騒然としたその場が静まり返ったかと思った瞬間、留美が粘りつくような口調で話し始めた。

 

「……そんなに愛していた旦那様を奪ってしまい、申し訳ありませんでした。ただ、奥様の愛が息苦しいと言う直樹さんに同情してしまって。家庭が壊れるほど執着されるとは思ってなかったんです。奥様には心からお詫びします」


 丁寧な詫びに見せかけた、留美の明らかなマウントが再びその場を静まり返らせる。深々と下げて見えない表情には、間違いなく直樹そっくりの薄ら笑いが浮かんでいるはずだ。


「……その謝罪、受け入れます。きっちり寝とってもらえなかったのは残念ですけど……」


 穏やかなに返事を返した弥生に、留美は下げていた頭を上げ驚いたような表情を見せた。

 

「あー……弥生さんと別れる気なさそうだもんね……せっかく技をプロ並みに磨き上げて、ブスをカバーしたのに……弥生さんが楽できるようにしっかり寝とって欲しかったよね」


 弥生に同意したみのりに、留美の口元をぴくりと震わせた。


「大丈夫! きっと無駄にはなりませんから!」


 小野田がにこやかに頷くのを無視して、留美がカッと目を見開いて声を張り上げた。


「はっ! 強がってないで素直に、泣き喚いて悔しがれば? お綺麗なあんたはブスに旦那を寝取られた! あんたの旦那は顔が綺麗なだけの退屈な女だって、バカにしながら私を夢中で抱いてたんだよ!」

「そうですか。でも、まぁそれはお互い様なので……」

「何を……!」


 激昂する留美に困惑するように、弥生は片頬に手を当てた。


「私は子供が欲しくてしてたんです。どうしてもしたくて、していたわけではないんですよね。何やら偉そうに点数をつけてましたけど、直樹さん自身も点数をつけるとすると六十点くらいなので……」

「「ぶふっ!!」」


 芽衣と愛美が同時に噴き出しゲラゲラと笑い転げるのを、「だ、ダメですよ……!」と笑いを堪えながら小野田が嗜めている。爆笑するみのりがのけぞる横で、絢子も口元がピクピクするのを必死に堪えた。


「や、弥生……! お前……!」

「本当のことなので」


 顔を歪ませて叫んだ直樹に弥生は淡々と頷き、留美がワナワナと震えながら弥生を凝視した。


「だって、あんたは直樹さんを愛して……」

「正確には愛していた、です。貴女は私に泣き喚いてほしいみたいですけど、安心してください。不倫を知った時は本当に辛くてショックでしたよ? そう言えば満足できますか? あなたが満たされたなら嬉しいです。だって本当に心から感謝してるんですから」

「……何を……」

「私が夫婦でいたかったのって、一人ぼっちだった私を絶望的な危機から颯爽と救い出してくれた、ヒーローみたいな人となんです。私の見た目なんかに惑わされず、人としての道理があって、絶望している誰かに手を差し伸べられる。そんな人の妻だったんです」


 弥生はすっと顔を上げて真っ直ぐに直樹を見据えた。


「その高潔さを好きになったんです。顔も収入も本当にどうでも良かった。人として美しい人。そんな人と支え合って、励まし合って、愛し合って生きていけるだけで幸せだって。そんな人と結婚したつもりでした。平然と人を傷つけ、貶め、影で嘲笑う。そんな人を愛したんじゃないんです」

「弥生……まさか……違うよな……?」

「貴女には本当に感謝してるんです。くだらないものに必死にしがみついているって気づかせてくれて。貴方のおかげで失ったものより、ずっと価値ある友人達と出会うことができました」

「弥生さん……」

「サレ友だけどね」

「ふふっ……」


 みのりの返事に思わず笑みが溢れる。楽しそうに笑みを浮かべる弥生に、直樹が呆然としたまま唇を震わせた。


「弥生……離婚なんて考えてないよな……? お前が俺から離れるなんて、できるわけないよな……?」


 絶望を絞り出すような直樹の声に、弥生はきょとんと顔をあげ眉を顰めた。


「当然、そのつもりですが? むしろどうして離婚しないと思ってたんですか?」

「う、嘘だ……!! お前はあんなに俺のことを……!」


 這うようにして弥生に手を伸ばす直樹に、弥生はうんざりしたようにため息をついて留美を振り返った。


「……はぁ、うんざりですね。やっぱりあなたが完璧に寝とってくれていたら……」

「……そ、そんな……違う……あんたは強がってるだけで……」

「どのように思ってもらってもいいですけど、お礼はきちんと伝えさせてください。お金払ってまで人生の粗大ゴミを引き取ってくださり、本当にありがとうございます!」


 晴れやかな一片の曇りもない清々しい満面の笑みを向けられ、留美が顔を覆ってその場に泣き崩れる。嘘だ嘘だとつぶやく直樹に、大地が震えながらみのりを見上げた。


「み、のりは……離婚なんてしないよな……? ほんの一瞬の気の迷いだったんだ……! どんな償いもする。心を入れ替えて一生みのりに尽くす。生まれてくる俺たちの子供のためにも、俺にやり直すチャンスをくれるよな……?」


 目の前で離婚を言い渡された直樹に、不安になったのか大地がみのりに媚び始める。みのりは顔を顰めて大地を振り返った。とりなすように笑みを浮かべる大地に、みのりは静かに見つめ返す。


「……気の迷い、ね……まあ、人間だからさ、間違うことはあるとは思うよ」

「み、みのり……!」


 少しだけ顔色を明るくした大地が、期待するようにみのりを見つめる。

 

「ウチさ、ダーリンのことすごい好きだったの。無邪気で楽しくて、愛されて育ったってわかる笑顔が本当に可愛くて……」

「みのり……」


 きっとその言葉の重みを知っている、同じ地元出身の親友・芽衣と愛美が気遣わしげにみのりを見つめる。


「しんどいことがあってもさ、一緒に乗り越えて楽しく暮らして行こうって。病める時も健やかなる時も。結婚式はまだだったけど、実家のことを受け止めてくれた時にさ、ダーリンの辛さもウチが受け止めていこう。そう思ったんだ」

「みのり……俺……」

「ウチ、本当に本当にダーリンが大好きだった」

「ごめん……本当に……俺、本当に反省してる。良い夫として良い父親として生まれ変わるから……」

「だから……ダーリンが死んだってわかった時、本当に悲しかった……」

「み……みのり……? 死んだって……」

「人間だから間違えることはある。でも絶対に間違えちゃいけないものってあるじゃん? ダーリンはさ私やベビーを思って、最後の最後を踏みとどまれる人だったはず。だってウチといる時が一番幸せって思ってくれる人だったから」

「みのり、あの……」

「ウチの大好きだったダーリンは死んじゃったの。今ウチの目の前にいるあんたは、ダーリンと同じ顔した単なるゴミくず野郎。もう二度と顔も見たくない!」


 夢見るように優しく語っていたみのりが、お腹を抱きしめながら戸惑っていた大地をギッと睨みつけた。その視線は完全にゴキブリを見る目だった。


「ベビーのパパも、ウチの大好きだったのもあんたじゃない! ゴミクズ野郎がダーリン面してんじゃねーよ!!」


 サッと顔色を変えた大地が、ボロボロと泣きながら般若のみのりに土下座する。

 

「みの、みのり……ごめん……本当にごめん……! すいませんでした……俺、別れたくない……子供の父親になりたい……!!」

「一度だろうが遊びだろうが、たった一度でも裏切りは裏切りだから! 子供はそこのバカ女にでも産んで貰えば? ウチよりも可愛い子を産んでくれるんでしょ?」

「いやだ……いやだ……! 本当にすいませんでした! 浮気してわかったんだ……! 誰とでも寝るような女なんかいらない! 最初は確かに浮かれてたけど、仕方なかったんだ。俺だってしたくて、してたんじゃない!!」


 大地の切実な叫びに、絢子と弥生はちょっとだけ眉尻を下げて顔を見合わせた。


「……確かに旅行中ずっと、罰ゲーム中みたいな顔してましたね……」


 思わず呟いた弥生にガバリと大地が涙でぐちゃぐちゃな顔をあげた。そのまま弥生魔王に助けを求めるように声を張り上げる。


「そうです……! 罰ゲームでした! みのりを愛してるんだ……頼むよ、俺を捨てないでくれよぉ……!」


 おいおいと情けなく泣き伏した大地に、罰ゲームと言われた由衣が燃え上がった。


「は、はぁ!? 私だってあんたなんか遊びだったし! 旅行だって哲也さんがいたから……!」

「俺にとっては遊びですらなかった」


 声を張り上げかけた由衣を完全に無視して、響いた哲也の声に視線が一斉に集中する。哲也は集まる視線の中、姿勢を正してただ静かな表情で真っ直ぐに絢子を見据えた。


「絢子、全部話すよ。何もかも話すから、離婚だけは考え直してくれないか?」

 

 次々と魔王達に打ち倒され、戦意を喪失して積み上がる敗北者たち。その中で哲也だけが凛と居住まいを正し、覚悟を決めた眼差しで絢子を見つめている。

 未だ折れずに顔をあげる哲也は何を語るのか。絢子は唇を引き結び哲也と真っ正面から向き直った。

 


 

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